2013年5月18日土曜日

法華堂 再び

 
二月堂下の黒板
  東大寺の三月堂ともいうが、法華堂の須弥壇の修理がこのほど完成して拝観が再開された。
  元々(?)法華堂にあった日光菩薩、月光菩薩、弁財天、吉祥天、地蔵菩薩、不動明王は、免震装置完備の東大寺ミュージアムに移ったが、不空羂索観音菩薩をはじめとする9躰の仏像と1躰の秘仏(全てが国宝)が戻ってきた。

  私の第一印象は、「程よい配置になった」・・である。
散華
以前は堂内にあまりに仏像が多すぎた。
 (全て私見なのでご容赦を!)
 (今回の調査では元々もっと多くの仏像が並んでいたことも判明しているが・・・)

  照明は、これを機に明るさを抑えてLED化されたというのだが、これはスポットライトの技術のおかげだろうか、私には以前よりも輝くべきところが輝いて見えた。
 本尊の金箔の剥げ具合というか、残り具合というか、東大寺の公式パンフレットよりも何倍もキラキラと輝いて美しかった。
 時代を経たその程合いが絶妙で、仏像の奥に確かに仏様を見た感じがした。
  これまでも、遠方の友人が来た時などには法華堂に案内していたが、ますます案内したくなった。
  よい修理工事だったと思う。

まんなおし地蔵尊道標
  私は、仏に現世利益を求めたり、まじないをお願いするのは、基本的には邪道だと考えている。
  しかし、人事を尽くして天命を待つ局面も人生の現実には存在する。
 その時の天命が「少しでも後で『良かった』と感謝できるように」と手を合わせることもある。今回はそんな思いをお願いした。
 そして、二月堂に移ってから、北東角の「まんなおし地蔵尊」の道標に向かって「まんなおし」もお願いしてきた。(これはおまけ)

大仏さんの鼻の穴
  この季節の東大寺は幼稚園児から高校生までの遠足や修学旅行で大賑わいである。
  その群衆の中を歩くと、病気のことや後ろ向きの事柄を忘れてしまう。
 仏さんには悪いが、ちびっ子たちの嬌声は仏さん以上に気分を癒し体を健康にするようだ。
  それもこれも仏さんの功徳なのだろう。合掌。

8 件のコメント:

  1. 神も仏も信じないがお寺に行くと何百年も前からの人々の願いが伝わってきて自然と神妙な気持ちになり頭が下がりお参りしています。

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  2.  6年前に脳梗塞を発症し、3年前にパーキンソン病と診断されました。パーキンソン症状は特効薬を服用しても次第に効き目が減少していくようで、時に歩行障害に苛立つこともあります。そんなとき私が仏教者であることが救いになっています。そんな状態でもそんなに不自由なく生かされている自分を発見できますし、障害は自分を生かすための試練だと教えてくれるからです。これ以上に困難な症状に直面した時にどう対処できるか、その時が人として、仏教者としての私の勝負の時かもしれません。

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  3.  私は以前は、教条的なほどに親鸞の教えが好きでした(実際には全く理解などできていないのですが)。
     だから、南無阿弥陀仏の六字の名号に比べれば仏像というのはアニミズムの延長のように感じていました。
     ただ近頃は、論理的に何かをつかんだというのではなく、仏像にお参りするという・・これもまたありかなと感じています。
     そんなひねくれ者の法華堂再発見記です。
     yukuriさん、和道おっさん、コメントありがとうございます。これからもお導きください。

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  4.  各学校の遠足風景もおもしろい。何があったか知らないが子供たちを座らせて怒り散らしている学校がある。せっかくの遠足(修学旅行?)なのに。 暑い日に制服(上着)を着たままの学校も多い。臨機応変は無理なのだろうか。 東京のお嬢様学校と思しき集団が「奈良って癒される~」と。よほどストレスまみれの日々なのだろうか。 小グループで地図を見ながら右往左往している小学生。一番生き生きしているように見えた。 そして柱くぐりには園児たちの長蛇の列。善き哉、善き哉。

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  5.  記事とは全く関係ありませんが、長谷やんの「やん」は敬称のひとつです。自分のブログのネームに敬称を付けているのも馬鹿と言えば馬鹿ですが、ニックネームにはよくあることだとお許しください。よって、コメントの折に「長谷やんさん」と言われるのは敬称がダブってコソバイので、呼びかけの際は「長谷やん」とお願いします。私からの場合も、敬称付のニックネームと思しき方々にはそのように呼びかけさせていただいています。

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  6.  今日基準の会の会議への途中、小学生の下校時間と重なり半袖の児童と長袖の児童がほぼ半数づつ見かけました、今日は気温も高く長袖の児童は帽子を団扇代わりに扇ぎながら電車を待っていましたが、半袖通学と長袖通学は学校が決めるのでしょうかね? それと荷物の多さにはビックリしました低学年児童は引き摺るようにしていましたが中に何が入っているのか、もう少し身軽に通学が出来るようにしてあげないと危険やと思いました。
     余談ですが、制服もええ加減に止めたらどうでしょうか?学校,父兄各々に事情があり簡単にはいかない事情もあるとは思うが、以前制服の値段が5万円近いと投書がありましたが、授業料がやっと無償化になる(なった?)としても大変なことだと思いますが、お金の心配なく教育を受けることができる世の中が来るんでしょうかね?

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  7.  制服は貧富の差に基づく劣等感が生まれなくてよいという意見があり、一概に全否定できない側面があるようです。しかし、中学校や高校の詰襟は基本的に軍服の一種ですよね。それに、おっしゃる通り気温とは無関係に形式的に運用されていたりして、結局子供を一切大人扱いせず管理対象にしているのだと思います。私の子供たちは非常に珍しく私服の公立中学校でした。「あまりに無茶をしたら制服になってしまう」という子供たちの自覚で基本的には上手くいっていました。多くの生徒はジーパンにTシャツで、費用も安いし、度々洗濯するので制服よりは清潔でした。私は自分が制服を着ていたころ、まさか制服が子供の時代まで残っているとは思っていませんでした。

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  8.  法華堂に行って来ました。私は「程よい配置になった。」と書きましたが、今日来られていた方は「前のゴチャゴチャしてた方がええわあ」と・・・人それぞれです。
     前も気になっていたのでお寺の方に「合掌の間にあった水晶玉はどうなったのですか。」と尋ねると、ライトの関係で非常に見え難くなったとのこと。「すいません。」と謝られました。
     観光的な発想から言うとあそこにはライトを当てて欲しいなあ。

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