11日に、初詣がてらに「初キンカン※」に行ってきた。(※..金関)
金曜日の夜に関電本店前で脱原発を訴えるという市民運動で、誰に指示されたものでも依頼されたものでもない。
動機はいたって単純で、原発事故は私が知っている、あるいは想像できる産業災害(労働災害等)とは質が違うと思うからで、孫の時代が悲惨な時代にならないようにと願うからである。
地震大国上の(砂上の)原発は狂気の沙汰だと私は思う。
結局のところ推進者の主張は、「利権を手放したくない。」「核開発技術を手放したくない。」以外になく、国民生活のためのエネルギーと言うのは真っ赤な嘘だと私は確信している。
この運動の主催者もどんな人々か知らないのだが、私より若い人々が裏方をコツコツと継続しているのがいい。
いつもは地下街を通って行くのだが、フェスティバルホールの新装を眺めるために地上を歩いたら、なるほど夜の「中の島」は美しく、素朴に感動した。
東京の官邸前の行動では、選挙前には各党の国会議員も多数参加していたようだが、ツイッターで見た限りでは選挙後も愚直に参加しているのは共産党だけらしい。世の中というのはそういうものだろう。
今回は、文言自体は問答無用の原理主義的で「ちょっとなあ」と好きではないのだが、あれだけ天下のNHKが前宣伝をしてくれたものだから『ならぬものはならぬのです』を自作ポスターに使わせて(パクらせて)いただいた。A4×2枚に印刷してA3のカードケースに入れたものである。
私の希望は、味気のない「原発反対」のポスターだけでなく、毎回参加者が何かウィットに富んだ、あるいは美しいポスターを持参し合い見せ合う場になれば良いのにということである。
実際、ペンライトの進化形のようなおもちゃや提灯その他、工夫を凝らした宣伝媒体も増えつつあり、それらを見物するのも楽しい。
近所の大学の講義を聴講していたとき先生が、「東京の先生は勉強してそれをそのまま語るだけで良いので楽であるが、関西の先生はその上にどのようにウケる(笑わせる)かという技術が必要なので大変だ。」と言って笑わせたが、『市民運動にもっと笑いを!』も大切だと私は本気で思っている。
お説教と自慢と嫌味からは運動は広がらない・・・と、はるか外野から小さな声でつぶやいている・・・というのが嫌味だろうか。
6時半ごろから急に風が出てきて、安易な常套句過ぎるが体の芯まで冷え込んできたので、7時過ぎには「健康管理」を言い訳に友人と即効性のあるエネルギー補給のために地下に潜った。ああナントいう軟弱だろう。「こんなことでは原発は即時ゼロには出来ないなあ」と即効エネルギーの力を借りながら大いに反省を繰り返した。
自分では何もできないのに「新年も脱原発の市民運動が続くのだろうか」と気がかりだった私に、ひげ親父さんと長谷やんさんのブログが「任せておいてよ」と元気をもたらしてくれました。
返信削除ひげ親父さんのブログ中のタイムリーなポスターは長谷やんさんの傑作だったのですね。さすが!と恐れ入りました。 今年もよろしくお願いします。
ひげ親父さんとは誘い合って行ったわけではなく現地で「やあ」となったものです。
返信削除こういう肩の力が抜けた参加の仕方が気に入っています。
その心は、川口是先生の遺訓「長いものより一寸(いっすん)長く」です。
思わずニコッとしたくなるプラスターですね(*^_^*)この日なんとノロウィルスかと心配したようなことが起き残念ながら参加できませんでした。この日でお終いでないので次回の楽しみにします。
返信削除12月から隔週開催になりました。
返信削除次回は25日ですが、開催日はツイッターで確認できます。
この運動のポイントは京都銀行のCMで「なが~いお付き合い」でしょう。
「残念ながら・・・」というような言葉を使わずに、肩の力を抜いて適当に参加するのが良いと思います。
と、これは自分がサボるときの言い訳です。