しかし本当に私の方がおかしいのだろうか?と、思いつつ・・・・
それを感じたその場所は「うめきた」である。
少し世相を見聞しておこうと、ショッピングはハナから度外視して、夫婦で「うめきた」をハイクをした。本当にハイキング。
近大マグロは長蛇の列 |
私には、それは到底食事を楽しむBGMとは感じられず、一言でいえば不快な音楽だった。
結果的には、「こんなうるさいところで食べたくない」と夫婦で阪急百貨店に行って串カツを食べて帰ってきたのだが、私の感覚が正しいのか、それとも時代遅れの愚痴なのか・・・・・・?
一見したところ私たちと同様の高齢者も少なくないので、このBGMへの違和感・不快感の問題は、単純な世代間格差でもなさそうでもある。
だとしたら、ただの田舎者が都会に毒づいているだけだろうか。
あるいは、もしかしたら、あの強烈なBGMに耐えられるのは健康な精神の証なのかもしれなくて、少しストレスを抱えた人間には重すぎるという問題なのだろうか。判らない。
少し話はずれるが、虫の声を左脳(言語脳)で聞いて楽しんでいるのは、世界広しといえども日本人とポリネシア人だけだと言われてる。
正確には人種としての日本人ではなく、「日本語を母語として育った人間」ということらしい。
言いたいことは、虫の声を快く感じるか、騒音として不快に感じるか、決定的に異なる人間が地球上にはいるということである。
それと同じことがBGMについても当てはまるのかどうかは判らないが、「うめきた」で我々夫婦は少数民族の悲哀に似た違和感を感じたのだ。
私の思春期の入り口は和製ロカビリーの時代だった。藤木孝、ミッキーカーチス、山下敬二郎等であった。当時それらは「不良の音楽」と言われ、親の世代は確実に騒音扱いしていた。
その私が、娘が高校時代に聞いていた音楽をどうしても理解できなくなっていた。
だとしたら、結局は時代遅れの年寄りの愚痴だろうか。 だが、納得できない。・・・・そこで、
分析的に推定すれば、『今この店で食べなければ大損をするぞ』・・的に強迫的に駆り立てているかのような音量でありリズムである。それはパチンコ屋やスーパーと共通する『誘導音楽』だと私は思う。あの音量を不快と感じない人というのは、『消費を誘導する計算された音楽』に飼いならされた人のことだとしか思えない。
その昔、当地のスーパーでは「踊るポンポコリン」や「ロッキーのテーマ」が流され、それが一般庶民の購買意欲を刺激していたことは識者から指摘されている。
これって、一種の遠吠えですか。
そんなあれこれを、息子から借りたボサノバのCDをBGMにかけながら考えた次第。
そうか! 「うめきた」に大人の文化を期待するのが阿呆だったのか。
この直観、結構「うめきた」の明るくない未来を言い当てているかも知れないと思い始めている。
サウンドスケープという言葉もありますね。外国でもBGMがうるさい百貨店や飲食店はありますが、梅田はご指摘の通り、歩いているだけでしんどい街です。梅田はくつろぎという点からはかなりかけ離れた街になった気がします。
返信削除mykazekさん、おはようございます。都市計画について私は知識も対案も持っておりませんが、知っていることは「大資本にとっては街の将来像などは何の興味もなく、ここ5年ほどでどれだけ儲かるかだけだ」ということです。夢は、大阪駅前に巨大な棚田(千枚田)をつくって皆で手入れをしたら楽しいだろうなあと思うだけです。もちろん音風景は蛙とホトトギスです。
返信削除少なくともグリーンベルトにしようという構想はあったみたいですが、阪急インベストメントの独占欲の前に雲散霧消したみたいです。こうなったら、元の「埋田」(梅田の語源)に戻しましょう。それと唯一、「UMEGLE」バスはイイですよ。これに乗って茶屋町の北の方に行けば静かな処もあります。
返信削除さて、mykazekさんもひげ親父さんも、私の記事の中の大前提である「うめきたの飲食フロアはうるさすぎる」という指摘については如何でしょう。大きな人の流れの中で、私は「私がおかしいんやろか」と悩んだのですが。
返信削除「あの強烈なBGMに耐えられるのは健康な精神の証」ではないと思います。落ち着かないし食事を味わうところでないと思います。強烈な音量・強烈な刺激の行きつく先はと想像すると恐ろしいです。ついつい大きな音量(声)に耳を奪われそうになりますが。
返信削除ブログとコメントを読ましてもらっただけで足を踏み入れたくありませんネ。梅田や難波のターミナル、地下街の人混みですら戸惑いと怒りがこみ上げてくる今日此の頃です。君子危うきに近寄らず。
返信削除今朝のMBSラジオ「上野誠の万葉うたごよみ」で「水鳥は姿で季節を知らせ野鳥は声で季節を知らせるが夏の訪れを知らせるのはホトトギスである。で、万葉集でホトトギスは・・・・」という話の前に「音といえば、飲食店は暇なときは落ち着いた音楽を流すが混んでるときは忙しない音楽で客の回転を図る。」という核心をついた話があった。
返信削除「うめきた」、そのとおりだろう。でも、そういう風にお客を馬鹿にすると「気が付いたときにはもう遅い」ということになるでしょう。
強迫ではなく脅迫とあえて言おう。現代は、(TPPだ)バスに乗り遅れるぞ、(第三極だ)時代に取り残されるぞ等々という脅迫の時代である。
返信削除その種の脅迫に誘導されることなく、かつ、時代の変化をしっかり見据えて、主体性を持って生きていきたいものである。
脅迫の実戦部隊であるマスコミの現状に不満と嫌味を言っているだけでは時代は変わらない。
長谷やんさんと全く同感です。
返信削除うめきたのわりと近所なのですが、開店の人出がある程度おさまってからと思い、先週、0時をまわってから初めて友人と行って来ました。深夜に1つだけ動いているエレベータの場所がわかりにくいと聞いていたのですが、自分たちも少し迷いました。
一瞬、入ってかっこいいデザインだなとは思ったのですが、それも1分と持たず、不快に感じてきました。アバクロの店内とかならこういう音楽もありだと思いますが、食べる場所としては「どのお店にしよ?」という会話もしんどいくらいの音楽、それも飛び抜けて激しいビートで、かなり下品でとても不快に感じました。
適度な音量で、ボサノバくらいならまだよいんですけれど、食事を楽しむ雰囲気では
全くないと思います。通路の座席が自由に使えるのはいいのですが、0時をすぎると酔って机に突っ伏している方も数多く、なんだかなぁでした。
海外では深夜に開いている飲食店も多いですが、1店舗内ならともかく、ここまで全体にひどい音量で激しい楽曲を流してるフロアは経験がないです。「これって誰が選曲してんねん!」「音量は誰が決めてんねんやろ!」「(音楽が)柄悪すぎで不快わや」「降りへん」「俺も降りたい」「近大まぐろは閉店してるし、もうええやろ」とお互い大声でお互い耳打ちしながら歩きました。まるでクラブの中に飲食店があるようです。
Peachが早朝発の関空国際便に接続するバスを待つ場所として、ここと組むことを検討しているようです。この音楽では乗る前に疲れきってしまうだけだと思いますが、梅田も妙なことになってしまったなぁと思います。
残念ですが、二度と行きたくないと感じてしまい、他の店に逃げ込みました。これがグランフロントのイメージなんだとすると、とても残念ですし、こんなコンセプトなのなら、おしゃれだけど柄の悪い場所としか感じず、関西の恥だとさえ思います。飲めればいい、騒げればいい、今風ならいい、おしゃれならいいと勘違いされているようで、おもてなしの心が全く感じられないフロアでした。
けろさん、コメントありがとうございます。
返信削除あんまり実際に感じられたコメントが少ないので、少し『やっぱり私が気にしすぎなのか』とシュンとしていましたが、見事な現場レポートを戴き『それほどおかしいなかったんや』とホッとしています。
であれば、在阪のマスコミ、特にテレビ局の近頃の批判精神の劣化、いやそれ以上にCM料を頭に置いたお追従のあれこれには嫌になりますね。
ズバリ、あのBGMの企画者は「大阪の田舎もんは賑やかにしておけば喜ぶねん」と嘲笑っていますね。
ほんとうの上方文化はもっと品のよいものです。
これからもコメントをよろしくお願いします。