2013年4月14日日曜日

枚方宿 くらわんか舟

  東海道五十六次目の枚方宿のハイキングに行ってきた。
  ここは京街道(東海道)の宿場町であるとともに三十石船最大の港であり、その船に小舟で引っ付き「めしくらわんか」「さけくらわんか」と商売をした「くらわんか舟」でも有名である。
  江戸時代、幕府の許可書(過書)を持って淀川を上下した船を過書船(かしょぶね)という俗説を学芸員が説明していたが、今も昔も歴史をねつ造するものが多いのは困ったことである。
  そもそも歴史書は勝者が書いたという大前提を忘れる者が多い。
  真実の歴史を言えば、大坂夏の陣の折、家康が真田幸村に追い詰められ最後は後藤又兵衛の槍によって絶命したのは天下公知の事実で、家康の墓は有名な堺の南宗寺にある。
  そして、大久保彦左衛門と家康の替え玉(身代わり)がほうほうの体で逃げる途中、ここ枚方の葦原で鍵屋の小者に助けられて命拾いをして江戸に帰って幕府を開いた。
  その小舟の底にかくまってもらった折り、偽家康は「恩賞は望みに任す」とお墨付きを与えたので、天下統一後、鍵屋たちに飲食物販売舟(くらわんか舟)の権利と「不作法天下御免(河内弁おとがめなし)」の特権を与えたが、その折、「恩賞望みどおり」とは書いては見たが、「それなら副将軍にしてくれ」と言われればしなくてはならなかったので偽家康は冷や冷やしたと言われている。
  で、「恩賞望みどおり」とは『書き過ぎた』と反省したので、淀川の許可船を過書船というようになったというのが歴史の真実である。
  という正しい歴史を、確か三代目旭堂南陵や桂米朝に教えてもらったことがある。
  そのため、アカデミックなガイドさんの説明を聞きながらも、「どこかに難波戦記の片鱗が転がっていないか」と探しながら歩いている自分がいた。

11 件のコメント:

  1. えっ・・??!!家康は大坂夏の陣で戦死したって・・??
    此の年になってからの初耳です。天下公知から外れていました。もっと詳しく教えてください。
    似た話では明智光秀は生き残って後に千利休となった。これは最近私がお茶の先生から聞きました。
    巷では義経がジンギスカンになった。漱石の「猫」の中の銭湯の場面では和唐内は清和源氏だった・・・類の話は聞いていましたが、家康戦死説は始めてです。

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  2.  スノウさん こんにちは。千利休が修行し沢庵和尚が住職を務めた堺の古刹南宗寺には家康の墓があり瓦は葵の紋です。故に二代将軍秀忠、三代将軍家光が相次いで南宗寺を参詣しています。これらは公益社団法人堺観光コンベンション協会のホームページにも載っています。
     このため、99%の堺人は家康の戦死を信じています。(つまり、この説を信じない者は堺市民であっても堺人ではないわけです。)
     三代目旭堂南陵の弟子たちは、そういう史実を見て来たかのように講釈しています。(クスクス)

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  3. 枚方には歴史の片鱗がたくさん埋もれているかもしれませんね。私も、枚方の国道1号線周辺が激戦地となった東海道戦争というものがあったと筒井康隆氏の文献で知りました。そのうち、戦跡をしのびにハイクにでも行こうかと思っています。

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  4. 太閤さん贔屓の大阪人にとって憎っきは家康であります。祖母は「体(から)は小っちょても太閤さん」と無名の若者が天下人になったことを褒める例えを唄うように教えてくれました。子供会で八尾の史跡巡り(昔は欲得なく子供の世話をするオッチャンがいたんですな~)をしたときに、まだ「小南陵」と名乗っていた南陵師匠が家康の悪口を並べたくる話を面白おかしく語ってくれました。

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  5. 長谷やんさん。情報、有難うございます。知らなんだナー。近々「南宗寺」に行きます。成程、堺は聞いてはいましたが歴史のある奥の深いミステリアスな街なのですね。それにしても今迄沢山の事象が「東京(中央権力)情報」で毒されているのでしょうね・・。石原に媚びする橋下は大阪の恥ですな。

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  6.  mykazeさん こんにちは。枚方を経った三十石船が上りますと伏見です。
     桃山御陵前に240年の伝統を誇る「魚三楼」という料亭があり、京町通の表の格子には鳥羽伏見の戦い時の弾痕が今もあります。
     お昼の御膳ならビールを飲んで5000円程度ですから、歴史ハイキングの〆にはちょっと贅沢ですが、奥様孝行には最適です。

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  7.  ひげ親父さん、スノウさん。・・・・・とは言うものの(書いては見たものの)、家康の悪口や巨人の悪口で溜飲を下げているようでは、(そんな大阪人は)橋下代表の思う壺かもしれないと、少し反省しています。

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  8.  以前からΓくらわんか舟」って、けったいなネーミングやなと想っていたので由来を聞いてみようと楽しみにしていたんですが参加出来ず残念でした。
     商売人がΓくらわんか、くらわんか」と横着な物言いで物を売るのはなんでやろ?と不思議に思っていたんで!。

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  9.  海外旅行に行った方々の話を聞きますと、うぶな日本人には、絶好のカモが来たとして物売りが寄ってたかってくるところが多いようですが、そんなイメージなのでしょうか。三十石船にコバンザメのようにへばりついて汚い大声で挑発して酒や料理を売ったのでしょう。
     「船ははや枚方といえるところ近くなりたりと見え、商船ここにこぎよせこぎよせ 飯くらはんかい、酒のまんかい、さあさあみな起きくされ、ようふさる奴らじゃなと、苫ひきひろげわめき立つる」(膝栗毛)

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  10. 今日、堺の南宗寺に行ってきました。天王寺から生まれて初めて「阪堺電車」に乗りました。昔懐かしい「市電」の味を楽しみました。バスの比べて乗り降りがし易く、乗り心地も良く、200円は安い!堺市の支援を受けているとの事。何時までも残しておきたいものですね。「半井卜養」という連歌師で江戸幕府の御典医になった人物のお墓の「謎」も教えてもらいました。「堺」と言ったら重工業都市で味もそっけもない街と思っていましたが「大反省」!帰りに「けし餅」を土産に買って帰りました。

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  11.  スノウさんの行動力に敬意を表します。きっと隠れキリシタンの諸霊も喜んでいることでしょう。
     実は堺人は本質的には反大阪なのです。ですから大阪都構想はここから崩れる可能性が少なくありません。崩したいものです。
     ちょっとでも堺に親しみを感じていただいて喜んでいます。
     

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