2013年4月12日金曜日

言葉の海

  私は無趣味が趣味のようなものだが、あえて言えば、唯一、乱読が趣味である。
  ところが、けち臭い話で、ここに文字にするのがはばかられるが、小説は単行本で買うのがもったいなくて(例えベストセラーと言われておろうが)文庫本になるのを待つのを常としている。
  そんな中、単行本が文庫本になる前に、三浦しをん著「舟を編む」が映画化され、この13日から上映されるという。なんということだ。
  自称活字派としては読書の前に鑑賞というのは許せないし、それに映画はシニア2人で2000円だから、この本の場合、単行本といっても1575円。それならとりあえずは「単行本を購入するのも可」と蔵相の許可が出た。(けち臭い話でお恥ずかしい。)
  で、スキップをしながら本屋に行った。
 キャッチコピーは「辞書編集部で織りなされる個性的な面々の人間模様」で、その昔、少し関連する書物であった赤瀬川原平著「新解さんの謎」を読んだときほどの驚きはなかったが、「本屋大賞」を裏切らない肩の凝らない楽しい小説ではあった。(欲を言えばもうちょっと肩こりを覚えたかったが・・)

  さて、言葉の海へ漕ぎ出すと言えば・・・、私は戦後一期生である。
  私が小学生であった時代は、ほんの数年前が戦中であったのだし、そのため、私の小学時代は国中が民主主義を模索していた渦中であった。
  だから私の好きな教頭先生は、軍国教育を支えた麗々しい漢文調が嫌いで「漢字廃止ひらがな主義者」だった。
  そして、4,5,6年担当のH先生は、戦前教育の反省から、文語体、美文調、常套句を徹底して嫌う「生活綴り方(詩を含む)教育」を礼賛した。
  そして私はというと、魅力的なこういう先生方の忠実な教え子だった。
  だから、私は今でも比較的自由な発想に戸惑いがないし、それは小学校の教育のおかげだと喜んでいるし恨みはない。
  だがしかし、客観的には、大人になってからも世間で常識とされる文章が書けず(それは中学以降の怠惰のせいだが)、少し上の世代からは「ボキャブラリーの乏しい奴だ」と嘲笑われた。
  そんな私が、近頃はテレビに向かって「なんというボキャブラリーの貧困か」と呟いているのもおかしなもんだが、今では「亀の甲より年の功」などという紋切り型の決まり文句で居直って呟き続けている。

2 件のコメント:

  1. インターネット環境の整備で、モノを書いて発表するということが一部の環境に恵まれた人だけでのものではなくなった現代は、ある意味では、生活綴方運動と連続性もあるのでしょうね。一文学研究者のはしくれとしては、モノを書くことが人生を賭けたプロの仕事であった、私たちが普通に知っている文学史というものが、これからどうなっていくのだろうとセンチメンタルに考えてしまいます。

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  2.  mykazeさん 私は、このブログの本文で紹介したような生い立ちに加えて、筆圧の高い悪筆であったため、ず~~~と、ほんとうにず~~~と、モノを書くのが大嫌いでした。おっしゃるとおり、私の人生を変えたもの、生活綴り方の記憶を呼び覚ましてくれたものは・・・ワードプロセッサーの登場でした。そして、パソコンでワードを使うようになったのは還暦を過ぎてからで、今でも右手の指2,3本でこれを書いています。
     プロとアマの垣根が低くなったなどと言うのはおこがましいですが、私でもこんなエッセイ紛いの文章を発表できるのはインターネット環境のおかげです。
     という事実(社会の変化)を直視せず、過去の経験に胡坐をかいて「パソコンは苦手だ」などと誇らしげに語る老人は、文字どおりの老人になってしまいます。
     私は貴方と貴方の時代に大いに期待しています。

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