2013.10.20の記事に貼付した写真 |
その1 製作者が蝶や昆虫について無知なため誤って8本にしたという仮説。
その花瓶は元禄5年(1692)の元禄開眼会の折りに池坊の藤掛似水が寄贈したものらしいから、そんな「出来損ない」を寄贈したとは私は思えない。
その2 突然変異の蝶を見つけて感動してデザインしたという仮説。
この説は少し楽しい。「奈良観光」というネットに紹介されていたが、この蝶を見たスイス・バーゼル大学ワルター・ゲーリング博士は「歴史上最初のホメオティック突然変異の発見者は日本人だ」と驚嘆したと、東大出版会の著書名をあげて書いている。でもねえ。
その3 仏教に紛れ込んだ道教(陰陽道)が八という数字を目出度いものとしたからという仮説。
中国の古代思想に「八觚」「八通」「八卦」「八節」「八風」「八方」等『八』を重視した考えが見受けられるが、だからと言って、なかなか八本脚にまでは辿り着かない。
その4 蝶は神仏の使いであるからという仮説。
変態する蝶が「不死不滅」「不死→吉祥」「輪廻転生」「霊魂の化身」「異界と往復する」のイメージと重なるというのは、能等でもいくつも確認できるから、阿修羅のごとく千手観音のごとくその霊力を表現したと考えうるが、では、八本の脚は何を表現しているのかなかなか想像が及ばない。
その5 「寄る辺の定まらぬ様」の補強という仮説。
中国古典、源氏、能でのもう一つの蝶のイメージは「寄る辺の定まらぬ様」であるから、そのマイナスイメージを八本脚でしっかりと花瓶(仏前)を掴むことで克服しようとしたとは穿ち過ぎか。
その6 桃山文化後の遊び心の装飾性という仮説。
以上5つの仮説を検討したがもう一つピンとこなかった。
そんな検討の過程で「新日本大歳時記・春」の「蝶の意匠」を見ていたところ、『梅樹揚羽蝶紋様狩衣』(黄地蝶梅文様繍狩衣)白山長滝神社(白山中宮長滝寺)の宝物が飛び込んできた。明らかに八本脚である。
元和6年(1620)の墨書があるというから家光の時代である。
これは、前5つの仮説を下敷きにした作家のデザイン力、デフォルメではなかろうか。
花瓶はその72年後の元禄時代で、時代の気風はよく似ていたのでは…。
ということで、私の辿り着いた感想は、5つの説を下敷きにしながらも、われらが先輩である職人が「六本脚では物足りない」との遊び心で膨らませたデザインだという説に納得したい。
そして、「こんな蝶々見たことあるか!」と造った先輩たちの遊び心に、300有余年後の平成人が首を捻っているのを、高いところから先輩たちが笑っているのを想像すると一緒にこちらも笑いたくなるから、我々は先輩たちの思う壺にはまっているのである。
かつて上岡龍太郎氏が弁護士であった父の思い出を語って、「ベンゴシもマンザイシもシは同じやが人の不幸で商売しているベンゴシより人を楽しませて商売しているマンザイシの方が上や」と父親に言われたというようなことを聞いた気がする。
歳がいくと難しそうな顔をして感情を抑制して生きるのが正しいと思っている方もおられるが、「いやいや、常識の外に笑いと遊び心を羽ばたかせませんか」と大仏殿の蝶は御仏の伝言を私たちに教えているのではないだろうか。
それとも、「つまらん常識みたいなもんに捉われていたらあきまへんで」というメッセージやろうか。
返信削除羽の生えた天女がいて、クチバシを持つ仏がいて、目が顔が手が幾つもある仏もざらにいるのが仏教世界の表現方法や! といったら、ちょっと面白味が減りますね。
蝶の足は2本づつで合計4本じゃありませんか?前の2本は手じゃありませんか?8本も足があったら、千手観音いや千足観音の蝶になってしまします。中世日本人の粋な洒落だと思います。
返信削除前の2本は手ですか。はい。
返信削除「粋な洒落」説、同意します。
といいながら、どこかの有難い仏典にそんな蝶のことが書かれていないかと探し続けたいと思っています。
上岡龍太郎氏の父親の「弁護士も、漫才師も師は同じだが人を楽しませて商売している漫才師の方が上や」と言ったお父さん立派やと思います。
返信削除chinunoumiさん、コメント投稿に支障はなくなったでしょうか。
返信削除さて、上岡龍太郎のお父さんは京都で有名な、今でいう人権派の弁護士で、故に貧乏だったそうです。
どこかの弁護士出身の市長さんとは大違い。だから、こんな言葉が重みをもって吐けたのでしょう。
蜘蛛に羽が生えて蝶々になったのですよ。きっと。
返信削除今朝のコメントはテストのつもりでした、たまただと思います今後もうまくコメントできるかどうか疑問です。
返信削除mykazekさん、新説ですね。
返信削除chinunoumiさん、また匿名になりましたね。懲りずによろしくお願いします。
mykazekさんのようにSF的発想も羽ばたかさねばならないと反省です。
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