2014年9月22日月曜日

大勲位のご苦心

  国立国会図書館東京本館から、申し込んであった大勲位中曽根元首相の論文の載っている「終りなき海軍」という本の該当ページのコピーが送られてきた。
 フィリピン、インドネシア設営隊主計長、海軍主計大尉と氏の軍歴が印刷されているから、それらの時代のことだろう。
  「やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。」とわざわざ書くぐらいだから、特別の苦心があったに違いない。
 それでも、安倍首相は「だからどうした。騙したり人さらいのように強制的に女を集めるのに苦心したとは書いていない。だから証拠にならない。」と言うのだろうか。(原住民の女を襲ったのは100%兵隊個人の問題なのだろうか。)
 多くのいわゆる従軍慰安婦に性的奴隷状態を強制したことは日本の裁判所でも認定されている事実だが、このように司法の場や真面目な研究の中では問題にもされていない吉田証言を朝日新聞が誤報であったと認めたことにかこつけて、安倍首相らはあたかも慰安婦問題が存在しなかったがごとくスピーチしていることの方が意図的な「誤報」だろう。
 テレビで櫻井よしこ氏が「日本人がそんな酷いことをするはずがない。」と朝日新聞を攻撃しているが、そんな情緒的な主張はまともな議論の対象にもならないと思う。731部隊はどこの国の軍隊だったのだろう。

 なお、安倍首相らが「証拠がない。」と言うことについて一言言いたいが、私は家族史をまとめたいという気持ちから、私の父が働いていた終戦以前の松下飛行機(株)について知りたいと国立国会図書館に行き職員の方々に種々検索してもらったことがあったが、結論的には、「終戦以前の軍需産業の記録は全く残っていません。」というものだった。
 私が小学生の頃、父は終戦時に軍に関する文書や証拠を数日かけて燃やし続けたと語ったことがあるが、同じような軍関係の証拠隠滅作業は多くの方々がほうぼうで証言されている。
 そもそも、騙したり、直接的に強制して慰安婦にすることは当時の法律でも違法であった。その上に終戦時の証拠隠滅作業である。本来記録に残ることの方がおかしいので、そのことを知った上で「証拠がない。」と語ることは歴史に対して誠実でない。
 それでも隠滅を忘れた公文書が残っていたりして8件の判決でも非人道的な慰安婦制度が認定されているのである。

 安倍首相らは、朝日新聞の誤報が日本の評価を貶めたと主張しているが、アメリカやオランダをはじめ海外で従軍慰安婦問題が指弾されるようになったのは朝日新聞の吉田証言の誤報(1982年)から20数年も後のことである。
 海外の諸国で問題にされ始めたのは朝日新聞の報道ではなく、日本の少なくない政治家が河野談話を否定しようとしたり、戦犯を復権させようとしたり、歴史を改竄しようとしたことに端を発しているのは明らかではないか。
 海外に日本の評価を貶め、「国益を損ねて」いるのは安倍首相たちである。
 首相や大臣がネオナチやヘイトスピーチの面々と嬉々として写真に納まり意見交換をしている異常を看過してはならないと思う。
 日本国民が過去の戦争の事実を確認して反省することは自虐でもないし、日本の評価を貶めるものでもない。それどころか、そういう姿勢こそが海外での尊敬の対象になるのである。ドイツを見よ。
 私はこの時期に、多くの良識人がもっと素直に慰安婦問題を語ればいいと思う。
 マルティン・ニーメラー牧師の言葉ではないが、今日の状況を朝日新聞の不幸だなどと傍観していてはならないと強く思っている。


2 件のコメント:

  1.  長谷やん、従軍慰安婦問題での誤報、関連する池上彰氏のコラムの掲載拒否問題、福島原発事故での吉田所長の調書の不適切な報道など、とどまるところを知らない朝日新聞の一連の誤報問題に、私も心を痛めていた一人です。
     そしてやはり、待ってましたとばかりこの問題を、自分に都合の良いように捻じ曲げ、「朝日たたき」に狂奔する政治家、右派論客、そして多数のメディアの姿勢を苦々しく思っていたところ、この問題を多角的にとらえ小気味よく批判したこのブログを読み、溜飲の下がる思いをしています。さすがという他ありません。
     特に最後の『週刊誌を読む』の転載記事を掲載したのは、池上氏の真摯なコラムと記事の内容のタイムリーさから良識ある国民に与える影響は絶大だと思いました(出典が示されていないのが残念ですが)。
     これからもタイムリーな記事更新を期待しています。
     

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  2.  何の説明もなしに転載記事を貼り付けました。9月21日付け東京新聞の篠田博之氏のコラムです。北海道新聞や中国新聞にも連載されているシリーズです。
     本日の朝日俳壇、金子兜太選に『終戦日過ぎ新たなる戦後かな』小澤光洋というのがあり、「評」に「戦争の匂いがまだ残るということか」とありました。長谷川櫂選に『九月来る国防色をまとひつつ』伊勢丈太郎もありました。大串章選に『月祀る戦火を語る人なくて』野口康子も。
     朝日歌壇、永田和宏選に『武器を持つことのできない手のかたち猫のパンチの羨ましかり』澤田睦子があり、佐佐木幸綱選に『非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ』萩原慎一郎も。
     こんな豊かな感性でブログを書けたらいいのだが・・・・・ああ。
     和道おっさん、コメントありがとうございます。

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