2018年2月4日日曜日

立春

 昨日は節分だった。友人のお寺の節分会の実行委員のようなものになったが、渦中に入ると行事が成功したのか失敗したのかもよくはわからない。
 お世辞かもしれないが皆が「よかったよ」と言ってくれたから、素直に喜んでおこう。

 私は赤鬼になった。
 私の頭の中のシナリオでは仏前でひと暴れして住職の読経で悔悛するという宗教劇のつもりだったが、「道に出てきて暴れろ」というアンコールがあったので路上でパフォーマンスをしたところ、子どもが「鬼は外」と言って私に豆をぶつけに来たから、考えようによっては大成功だったかもしれない。

 友人たちが手分けして担当した善哉、大根炊き、あぶり餅も美味しくて近所の方々の評判も良かった。
 節分でいえば、この歳になって初めて主催者側になった。楽しい1日だった。

   今日2018年2月4日は立春で、二十四節気・七十二候の起算日・第一目である。
 このことから今日が旧暦1月1日だという誤解があるが、旧暦は太陰太陽暦なので月の1日は必ず朔である。4日前に満月で皆既月食があったからそれが誤解であることは直に察せられると思う(多くの元大晦日の行事が節分に引き継がれていることも誤解の遠因になっている)。

 二十四節気でいうと冬至、小寒、大寒、立春と、立春は冬至から数えて3番目の節気だから*365日×3/24=*45.6日となるから、立春は冬至から数えて45~46日目となる。

 天文学では太陽黄経315度の時(世間一般ではその日)が立春だから、これは春分が黄経0度=360度なので春分から起算した二十四節気中の21番目で、360度×21/24=315度となっている。

 二十四節気 七十二候は中国大陸北部の気候を基としているから日本の自然と合わないといわれたりするが、事実、今年もまだまだ大寒波が予報されているが、それでも、陽の光、日の入の時刻、樹々の蕾の膨らみなどを見ると「確かに春が立った」と納得できる。

 とはいっても「春は名のみの風の寒さ」であるから、俳句の季語と感覚のずれには大いに悩む。「俳句とはそういうルールで作るものなのだ」という意見も知っているがわだかまりは残っている。

     老妻も口を揃えて福は~内

     早春賦口ずさみたし雪の雲


2 件のコメント:

  1.  そうでしたか、旧正月(春節)や小正月やら、いろいろ交じり合ってややこしいですね。そもそも正月は新年の始まりなのかどうかも分からなくなりました。
     2句目の雪の雲もいいですね、単純に雪の朝としそうですが、雪の雲でより景色と気持ちが見えてきます。(夏井先生が云いそうな気がしますが(笑))

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  2.  太陽暦原理主義を貫けば冬至の翌日を元日にするとか、立春を元日にすれば良いと思いますが、新暦(グレゴリオ暦)は中途半端な気がします。
     太陰暦の大前提は月の朔(新月)が月の1日(ついたち)ですから、元日は必ず朔でこれを大正月というのに対して、同じ太陰暦でもそれに対して満月を大事にする思想が小正月の行事の基底にあるのでしょう。
     旧正月は太陽暦的な七十二候の雨水を含む(太陰暦的な)月の朔日が元日です。雨水がよいかどうか(立春ではどうかなど)という余地はありますが、考えようによってはそれほど荒唐無稽な考えではないように思います。資本主義以前の社会ではほとんど支障がなかったように思います。「前年度比」などという統計にはなじみませんが。
     なお、お正月のお祝いを新暦で行っているのはアジアにおいて日本ぐらいで、他のほとんどの国は「旧正月」がお正月ですから、何が正しいとか、何がおかしいというのは、あまり言わない方がよいように思います。
     余談ですが、梅雨の後半に七夕などといって疑わない方がおかしいこともあります。

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