今朝、毎日新聞ほか新聞各社が、「大嘗宮 藤原宮跡で建物跡発見は誤り 奈良文研が訂正」と・・いかにも“なにをしてんねん”というような雰囲気の記事を掲載しました。
奈良文化財研究所が、7月に調査の中間段階で発表したものを、より検証したところ“そうではなかった”と訂正・謝罪したもので、冷静に報道すればよいだけのものだと思いますが、何か大新聞の“上から目線”が気になります。
そうであれば、少し嫌みになりますが、10月23日の毎日の記事(右の写真)は何でしょう。
「柱跡発見で、恭仁宮の大極殿院は平城宮と酷似・・・」と、、!!!
あれれ、平城宮第一次大極殿院の柱跡なんて、そもそもあったのですか? 平城宮大極殿はたしか基壇跡は発掘されたが、基壇の上の柱跡は、礎石も全部移築されたため不明のはず。
ですから、平城遷都1300年祭で有名になった“復元された大極殿”は、平城宮から移築された恭仁宮の柱跡(礎石)を基に復元されたものですよね。
それを、ひっくり返して酷似と言ったり、続日本紀の「平城宮の大極殿を恭仁宮に移築した」との記事が裏付けられた・・などという記事はおかしくないですか。
奈良文研に倣って「あの記事は誤り・・毎日新聞が訂正」という記事を掲載しないのでしょうか。
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