2020年6月12日金曜日

夏は来ぬ 2

佐佐木信綱 作詞 『夏は来ぬ』

卯の花の 匂う垣根に
時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ

橘(タチバナ)の 薫る軒端(のきば)の
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ

楝(おうち)ちる 川べの宿の
門(かど)遠く 水鶏(クイナ)声して
夕月すずしき 夏は来ぬ

五月(さつき)やみ 蛍飛びかい
水鶏(クイナ)鳴き 卯の花咲きて
早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ

以上の歌詞をネットで繰っていると、漫画家ホシナ コウヤ氏のブログが跳び込んできた。私は知らないが、小川幸辰、おがわ甘藍とも称されている有名な漫画家らしい。
漫画とは遠いが的確な評論だと思うので抜粋して(一部筆を入れて)紹介する。

ホシナ コウヤ氏の評論 
佐佐木信綱のこの詩は、一番は今で言う5月初旬から下旬、二、四番は6月の入梅以降、三番はその間くらいの5月末から6月ごろを歌っていることになります。かなり時期的にズレのある歌詞だ、ということがわかるかと思います。この不自然さは、佐佐木が一番から四番それぞれに古典文学を元にあえて作詞しているためです。今で言うカヴァーアレンジといったところ。
和歌の心「夏のあくがれ」こそが歌のテーマです。

 まず一番は、万葉集の定番の組み合わせ「ウツギとホトトギス」から。 
 卯の花の 咲き散る岳(おか)ゆ 霍公鳥  鳴きてさ渡る 君は聞きつや (読人不知 巻十 1976
 五月山 卯の花月夜ほととぎす 聞けども飽かずまた鳴かぬかも (読人不知 巻十 1953
 卯の花の 過ぎば惜しみかほととぎす 雨間も措かず こゆ喧き渡る (大伴家持 巻八 1491)
  卯の花とホトトギスのコラボは万葉集中15首もあります。夏の早い曙も待たずに暗い空にエコーがかかって啼きわたるホトトギスの、何かを訴えているような物悲しく切迫したさえずりを、王朝人は愛する人を恋い慕うエレジー(哀歌)として聞きました。また海を越えて渡ってくるこの鳥の声を、あの世から帰ってきたなつかしい死者の魂の声としても聞きました。
 卯月(旧暦四月)から咲く卯の花は、ホトトギスの到着と入れ替わるように散り始めます。この両者の短いセッションを、恋人とのわずかな時間の逢瀬の喜びと別れの切なさ、あるいはあの世とのあえかな交信の儚さにも仮託し、セットで謳われたのです。

二番は、「栄華物語」御裳着(みもぎ)巻の古歌から。
 五月雨に 裳裾濡らして 植うる田を 君が千歳の みまくさにせむ

三番は漢籍の「晋書/車胤伝」の「車胤聚蛍」(しゃいんしゅうけい)、ホタルの火を集めて勉学に励んだ車胤のエピソード「夏月則練囊盛數十螢火以照書」(蛍雪の功)が下敷きですが、そこに橘をからめています。橘には過ぎし日・なつかしい人を思い出す、という和歌の符丁があります。思い出す面影は若き日の恩師でしょうか。

四番は、源氏物語(紫式部)の「第十一帖・花散里」と「第十四帖・澪標」から。
 橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ(第十一帖)
 水鶏だにおどろかさずはいかにして 荒れたる宿に月を入れまし(第十四帖)
 光源氏の妻の一人、麗景殿女御の妹の三の君・花散里「夏の御方」の住まいを「楝散る川べの宿」となぞらえています。

各章に通呈するのは、なつかしい過ぎし日/人を思い出し、愛惜する情緒。それがホトトギスの声や卯の花、橘、センダンなどの生き物たちに仮託されています。過ぎ去ったものへの愛惜と、今と未来に向けての前向きな希望が響きあい、ない交ぜになった独特の感覚。これを古語では「あくがれ」今の言葉では「憧れ」と表現してみます。
「あくがれ」=憧れとは、「本来あるべき所から離れて、心や魂がさまよう」ことを言います。日々の生活の場、やるべき雑事から遠く離れた、過去、理想、会いたい者に思いをはせる和歌の心。
 「出典が何か分かるかな?」というちょっと上目線の謎掛けと、これほどの風情のある夏をもつこの国の自然と、それを情緒豊かに歌った古人の文化を大事にせえよ君たち、というメッセージこそ、佐佐木の熱い思いだったのではないでしょうか?(引用おわり)

 ホシナ コウヤさん、ありがとうございます。

   秋の田を予祝し泳ぐや兜えび

   入梅の道にポツンと布マスク

1 件のコメント:

  1.  朝刊も届かない未明に近い早朝に遠くから杜鵑の声が聞こえてきます。まるで「ともに声をあげよ」と演説をしているようです。

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