街路樹の落ち葉も風情があるが、それが自分の家の前の現実となると話は複雑になるようだ。
鈴懸の木(プラタナス)は幹もきれいで立派な街路樹だが、落ち葉の季節になると、茶色い大きな葉っぱが”バサッ バサッ”と投げつけるように落ちてきて側溝を塞いでしまうほどだから、そこの木の前の家の方は毎年秋にはボヤイテおられた。
だから、街路樹ではないが、近所に植わっている鈴懸の木(プラタナス)を見るたびにその人のことが思い出される。
つまらない薀蓄だが、鈴懸という名前の由来は、〽旅の衣は篠懸の~~ の勧進帳・安宅のとおり、この木の丸い実の形が山伏の結袈裟のぼんぼり(房)に似ていることから山伏の衣=篠懸(すずかけ)となったらしい。
しかし、そんな由来は最近まで知らなかった。
それよりも、一番身近には 〽友と語らん~ の灰田勝彦の「鈴懸の径」が思い出されるから、実際の鈴懸の木を知ったときにはそれまで抱いていたイメージよりもその黄葉の大雑把なことに違和感があった。
同じようなことは、作詞北山修の名曲、シューベルツの「風」の2番ぐらいの 〽プラタナスの枯葉舞う~ にも言えることで、鈴懸の木とかプラタナスという名前のもつロマンチックなイメージとは相当隔たった嫌われ者の落ち葉である。というか、誰も知らないことをいいことにプラスイメージだけが広まっている。
こういう風に、私だけかもしれないが、世の中のほとんどの事柄は知ってもいないのに解ったようなイメージだけで解ったような気になっている。
※ 上の写真の鈴懸の落ち葉は例外的に美しい落ち葉で、圧倒的にはただただ焦げ茶色のゴミのような落ち葉である。
黄葉ついでに・・・、近くの公園で「木津川アート」というイベントが行われていた。
木陰に鉄製の2匹の大きな蟻が展示されていた。ひとつは抽象で、写真のひとつは具象だった。
鉄製とはいかないが、木製あたりでちょっと真似をしてアートを作ってみたくなった。
この歳になると無芸大食が少し寂しい。
万博公園のプラタナスの大通りは高さ10メートルを超える巨木でその落ち葉たるやジャイアント馬場の手の2倍はあろうかという大きさ、バッサバサという感じで落ちています。
返信削除それにしても2枚目の写真はどういうシュチエーションなのでしょうか?巨大なアリに跨った夏ちゃんを今まさにオッサンが蹴り倒そうとしているような、これはやっぱり解説付きでないと!
そうですよね。「風」の「プラタナスの散る音に振り返る」というイメージよりも、高校の運動部の選手たちがザッザッザッザッと走ってくる感じです。ロマンチックを超えています。
返信削除なお、作品(写真)の解釈は読者に委ねられています。
鈴懸の径
返信削除友と語らん 鈴懸の径
通いなれたる 学舎の街
やさしい小鈴 葉かげに鳴れば
夢はかえるよ 鈴懸の径
・・・・この歌は昭和17年に佐伯孝夫作詞灰田有紀彦作曲で灰田勝彦が歌ったもので、この時代には珍しく戦争の匂いがしない歌。しかし、その曲調は何故か悲しく、学徒出陣・学徒動員(昭和18年)を目前に控えた時代を反って感じさせる。戦後はジャズ調にアレンジもされヒットした。ラジオから流れてきたこの歌を私は好きだった。
高校でブラスバンド部に入って「クラリネット」を吹いていたこともあって「鈴懸の径」は大好きでした。鈴木章路さんがジャズにアレンジして大ヒットしたのでした。日本のジャズのスタンダードナンバーだと思います。
返信削除鈴懸がプラタナスとは知りませんでした
返信削除子供の頃住宅街は
延々と続くプラタナスの並木道でした
前のお家の方は大変だったんでしょうね
今我が家は キーウイの葉っぱがカサコソと大変です
今朝も袋いっぱいになりました
実が目立つ様になり 鳥がつつき始めました
ひげ親父さん クラリネットでジャズ素敵ですね( ^)o(^ )
わこたん、我が家の前はケヤキ並木です。
返信削除週2回の「生ごみ」の日に最低3袋は出しています。
それでも、本番はまだこれからです。ああ。
クラリネットでジャズと聞くと、懐かしいナツメロの感じがしますね。素敵です。