2013年3月30日土曜日

今年は軽い

  世の中には花粉症なるものがあるそうな。きっと自然と親しまず乳母日傘で育ったものが罹るのだろう。と、その昔私は思っていた。
  食生活や生活習慣に偏りがなく、かつ、アウトドアもこなす私には無縁だと信じていた。
  だから、体力的にも充実していた30代中ごろに、歩くスキー(クロスカントリースキー)に手を伸ばし、杉林の中で春スキーを楽しんだりしていた。
  同時に、杉等の林の中にログハウスを造って遊んでいた。
  そして突然に発症した。
  これが「量質転化の法則」だろうか?(こんな卑近な例えはおかしいか?)
  三浦しおん著「神去なあなあ日常」にも「屈強な林業従事者が突然発症する」とあったし、そういう症状の「発火点」があるに違いない。
  私は、歩くスキーやログハウス造りで発火点を超えて花粉を浴びたに違いない。
  それ以来、いろんなドクターをショッピングしてきたが、私の経験から言えば、内科や耳鼻咽喉科よりもアレルギー科が一番私には合っていた。そして、その時の処方箋でもって現在かかりつけ医から投薬を受けている。
  エバステル錠を毎朝服用。眠気その他の副作用もない。
  症状のひどい時のみフルメトロン点眼薬とナゾネックス点鼻薬を使っている。
  この三点セットのお陰で、今年はあまり症状はひどくない。
  あまりマスクもせず、それ用のサングラスもせず、結構外出したり土いじりもしている。
  花粉症は花粉という異物の侵入に対する過剰な防御作用(免疫作用)であるから、妻は私の今年の症状を、「加齢により免疫力が低下したために症状がおさまったのだ」と笑っている。つまり、異物の侵入を阻止しがたいほど老化が進んだのだと。
  なんとでも言うがよい。今年私は花粉症の症状がひどくない。
  皆様は如何? そして、有効な薬等があれば教えてください。
 杉については以上のとおり。さて、檜はどうなることやら。

2013年3月28日木曜日

奈良一番桜

  奈良市内で午後に受講したい講座があった。
  天気予報は午後から雨と報じている。
  しかし考えようによってはこれは吉報「花曇り」かも知れないと考え直し、急遽おにぎりを握り、だし巻き卵を焼き、冷蔵庫からなんやかんやと缶ビールを引っ張り出して、少し早い目に奈良公園に行ってみた。

  近頃は腹の立つニュースが多い。
  娯楽番組も、同じようなお笑い芸人を雛段に並べて「ええかげんにせい」と言いたいものばかり。
  そんな中での奈良公園散策は最高の神経の休養だと思う。
  外国人を含む県外と思しき行楽客が鹿に追われて大声を出している図は平和なものである。
  今日は中国語も韓国語もロシア語も飛び交っていた。この地には尖閣も竹島も四島もない。
  奈良公園で外交交渉をすれば穏やかに話が進みそうな夢を見る。
  小さい子が鹿せんべいをバサッと取られた時には横から取り返してやり、大の大人がバサッと取られた時には「こちらの負けでんな」と笑って話しかけ、公園のベンチでビールとお弁当を広げた。
  ご 同輩と話をすると、「奈良公園はトイレが綺麗し数も多いのでここへ来ますねん」とのことで共鳴。あ~あ。

  奈良国立博物館の向いという一等地にあるが、周りがあまりに有名すぎる大仏殿や春日大社のため、日ごろは閑古鳥の鳴いている氷室神社が、一年で一番賑っているのは奈良一番桜のためである。
  一番桜とは奈良で一番早くに咲くとの理由による。
  京都丸山公園の枝垂桜はあまりに有名だが、あの周辺はいわゆる花見の場所取りと安物の商業主義で俗っぽいことこの上ない。
  それに比べると、ここの枝垂桜は神社の境内ということもあって品が良い。
  俗っぽい花見もよいが(いや結構好きだが)こういう花見も悪くない。
  奈良公園の染井吉野はまだまだこれからである。
  ストレスに疲れたお方はここでの休養をお勧めする。

2013年3月25日月曜日

おうち鍋

  アベノミクスと呼ばれる投機刺激策で(実体経済とは無関係に)物価がジワリと上がる一方、福祉や年金が改悪されていくなかで、この冬、我が家の蔵相が選択した自衛策は「おうち鍋※」の多用であった。(※お家で鍋をする夕食)
  元々、ゆず胡椒(orもみじおろし)&ポン酢の水炊きも好きだし、うどんすき、ちゃんこの類も嫌いでないから私に文句はない。
  そのうえ、大型スーパーには「〇〇鍋のスープ」なるものが「これでもか」と並べられている。
 この「〇〇鍋のスープ」なるもの・・・・、トマト味やカレー味など、食べてみるまで私は「それはないやろ」と拒絶していたが、試してみるとこれが結構いけるので正直驚いた。・・・・と言うほど種類を試してみたわけではないが・・・・。
 ただし、私の独断と偏見で言えば、ここのスーパーのプライベートブランドは、どの〇〇鍋と言わず、全てどことなく安っぽい味で二度とは買っていない。(安っぽい味かどうかは紙一重であるが、私の家族の感想を言えば、多くは紙一重くどくしつこいという印象)(つまり、食品メーカーのものの中に美味しいものが多かったと思っている。)

  先日、孫の夏ちゃんから「夏ちゃんの曾祖母ちゃん」まで、家族が全員集合したが、総料理長は「簡単で栄養があるから“鍋”にする」と宣言し、具体的なレシピを私に命じた。
  で、ひらめいたのは「北海道ではラムしゃぶがメジャー」というテレビか何かで聞いた記憶である。
  そうして、水炊きのイメージを基本に、ニラと黄ニラと、自家製の菊菜、水菜をふんだんに投入し、懐にやさしいラムを大盤振る舞いし、味噌ポン酢等々いろんなつけダレを並べて楽しんだ。
  出来栄えは、初挑戦のためほんの少し心配だったが、「ラムの臭味なんか何も感じなかった。」「返っていい香りで美味しかった。」とは娘の弁。この感想を世間一般の評価とまでは誇大広告をする気はないが、「豚より美味しい。」というのが我が家の結論である。(何しろ夏ちゃんも「美味しいなあ」と言って食べたのだから)
  なお、ご多分に漏れずこの地の「有名ありきたりショッピングセンター」にはラムのスライスはない。
  少し離れたデパ地下まで行く必要があるが、それでも良いなあと思うほどラムの水炊きが我が家のメニューに堂々追加されたことは間違いない。

  追伸1 そして、この冬の我が家の鍋の〆の堂々第一位は、『マルちゃん鍋用ラーメン』。
  えっ、そんなことは知ってる? 既に数年前から大阪の常識ですか・・・・???

 追伸2 土鍋はどうして火を消してからの方が「グラグラ」「シュー」と煮えたぎるのですか。その理由を誰か教えていただけませんか。いつも不思議に思っています。


2013年3月23日土曜日

歴史漫画

  知らない人は知らないが知っている人には超有名ということは多々あるもので、・・・というか、世の中の多くの事柄はそうである。
  近所の奈良大学も文化財学科や史学科の世界では超有名というオタクっぽい大学で、全国の自治体の教育委員会の発掘現場等にその卒業生が多い。
  何回かこの大学の公開講座等に参加している関係で、先日はオープンキャンパスの目玉の「宮下英樹先生を囲む講演会&座談会」の案内をいただいたので参加した。
  ところで、戦国歴史漫画家の宮下英樹先生というのも私は知らなかったし、戦国武将というのも私の興味の外であったが、講談社のヤングマガジンでデビューし500万部以上の売り上げを誇る有名な戦国歴史漫画家だという。(後日、大型書店を覗いてみたら目の高さの段にセンゴクシリーズというのが並んでいたから、本当にベストセラー作家なのだろう。)
  特徴は、ズバリ通説に寄りかからず、「最新の学説ではこうだ。」とか、「俗説通りの戦はありえなかった。」とか、精密な時代考証と大胆な仮説の提起などを含む「常識を覆すリアルな戦国合戦譚」と評されているらしい。(この部分は受け売り)
  という漫画家と大学教授や、大学の城郭研究会の学生等も交えての松永久秀と信貴山城の話は面白かった。
  ただ、この講演会に限らず歴史講座の受講生は圧倒的に高齢者である。大学としては来年度の 進路を考えている高校生を集めたいのだろうが、その多くはご同輩の皆さんで、心なしか大学側の表情は微妙であった。

 写真はオマケで信長をスラスラと描く宮下氏。
 見ていると、その漫画の読者というかファンと思しき青年たちは眼をキラキラと輝かせて見入っていた。
 現実社会には非正規雇用という暗い壁が立ちはだかっているが、レキジョ(歴女)という言葉が市民権を得たように、青春時代からこのように「歴史をやりたい」という具体的な夢を持つことのできた青年たちは少しうらやましかった。

  それはさておき、(1) 以前の講義で聞いたことだが、普通の県なら「〇〇城址」等は熱心に発掘調査され、あるいは復元されたりしているが、ここ奈良県は「古代以前でないと歴史でない」「古代の発掘さえあと100年以上かかるだろう」という土地柄。もっと悪く言えば「中世なんか歴史でない」とでも言うような冷淡さで、中世城郭の調査はほとんど手がついていないと言われている。だから、奈良の城郭を研究するといくらでも論文が書けるという冗談がある。青年たちがんばれ。

 (2) 常山紀談(じょうざんきだん)巻之四
 「東照宮(とうしょうぐう) 信長に御対面のとき、松永弾正久秀、かたえにあり、信長、この老翁は世人(せじん)のなしがたきこと三つなしたるものなり、将軍を弑(しい)し奉り、またおのが主君の三好を殺し、南都の大仏殿を焚(やき)たる松永と申すものなり、と申されしに、松永汗をながして赤面せり、」・・・・これについては、河内将芳教授が「史料も疑って検討しろ」とのこと、納得。

 (3) フロイス日本史
 「都の統治は、この頃、(次の)三人に依存していた。第一は公方様で、(中略)第二は三好殿で、(中略)第三は松永霜台(そうたい)で、大和国の領主(であるとともに)また三好殿の家臣(にあたり)、知識、賢明さ、統治能力において秀でた人物で、法華宗の宗徒である。彼は老人で、経験にも富んでいたので、天下すなわち「都の君主国」においては、彼が絶対命令を下す以外は何事もおこなわれぬ(有様で)あった。・・・・という史料もある。さて平蜘蛛の茶釜を抱えて爆死した乱世の梟雄だったのか有能な文化人だったのか。

 (4) 久秀と堺
 私の故郷堺に関わって言えば、権勢をふるっていた久秀は永禄9年三好義継や三好三人衆等に堺で囲まれて窮し会合衆に講和を頼み込んだ。会合衆は三好方に「三好方が勝ったこととして堺を去らなければ松永方に付く」と宣言。義継は後々の軍資金の徴発を考えて勝鬨をあげて去ったという。自治都市堺の面目躍如たる話も伝わっている。 

2013年3月21日木曜日

大阪の中の蛙

  大阪市中央区で働いていたことが度々あった。(転勤が多い職場だったので「度々」になる。)
  そんなとき、東京の本社の「偉いさん」をお迎えするのは新大阪駅で、そのあと車で御堂筋を南下するのだが、47都道府県を回っているであろう少なくない「偉いさん」が銀杏並木の御堂筋を「美しい」「立派な道だ」と褒められるのは少し意外だった。
  地元の人間としては、ミナミの戎橋筋あたりの方が馴染みがあり、どちらかと言えば企業社会の顔であったり東京と同類の街並みだと思う御堂筋は『唄の世界』を除いては感心の少ない場所であった。私の感覚では・・・・。
 しかし、客観的にはなかなか他に見られない美しく立派な道路(左右のビルも含めて)なのだ。私は大阪の中の蛙だったらしい。

  御堂筋は大正15年に着工し昭和12年に完成した道路だが、船場の心斎橋筋で商売をしていた私の祖母などは、① お客さんが立ち退いた。 ② 同時に進んだ職住分離で旦那衆は芦屋あたりに引っ越して通勤をするようになった。 ③ 道路幅約45mの横断が困難なため西側のお客さんが遠のいた。・・・と、半ば恨めしく語っていたと、母を通じて聞いている。
  それは、家族史の一コマだったが、社会史的には八百八橋に代表される運河からモータリゼーション対応の道路へと舵を切った先進的な都市計画だった。
  そして今や文句なしの大阪のメーンストリートである。

  さて、大阪市の都市計画審議会専門部会は、御堂筋の原則50メートル、最高60メートルというビルの高さ制限を撤廃することを決めた。
  市長就任直後から「高層マンションを建てて人口を増やしたい。」と言っていた橋下市長が「議論を押し切った。」と朝日新聞は報じている。

  仕事柄、私も近畿2府4県の県庁所在地をよく知っているが、古都の京都、奈良はもちろん、大津も和歌山も県都にふさわしい雰囲気を持っている。
  木津川計氏はそういう文化も含めた都市の風貌を、人格になぞらえて「都市格」と言われているが、それぞれが「高さ制限」を含め、都市格を大事にしているように見える。

  そして、兵庫であるが、神戸市役所周辺の旧居留地を大阪市の皆さんはご存知だろうか。
 一言で言って「品が良い都会」だと私は思う。大阪人としては正直に言って「敗けた」という感じがするほどセンスが良い。
  関西人の夢は「神戸に住んで、大阪で稼いで、京都で遊ぶこと」だと言われたことがあるが、説得力を持っていた。
  かつて首相であった森喜朗氏は「大阪はたんつぼだ」と言い放ったが、御堂筋の景観すら大事にしないなら、大阪の都市格はますます低下するだろう。
  たかだか高さ制限解除の話であるが、大阪の知性が異議申請するのを期待したい。

2013年3月19日火曜日

鳥の目草

鳥の目草
  ここ1週間ほどで花々が咲き始め、街じゅうがいっぺんに華やかになってきたが、その少し以前から足下では瑠璃色の小さな花がいっぱい咲いていた。
 その美しさから外国では、キャッツアイ(猫の目草)とかバーズアイ(鳥の目草)と呼ばれているらしいが、ところが我が国の先人は、こともあろうにその実の形からその草をオオイヌノフグリと命名した。

オオイヌノフグリの実
  そのせいか、「雑草中の雑草」という感じで、通勤経路の街路樹の根元にびっしり咲き誇っていても、ほとんどの人々に見向きもされていない。
 それで思い出したが、娘がまだ小学校低学年のとき、その名前の由来を私に聞いてきた。友達が「オオイヌノフグリって大きな声で言うたらあかんで」と教えてくれたらしいが、それが何故なのか解らずに悩んでいたらしい。
  そこで私が、「そのとおり、それは犬の金玉ということやで。」と答えたが、横にいた妻が「ええっ 知らんかった。」と驚いた。
 それも当然、そんな言葉は学校でも日常会話でも出てこない。私だって小さい頃は知らなかったし、十分に大人になってから知ったことだった。
 だから、友達の〇〇ちゃんの家ではなんとハイレベルな会話をしているのかと感心したことを覚えている。
  (あいにくの雨であったので、写真はネットからお借りした。)

2013年3月17日日曜日

だったん帽いただかせ

  「〇〇となると春が来る」的な決まり言葉はいろいろあるが、大阪あたりで最もメジャーな決まり文句は「お水取りが終わると関西に春が来る」というものだろう。
  事実、3月になると在阪テレビ局各局が夕方のニュースで、「古都奈良に春を呼ぶお水取りが・・」というワンフレーズを毎年繰り返す。
 その東大寺二月堂のお水取り(修二会)の各種行法の中で一番絵になるのは「達陀(だったん)の行法」と言われている。
 何しろ国宝だらけのお堂の周囲を松明が行き交うだけでも驚きだが、そう広くないお堂の中で松明を振りかざして飛び跳ねるのだから驚愕としか言いようがない。
 その行法に使用された達陀帽(だったんぼう)を参詣者にかぶせて健康や来福を授ける「だったん帽いただかせ」という行事が修二会明けの15日に二月堂であった。

  実はこの行事については「ひげ親父」さんが、去年「行ってみたい」と呟いておられたが、私は「初孫の行事にとっておいたら」と助言したのだった。
 そして今年、私が一足先に、天下晴れて“夏ちゃん”を連れてこの行事に参加した。
 「身体健康、無病息災、なんやらかんやら、むにゃむにゃむにゃ」と唱えて金襴の帽子を被せていただくのだが、多くの小さな子供はその何となく異様な雰囲気に泣いている。それがまたカメラマンの格好の的になっている。
 そして我が夏ちゃんはというと一切泣くことなく、ただその変な帽子を力の限り払いのけたのだ。権威に迎合したりせず主体性のある子でなんとも頼もしい。
 で、代わりに爺ちゃんが「いただいた。」
 せっかく奈良近辺に住まいし、孫を授かったのであるからというレベルの『参加』の動機なのだが、1262年間続いた宗教行事の(松明の煙の先の)端っこに参加させていただいて喜んでいる。

2013年3月15日金曜日

花の木

  以前にレインボー メープルのことを書いた。
 その美しい名前と、それにふさわしい七色の紅葉という説明書きの庭木だったので、小さな庭の主木にするつもりで・・・主木らしい値段で・・・購入したが、少なくとも我が家のその木に関しては期待していた紅葉がからきしパッとしない全くの「木偶の坊」だった。
 それに引き換え、あまり期待せずに購入したアメリカハナノキ(ベニカエデ)の紅葉は見事で、我が家の庭とも言えない空地では、初夏のヨーロッパブナの芽吹きと、晩秋のアメリカハナノキの紅葉は非常に気に入っている。
 と書くと、どんな立派なものか・・と誤解を生むが、どちらも自分で車に積んで買ってきて植えたものだし、何年もたった今でさえ、せいぜい2メートルちょっとのなんということもない木なのだが、本人が気に入っているからそれでよい。
 なお、こんな外来種を植えて喜んでいると宮脇昭先生に叱られるだろうから、あまり大きな声でブログに書くのははばかられるから、小さな声で書いている。

 落葉樹の芽の膨らみが目立ってきた3月上旬、そのハナノキが突然花を咲かせた。
 俗に「心(立心偏)が亡びると書いて忙しい」と言われるが、去年までは、つい「忙しい」と下から眺めて「普通の雑木らしい地味な花だな」と思ってやり過ごしていた。が、ヒマジンになった今年、じっくりと近寄って眺めてみると、これが結構可愛い花だった。
 それで、いろいろ本を繰ってみたら「春先に綺麗な花を咲かせるから『花の木』・・」とあった。
 な~んだ!であるが、そんなことを知らずにというか、その名前に「?」を抱かずに植えてきた己の鈍感さを再確認した。
 皆さん、つい「忙しい」「忙しい」って言っていませんか。
 足元に小さな花がいろいろ咲いています。
 現職の皆さん、カローシ防止とメンタルヘルスのために声を掛け合い助け合ってくださいね。

2013年3月13日水曜日

さりげなく

  3月7日の「あれから2年」に書いたが、10日に原発ゼロを求めるデモ行進に参加してきた。
 今だ避難先に居る被災者と代わることはできないが、せめてもその気持ちをちょっとでも行動に移すべきだと思ったからである。
 プラカードを兼ねた紙袋を作って参加したが(と言っても「ちひろ美術館」提供のポスターをダウンロードして貼り付けただけのものだが)、とても『出来が良い』ので翌11日にこれを提げてショッピングモールへ買い物に出かけた。
 「あまりにデザインが完成しているので、返ってインパクトがないなあ」とは妻の贅沢な感想。
 それでもよい。「さりげなく、息長く」がキーポイントだと思う。

 その買い物のときにこの紙袋を提げて本屋に寄ると、新書の新刊のコーナーに面白い本があったので、妻にせびって買い求めた。
 さて、2月23日に「続 戌亥の隅にどっさりこ考」を書いた私である・・・。
 大和朝廷にとって戌亥の方角とは出雲であったと・・・。
 で、そこにあった本は、村井康彦著岩波新書で『出雲と大和――古代国家の原像をたずねて』とある。
 「これは私に買ってくれと・・置かれてたんや」「こんな題名を付けられたら買わんわけにいかんやろ」と妻に言ったら、「そらそうやな」と諦めた。

 いっきに読み進んでいる。内容は面白すぎて口外できない。

2013年3月11日月曜日

撮らせてくれない河原鶸

  自慢ではないが野鳥を見分けるガイドブックは、日本野鳥の会の本や山と渓谷社の本など、ちょっとしっかりしたものを数冊持っている。・・と、自慢している。
  これがないと名前のわからない時もあるし、うろ覚えの知識で「あれだ」と思っても、季節や場所でありえないということも何回かあった。

  そこでカワラヒワを引くと、何れも「体はオリーブ褐色」だとか「風切は黒く基部が黄色」とか、ごく普通にカワラヒワを上から眺めた特徴を書いている。・・・不満である。


  私の印象からすると、カワラヒワが頭の上を飛んで行くときに、羽に黄色いセロハンのような美しい『透かし』が出るのが一番の特徴だと思う。
  上からだとマヒワの黄色い模様の方が綺麗かもしれないが、私は頭上を飛ぶカワラヒワの『透かし』に軍配を上げる。・・・これは文学的であって自然科学(ガイドブック)には馴染まないのだろうか。
  ということで、頭上を飛ぶカワラヒワの美しい『透かし模様』を撮りたいと思い続けているのだが、そうは問屋が卸さず、カワラヒワにキリリリキリリリと「簡単に撮らせてやるものか」と嘲笑されている。
 今回も、なんともケッタイナ写真に終わって肝心の『透かし模様』は写っていない。
 一番下のは昨年撮ったもの。これがちょっと『透かし』らしいかも。


 *** 先週、気温が上がったとたん鶯が正しく鳴きだした。イソヒヨドリも昨日までの鳴き声とは一転した美声で囀りだした。文句なく季節は春になった。しかし、昨日の午後からちょっと寒すぎる。


2013年3月9日土曜日

「自然死のすすめ」と言われても

  幻冬舎新書・中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を読んだ。
 役員をしている老人ホームの家族会の次年度方針案を議論していたとき、「この先生の学習会はどうやろう」という意見があったので興味を持ったからである。
 各章の大見出しを並べると・・・、
 第1章 医療が“穏やかな死”を邪魔してる
 第2章 「できるだけの手を尽くす」は「できる限り苦しめる」
 第3章 がんは完全放置すれば痛まない
 第4章 自分の死について考えると、生き方が変わる
 第5章 「健康」には振り回されず、「死」には妙に抗わず、医療は限定利用を心がける
・・・と言ったところである。
 著者は、「水だけ飲む日が一再ならずあり」という苦学の末に医者になり、病院長や医師会、病院協会の役員までなりながら、病院の理事長を辞し老人ホームの常勤医になったという。
 その老人ホームは、理事長が永観堂の管長で、副理事長は清水寺の執事長らしい。
 こんな重いテーマを一言で語ることはできないから、興味の湧いたお方は直接お読みいただきたい。
 重すぎる・・というお方は読まない方が良い。

 実母は100歳を超える大往生であったし、数時間前まで話ができていたほどに認知症も軽かったのだが、しかし、それまでの老老介護の日々には本当にいろんなことがあった。
 まず、老人ホームに入所した際に「どこまでの治療を希望するか」と尋ねられ、その旨の署名押印を求められたときには正直に言って驚いた。そして、心は騒いだ。
 一般論としてはその種の問題に直面する状況がありうることは解かっていた。
 しかし、実際の老老介護は突然やってくるのだった。

 その後も、数か月ごとのホームとの協議の席や、そして、症状がいよいよ深化した際に、再度、再再度「どこまでの治療か」を念押しされた。
 そのたびに私は、手術は不要、それに結びつく入院・検査は不要、チューブによる人工栄養は拒否と書いて署名押印をしてきたが、「私は正しい判断をしているのかどうか」と煩悶しなかったと言えば嘘になる。

 結果論だが、私は尊厳死というか自然死を選択した。
 こんな重いテーマの模範解答は判らないが、この本が私の心を慰めてくれたことは確かである。
 そして、このテーマは、そろそろ自分自身について決断のときを迎えつつある。
 先日は夜中に「マラソンでゴールに倒れこんだ」ような呼吸が止まらないという不整脈に襲われ妻は119番に電話した。これは「そろそろ考えても早くはありまへんで」というシグナルに違いない。

2013年3月7日木曜日

あれから2年

  あれから2年。
 3.11が近づいてきた。
  あの津波を、再生されたニュースとしてではなく、・・・ちょっとショウ的な臭いのする言葉で嫌だが・・・ライブ(実況)で見たショックは今もある。
  そして、フクシマ第1発電所の原発事故が起こった。
  「メルトダウンはしていない」「ただちに影響が出るレベルではない」とのアナウンスが繰り返される中で人々は被曝し故郷を奪われた。

  私は高校の文化祭で原爆のことを深く考えさせられた。
  その後、原水禁世界大会や3.1ビキニデーにも出席したし平和行進にも参加した。
  しかし、恥ずかしいが原発は違うと思っていた。人類の制御が可能でエネルギーの選択肢の一つだと・・・。
  愚かであった。

  そういう自分の半生の反省から、これからは原発ゼロを目指す立ち位置を確固としたいと考えている。
  だから、金曜日の夜に関電に脱原発を求めて集う人々の最後尾にできる限り参加することにした。
  体調の悪い時や気候のひどい日もあった。
  「私一人が行かなくても大勢に影響はない」とか「これだけが市民運動ではないだろう」とか考えなかったと言えば嘘になる。
  総選挙の後の極寒の金曜日は、家を出るまでに頭の中で二人の自分が論争した。
  だから偉そうなことは全く言えない。
 過大に誤解されると困るが皆勤ではもちろんなく、孫が来た日には“孫あっての脱原発”などと没論理的な屁理屈を付けて休んでいる。
  しかし、誰に頼まれたのでもない行動はある種気分がいい。
  そして、自分自身を励ますために、できるだけ楽しいステッカー、美しいステッカーを手作りして参加することにしている。

  この3月10日には全国で脱原発の行動が取り組まれる。
  そのために今回は、ちひろ美術館が提供した美しいポスターを貼り付けた紙袋や、花粉症対策のちょっと笑ってもらえそうな「さよなら原発マスク」を相当数作成した。参加者に配りたい。もらってくれるかな。
  そして、セミプロ音楽家の友人が「花は咲く」の歌唱指導をしてくれることになった。ありがたい。
 ♪ 花は花は花は咲く 私は何を残しただろう。
    花は花は花は咲く いつか恋する君のために。
 過去は変えられないが未来は変えられる。
  しかし、何もしなければ変わらない。

【左の写真は追加】

 好評だった花粉症マスク
 写真の上でクリックすると拡大できます。
 文字のところは貼っています。
 牛さんは浮いています。

2013年3月5日火曜日

錦糸玉子当番

80年以上は経っていると
思われる擂鉢と擂粉木
  先日のひな祭りに「ちらし寿司」を作るから「錦糸玉子を焼くよう」我が家のシェフから指示があった。
 錦糸玉子を焼く当番はいつの頃からかおおむね私となっている。
 姿よりも「美味しい玉子を焼け」というので、今回は少し丁寧に取り組んだので書いてみる。
 「レシピ紹介」みたいなブログが続いて少し恥ずかしいが・・・・、

 先ず、ほんとうは白身魚だが、そんな本格的なことはできないから、ツナ缶を3缶使用した。
 オイルをよく切ってから擂鉢で嫌というほど擂る。はんぺんの種のようというか団子と見間違うほどにまで擂りあげる。
 最初は日常使いの小型の擂鉢でスタートしたが上手くいかない。やっぱり餅は餅屋、年に数回しか使用しない大型の擂鉢と擂粉木を引っ張り出したらそれらしくなってきた。
 「使用頻度と格納場所を考えたら棄ててしまいたい」という衝動を何回も潜り抜けてきただけの甲斐がある。擂粉木には「昭和7年8月製」と彫ってある。
 それに卵13個と出汁と味醂を加えて、安物の小型の玉子焼き器で厚焼き玉子を焼き始めたが、火加減が難しく最初は少し焦げてしまった。
 以後は、下から少し焼いてから魚焼き器で上から焦げないように焼いたら上手くいった。邪道かもしれないが「結果良し」といったところか。
 例によって審査員は孫である。
 パクパクパクパクと嫌というほど食べてくれたので、先ずは合格点をいただけたと一人悦に入っている。
 ただ、このレシピは今だ途上である。もっと安くてさらに癖のない白身魚が上手く手に入れば改良してみたいが、海からも遠く大手スーパーに依存したこの街ではなかなか展望が見えない。
 先日のブログに書いたが、ひな祭りには「桜餅」も担当した。
 「桜餅」の方は案ずるより産むが易しと書いたが、「錦糸玉子」の方は、魚を擂る作業は、体力軟弱な高齢者にとっては結構ハードな重労働だった。アニメの一休さんを思い出しながら努力した。挑戦されるお方は相応の覚悟を決められたい。

2013年3月3日日曜日

上巳の節句に「ほしいひ」

  1月25日のブログに私が「道明寺天満宮」のことを書いたのを受けて、ひげ親父さんから「道明寺近くに『道明寺糒(ほしいひ)』というものがありますよ」とのコメントをいただき、私が「知らなかった」とコメントを返したところ、ミリオンさんから「知っておきなさい」と現物を贈っていただいた。感謝。感謝。
 私は、和菓子類の中では『道明寺』が大好きな部類に入っているのだが、にも拘らず、それが『道明寺糒』で作るものだとは全く知らなかった。
 だから、そういう新知識を知り、そして、その現物を手にとることができたものだから、私は今、言葉に表せないほど感激している。
 そこで、せっかくなので上巳の節句までとっておいたのだが、ついにその日がやって来た。(1日の誤差は許されよ!)
 この日の目標は桜餅。
 だが、さっそく頭を抱えてしまった。・・・というのも、「ほしいひ」に付いていた説明書と、 桜の葉のパックに印刷してある説明文、 そして、ネットにある十人十色というか百人百色というぐらいのレシピのうち、いったいどれを選択したらよいものか・・・・・・・? 中途半端な情報化社会は悩ましい。

 そこで、一番原点とも言えそうな、そして一番簡単そうな『ほしいひ』添付の説明書に沿うこととした。
 要は、ほしいひが2合であったから、1.7倍(3.4合)の適当な砂糖とほんのひとつまみの塩を入れた熱湯をほしいひにかけて10分間蒸らすだけ。
 食紅は使わずイチゴを擂りおろして入れてみた。
 最後に30秒電子レンジにかけたのが蛇足だったのか少し柔らか目になってしまったが、それらしい道明寺が完成。チキンラーメン並みの簡単さだ。(ひげ親父さん!醤油うことです!)
 餡子を包む段階で我が家にやって来た夏ちゃんも手伝ってくれた。(上の写真)
 そして完成した桜餅が下の写真。
 大きなのが13個出来上がったが、もう少し小ぶりにすれば15~6個はできることだろう。
 おやつの時間に夏ちゃんが「美味しいね」と言って丸々一つ食べてしまったから文句なしの大成功だ。これ以上の評価基準があるものか。(夜のデザートでもまた一つ平らげた。)
 夏ちゃんは、さかんに丸めたときの手振りをして「私が作った」と自慢げだった。

 ちなみに、右の紙筒がほしいひの入っていた袋。
 「ほしいひ」の文字は秀吉の文字とのこと。

 知らなかったことを一つ覚えることはほんとうに楽しいことだ。そんなことを50数年前に気づけばよかった。
 ひげ親父さん ミリオンさん ありがとう。記憶に残る上巳の節句となった。
 ちょっと爺ちゃんは鼻高々である。

2013年3月1日金曜日

右と左

夏ちゃんの好きな「くつ」
  (1) 2月13日に雛飾りのことを書いた。
  私の娘が誕生した昭和の御世に義父母が買ってくれた結構オーソドックスなものである。
 一応「京風」となっているが、調べてみると「関東風」のところもあり、いわゆる「標準」なのだろう。
  箱には、人形たちと一緒に「飾り方」の冊子が入っていたが『男雛がこちらに向かって右』(こちらから向かって左)となっていた。
  昭和以降の主流はこうらしいが、そもそもが“平安の御所(宮中)の再現である雛飾り”と考えるなら(諸説あるが)当然おかしい。もちろん私は左に飾った
  蛇足であるが、それぞれの上席にあたる三人官女の長柄銚子、五人囃子の謡い、随身の左大臣または左近衛中将(長老)は冊子からして左のままである。当然だと思う。だから、この冊子自身が論理的統一性を欠いている。(なお、「京風」の中には男雛を左に飾るのもあるにはある。)
 男尊女卑を肯定しているわけではない。御所を全く超越した現代雛なら文句もない。女雛が上席だって文句はない。
 ただ、明らかに「平安宮」を装いながら戦前の天皇制に媚を売っているところが嫌らしい。
 
  近頃、「維新維新」とはしゃいでおられる方がおいでだが、この雛飾りは、明治維新から敗戦までの近代日本が文化の上からは極めて乱暴で無知な一面を持っていたことを思い起こさせる。
  繰り返すが、現代の標準マナーが右になったことをおかしいなどと言っているのではない。平安の再現を無茶苦茶に捻じ曲げていること、嘘をついていることが問題だと思っている。
 だから私などは、「維新」と聞くとどうしても乱暴な嘘つきというふうに連想してしまうのである。
 「憲法9条をすぐに変えようというのではないが憲法改正要件だけは変えよう。」という主張も同じことのように感じている。

 (2) 孫の夏ちゃんが一番好きなのは、「泣き上戸」の持つ沓台である。そして五人囃子の太鼓である。
 指さして「くつ、くつ」「たいこ、たいこ」と自分も「知っているんだ!」というアピールをしてその「発見」を嬉しがる。
 そして、人形よりもいろんな道具類を「これは?」「これは?」と知りたがる。
 盃も銚子もお膳、箪笥、重箱もみんなままごとの感覚で、その発見を楽しんでいる。
 しかし、槍や弓や火鉢はイメージできないようだ。此方の説明も難しい。針山・絎(くけ)台がヒュっと伸びた針箱なんか私の娘でも実物を覚えていない(判らない)のではないだろうか。
 夏ちゃんは雛人形そのものにはあまり興味がなさそうで、お雛様よりも「いないいないばあ」の「わんわん」の人形の方を喜んでいる。