ネットから「こじゅうた」 |
そして、その「餅つきをした」ということに触発されて、これまで何回も聞かされた昔の餅つきの思い出をまた語ってくれたのだが、改めてじっくり聞いてみると今までの私の理解と異なったところが少し見え出した。
その一つが「こじゅうた」で、私は今まで単純に餅箱の別名だと信じていたのだが、「かき餅を作るときには餅箱ではなく「こじゅうた」で厚さ10㌢弱の大きな長方形の餅を作るのだ」と言う。
ネットから「カンナ」 |
これまで、妻も普通に餅箱のことを「こじゅうた」と呼んでいたが、今回改まって母が解説したところ、それは微妙に違っていたということになる。
さらに、餅きり包丁以外にかき餅用のカンナがあったらしく、尋ねる私にそれを絵にかいて説明してくれた。
『かき餅はネコ餅を薄く切って作る』という程度の私の理解だったのだがそうではなく、「こじゅうた」で作った分厚い長方形のお餅を縦に立て、それを専用のカンナで削ぐのだと。
おやつでも何でも自給自足であった戦前の農村では、それなりの道具やノウハウが想像以上に進化していたのだ。
軟弱な町の子には初めて聞く話ばかりだった。
ネットから「カンナ」 |
そして毛糸を使って乾し方も実演してくれた。
さらにさらに、アラレのことをキリコと言っていたことも。
・・・・これらは戦前の生駒谷の話である。
といっても、文化史的にはついこの間のことである。
(ネットで見つけた写真は生駒谷とそれほど遠くない大和高田の旧家のものだからほゞ同じものだろう。遠ざかる記憶を語る義母の話からここに到着するまでには、実際には相当な時間が必要だった。)
以前のブログに書いたが、私は餅つきについては半ば素人である。それに対して師匠筋にあたる妻もいざ聞いてみるとこれらは「知らなかった」と言う。
何十年も前に柳田國男や折口信夫が「今のうちに記録しておかないと途絶えてしまう」と心配したこの国の伝統も、ほんとうに今では、音を立てて?忘れ去られようとしている。
民俗学の対象は離島や僻地だけではない。
私自身気づくのが非常に遅かったが、親がご存命の皆様は今のうちに私たちの文化の深層を記録すべきだろう。
「介護民俗学」は時間との勝負になっている。
あまりにマニアックな課題だろうか。誰からもコメントがいただけない。
返信削除が、・・・そんな新発見をしたことが楽しい。
誰か、こじゅうたを持っておられる方はおられませんか。
家にあったことは確かですが、名前をどう呼んでいたかが想い出せない。一度河内の友に聞いておきます。
返信削除こじゅうた(麹蓋)は、蓋というけれど普通に言えば箱です。
返信削除45㌢×30㌢×5㌢ぐらいの杉の木製で、清酒醸造用の道具です。
この大きさ(小ささ)が「かき餅」用の四角いお餅にぴったりなのです。
義母は「味噌造りに使っていた。どぶろく等は作っていなかった」と語ってくれました。
別名は「もろ蓋」らしいです。
妻の姉は「確かにあった」と記憶しています。
こじゅうた(ん)ありましたよ。
返信削除あたし、交野市出身の五十一歳主婦です。
母は、最期に「ん」をつけてました。
餅箱もしくは番重(ばんじゅう)に近いものですよ。
麹蓋のなまったものとは・・・勉強になりました。
なおぼんさん、「こじゅうたん」のこと教えていただきありがとうございます。「番重(ばんじゅう)」って言葉も初めて知りましたがネットで検索して判りました。
返信削除核家族化のせいでしょうか、昔からの道具や言葉がハイスピードで消えていくようで、こんな話も全く無駄ではないような気がしています。
この外にもお気づきのことがあったら教えてください。ありがとうございました。
京都府南部出身の41才です。
返信削除こじゅうたの語源を調べていてたどり着きました。
実家にこじゅうた、たくさんありますよ!
外側には昭和⚪年 氏名が書かれていて謎です。
今も現役で活躍してますー。
コメントありがとうございます。
返信削除ちなみに、普通の餅箱のことをこじゅうたと呼んだりもするようですが、各家庭で麹など扱わなくなり、一方餅箱が普及したころに、元々の麹蓋とは少々異なるものの餅箱のこともこじゅうたと言うようになったのではないでしょうか。
餅箱は私の実家にもありましたし、妻の実家にあったものは今はわが家にあります。
それらにはコメントのとおり、新調(購入)?した年と〇〇氏とか、○○年十二月吉日 〇〇というように墨書されています。
それにしても、ネットで見つけていただきありがとうございました。