子供たちが小さかった頃、毎年北アルプスなどへ、ファミリー登山に行っていた。
そして、大きくなった息子はそのような自分の思い出(つまり私たち両親の子育て)を肯定してくれたのだろう、同じように小さな子(私の孫)を連れてあっちこっちに行っている。
8月末に息子たちファミリーが立山の室堂に行き、携帯で「今ここにいます。見えてますか?」と連絡してきた。
室堂には定点ライブカメラが設置されており、パソコンやスマホを開けるとライブで様子(人々まで)が判るので、隔世の感を深くした。
私が山に行っていた頃はライブカメラどころか携帯もテレビもなく、地上とは隔離された別世界だった。
立山の内蔵助(くらのすけ)山荘に泊った翌年、その小屋のすぐ目の前で多数の遭難者が亡くなっていたという事故があったが、霧にまかれたときには10m先の小屋が見えずに力尽きたというのも実感としてよく理解できた。
現職の頃は事務所が閉鎖されての夏休みというものが無く、皆で調整して夏期休暇と年次有給休暇を取りましょうというものだったから、結局、部下の休暇を優先したりしているうちに長期休暇が取れずにいた。
それだけでもないが、雲ノ平、裏銀座縦走は何回も計画しながら結局行かずじまいだった。そこは黒部の源流である。
山登りは体育部というよりも文化部だと私は思う。
自然のすごさを知り、人間の小ささや薄っぺらい「文化」や「便利さ」の頼りなさを否応なしに教えてくれた。自然への畏敬というものである。
そんな北アルプス登山黎明期には、「文化」以前のバケモノもカッパも遭難者の幽霊もいた。そして山賊がいた。
伊藤正一著「黒部の山賊」山と渓谷社はそんな時代の嘘のような本当の話である。
山賊と言われた猟師たちの驚異的な体力と運動能力、後年彼らが都会に出たときには「道が滑って怖い」と歩けなかったこと、そして数々の自然の驚異と遭難、・・・熊とバケモノ・・・・近代化する法秩序との矛盾、現代に通じる人間の諸問題も考えさせられる。
この本は、昭和39年に出版され、平成6年に新版刊行、そして本年、「定本」として三度出版されたものである。
伊藤正一氏は労山(日本勤労者山岳連盟)の創設者の一人で、北アルプスでは有名な小屋主だった。そして、林野庁の一方的な地代改訂に裁判闘争をした人としても有名だった。
先日の御嶽山の噴火事故でも、テレビニュースは自衛隊や消防隊をクローズアップしていたが(彼らの努力は大きく評価するが)、小屋主や山小屋スタッフらの命を顧みないような努力で相当な人々が助かっていることを思い返したい。
10月31日付け朝日・声欄にも、噴火時に山頂にいた方の「山小屋の方々に感謝」という投稿が載っていた。
定本・黒部の山賊(定価本体1200円)山と渓谷社は、一気に読んでしまうのが惜しいから、秋の夜長にゆっくりとページをめくるのがよい。
そうしていると、どこか遠くからオーイオーイと声が聞こえてくる。
その声にオーイと応えると山では二度と生きては帰れない。
黒部市のホームページに2011年に「黒部峡谷欅平から祖母谷方面へ向かわれる方へ!」というお知らせがあり、写真の看板のことが詳しく「注意」されていた。(今はない)
看板には、「危ないんだぞーっ!」・・という標題の下に、「生きている黒部を押さえ込むことは人間には不可能です!」「怖いと思ったら、ここで引き返してください!」「しかし・・・自己責任で訪れた方にはきっと感動を与えてくれることでしょう。」とある。
いいねえ!
(写真の上でクリックすれば拡大されると思います。)
本日(11/1)、過労死防止法が施行された。
危ないんだぞーっ!、長時間過密労働は。
怖いと思ったら、そこで引き返してください。
畦地梅太郎さんの木版画はいかが?
返信削除昔、燕山荘で畦地版画のTシャツを買って大事に着ていたが今はもうない。