2011年10月14日金曜日

カーネーションの時代

ネットから
 NHKの朝ドラで(岸和田高女)の女学生の糸子(小篠綾子)は昭和3年頃(15歳?)にパッチ屋のミシンを見て「これこそウチのだんじりや」と腰を抜かさんばかりに驚いていたが、私が今日母に尋ねたところ、堺高女では大正15年に学校にミシンが入り洋裁の授業が始まっていたという。(記憶違いがあるかも知れないが)

 そして同じ頃、驚くことに私の祖母(母の母)は月賦でミシンを買っていた。つまり家にミシンがあったのだ。
 赤貧の母子家庭でどう金策したのかは摩訶不思議なのだが、もともとは大阪の地主のお嬢さんで、大倉喜七郎の片腕であった夫と結婚し、上海でダンスパーティー三昧という浮世離れをした御伽噺のような人であったので、御伽噺のような買い物をしたのだろう。(当時は夫の早世などもあり赤貧だったのだが)
 その娘であった母は、淀屋橋にあった洋裁学校に行きたくて行きたくて仕方がなかったが、もちろん月謝が工面できず、あとは家で本を見ての独学で、製図をして大中小の型紙を作って、その型紙を基に形式上は祖母が、事実上は母がデパート勤めと併せて洋装店らしきものを始めたと言う。「糸子」がパッチ屋で働き始めたか、その少し前のことである。
 母が、そのように昭和の初っ端に白木屋デパートや松阪屋で子供服の販売とミシンを担当したモダンガールだったことは5月14日のブログに記述した。
 以上は・・・、朝ドラの時代に、祖母(曾祖母)がそんなふうであったことを、私の子や孫のために記録しただけである。
 末っ子である息子たる私は、母親の昔話など、ず~っと(全く)聞かずに過ごしてきたので、こんなつまらない昔話を「これも近代史か」と、この年になって少し楽しんでいる。

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