2012年12月30日日曜日

鳥納め

  庭のバードテーブル(餌台)にやってくる中で圧倒的に多いのは当り前のことであるが雀である。
  「なんや雀か」と言わないでほしい。
  現在急速に人間界周辺から姿を消していると言われている。
  (我が家周辺ではそういう実感はないが、新聞や本ではよく言われている。)
  それに、頬に黒い墨をつけたその顔は、じっくり見ると結構愛嬌がある。
  近頃の子供達で雀を絵に描いて見せられる子が幾人いるだろう。
  それほどに近い存在ではもはやなくなっている。

  それを窓の内側から見るともなく見ていると、どことなく神経質そうな、落着きのないときがある。
  どこがどうと具体的には言えないが、どこか様子がおかしいときがある。
  そんなとき、ヒューっと真横から何かが刺す様に飛んで来て、バタバタバタバタと、一瞬我が庭が修羅場と化す。百舌鳥の狩猟である。(雀はやはり殺気を感じていたのだろうが、・・・・)
  私の作ったバードテーブルのせいで犠牲が出るのは心が穏やかでない。
  後悔のような気分も湧いてくる。
  しかし、百舌鳥にとってはこれが死活問題の「なりわい」でもある。
  これもまた厳粛な自然の掟・・と、静観している。
  ただ、心のザワザワは続いている・・・・・
  自然は優しく厳しい。
 
  今年も我が家から半径数キロ以内の身近な鳥たちを数々紹介してきたが、・・・・・と言うことで、ちょっとだけ悪役になった百舌鳥の写真で『撮り(鳥)納め』にしたい。
  百舌鳥は鳥の中では際立って頭(の比率)が大きい。
  人間で言えば乳幼児の体型である。つまり可愛い。だが実は獰猛な猛禽類。
  つまり、ものごとは「見た目」で判断してはならない。
  それを2012年の自戒(教訓)として来年に臨みたい。

  みなさま どうか よいお年をお迎えください。

5 件のコメント:

  1. 上手い、上手い!「撮り(鳥)納め」ですか、座布団1枚~いや、それでも本当に楽しませていただきました。来年もよろしく。

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  2.  百舌鳥の頭が大きいと言われてみればその通りですな!子供の頃から馴染み深い鳥です。写真とは言え間近に見るのはずいぶん久しぶりの気がしますが、百舌鳥は言われる通り猛禽です、子供の頃メジロ飼っていました友達と共鳴させるために木の枝に鳥かごにいれて遊んでいて他の遊びに夢中になりメジロの存在を忘れ、気がつくと百舌鳥の餌食になっていたということがごくたまですがありました、それに既に承知のことでしょうが、百舌鳥はバッタやカエル、トカゲを生け贄にして枯れ枝に突き刺していたのをよく見かけました。子供の頃の懐かしい想い出です。
     今年も1日を残すのみとなりました、どうかよいお年を迎えられますように、来年もよろしくお願いします。

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  3.  茅渟の海さん メジロの鳴き合わせ会等の思い出をもっと教えてください。後日でもOKです。
     そして百舌鳥の「早贄」ですが、以前バッタを撮ったことがありますが近頃は注意しているのですがナカナカ見つけられておりません。見つけられなくなった原因は解っておりません。見つけたらブログに載せたいと思います。
     どうか、よいお年を!

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  4. 「見た目」で物事を判断しないと言うのは大賛成です。・・・江戸時代では一日の始まりは三つあって「天の始まりは午前0時」「人の始まりは日の出」「地の始まりは日没」。ユダヤ教徒もイスラム教徒もインドでも日没が一日の始まりだそうです。「クリスマスイブ」というのはもともと無かった「イブ」がクリスマスのお祝いで日本でも12月31日がお正月の始まりで12月31日の夕食のご馳走を家族全員で食べてお祝いしたそうです。今ではそれが「年越しそば」に変化してしまった。明けて元旦に食するのは12月31日に神様にお供えしたもののお下がりを「ごった煮」にしたのが「お雑煮」で「ナオライ(直会)」祖先の神様と一緒に家族揃って祖先の霊魂の形にした「里芋」を食したと柳田国男説。家族全員で食し又「陰膳」を作る・・これらは家族の団結を守る大切な行事というのが「ひろさちや」説。天邪鬼の我が家、今晩は「スパークリング」でご馳走です。来年から「スノウ」改め「アマノジャク」と改名しようかしら・・・「長谷やん」さん、皆さん、良いお年を!

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  5.  天邪鬼さん 1年を総括するようなコメントありがとうございます。
     私も、アノ番組を切り替えて第九をBGMに星空を眺めていました。
     天頂近くの昴が浮かれた国民を笑っていました。(アノ番組を全否定していませんが)
     来年も毒気を含んだコメントを期待しています・・っと、大笑いをして笑い納めです。アハハハ

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