2011年10月23日日曜日

段取り八分

 度し難い親馬鹿の独白であるが、私の子は二人ともフロイト先生やユング先生の(心理学でいう)「父親殺し」を演ずることもなく、正直に言えば少々寂しさを感じさせるほど、とっくの昔にさっさと親離れをしていった。
 そして、「親はなくとも子は育つ」というか「子は親とは違う方法で山登りをするものだ」という名言を実感させられるように、いつの間にかそれぞれ一端の大人の真似をするようになった。
 22日に開催された娘たちがプロデュースしたパーティーは、あちこちに気配りと段取りがされていて感心してしまった。
 妻が「あれは私の〔段取り八分〕(だんどりはちぶ)の背を見て育ったからだ」と言うのだが、十分に親を追い越していってしまった感がある。
 ちなみに〔段取り八分〕とは、その昔仕事も人格も立派な上司から教わった言葉で、誤解があるかも知れないが、工事や製造や行事を問わず、段取りがしっかりできればその企画は八割方仕上がったも同然・・何ごとかを確実に仕上げるためには段取りに八割方の努力を傾注せよ・・といったような教訓と勝手に理解している。
 おまけに今回は、そういう段取りでは如何ともし難い天候まで味方に付けてしまった強運にも脱帽した。

 娘たちが企画と準備をしたパーティーの成功を祝って、今夜、46年前の年号ワインのコルクを抜いた。

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