道路から撮りました |
一時は12月ともなると各家庭のイルミネーションが美しく、それを見物しながらの夜の散歩も楽しかったのだが。
ところが、だんだんその数が減り、ごく普通の街になりつつある。
単に子供が大きくなったからというのでなくイルミネーションが減っていっているので、リストラや賃下げの結果でなければよいのだが・・と妻と話し合っている。
しかし、残念ながら、そういう想像しか思い浮かばない。
家庭のイルミネーションは、家庭の可処分所得・・・生活の余裕と直結していないだろうか。もちろん、収入を考えずに遊び心を優先する我が家のような例外もあるが。
そして去年には3.11フクシマ大人災事故が発生し、一段とイルミネーションが減少した。
しかし、このまま街が暗くなってよいものか。
今年は、日頃この種の買い物を「無駄遣いだ」と非難する妻が、珍しく「孫のために1種類増やそう」と同意した。
その増えたイルミネーションが平面的なサンタクロースで、通常は窓の内側から外に向けて吊るしておき、孫がやって来たときは内向きにした。
当然、孫は非常に喜んで、・・・・「よかったよかった」と爺婆もまた非常に喜んだ。
だんだん設置と取り外しが邪魔臭くなってきて、手持ちの全てを飾ったわけではないが、まあ4種類ほどあちこちに設置した。
お向かいも子供は大きいが「飾る派」なので、我が家の一角だけは時代に抗して「未来を」照らしている。
暗い世の中だけに、これを「節電意識がない」などと怒らないでもらいたい。
年金が減らされたり、政策的なインフレが実施されると、我が家だって来年は躊躇するかもしれなくなる。
世の中を明るくする話がどうしても暗くなる。ああ!
白川静文字学によると「民」という字は瞳を針で突いて目が見えなくなった神様に仕える人という意味から出ているそうです。藤堂明保編の学研漢和大辞典では同じく目を針でついて目を見えなくした奴隷をあらわし「眠る」と同じで物の分からない多くの人、支配下におかれる人の意。とあります。極論すれば民衆は目の見えない奴隷で馬鹿なのは当たり前。「自民党」「民主党」も奴隷の党・・誰の奴隷か・・財界とアメリカの奴隷という謎解きが出来そうです。今朝の内橋克人さんはNHKビジネス展望で偶然なのか「見るべきものを見なかった有権者」という表現をされました。長谷やんさんは明るさを感じられるしっかりとした目をお持ちです。ただし私は家の前をイルミネーションで飾る趣味はどうしても理解できないのですが???・・・・
返信削除ああ、スノウさんのあきれ返った顔が目に浮びます。
返信削除弁解はしませんが、節分には鰯の頭を玄関に飾り、端午の節句には庇の上に菖蒲を乗せて季節を楽しんでいます。そして12月には・・・・
サンタはマレビトだと理解したりして。
それよりも、道行く人々に「へ~」「そんなあほな」と言ってもらって喜ぶ自虐趣味がないわけではありません。こっちの方がホンネかも。
どうか「軽薄であほなやっちゃ」とお嗤いください。
返信削除長谷やんさん お気持ちよく分かります
素敵なお爺ちゃん お婆ちゃんですね 社宅暮らしもあり 現在の住まいのご近所が電飾
されないのでしませんが 二人暮らしなので量は減りましたが 手芸の好きな私は
刺繍やパッチワークなどのクリスマスグッズを飾っていました 子供達も喜んでいました
もちのろんろん今年も飾っています
この時期忙しいですね リースを掛けながら 冬至の柚子 かぼちゃの準備
ステンドグラスのツリーの灯りの後ろには 羽子板と凧 独楽が控えています
忙しい 忙しい 冬眠したいくらいです
季節の行事を大切にするのは却って楽ちんです それに合わせた料理をすればいい
ので
父の転勤で大阪に来るまで過ごした山陰で 母はモミの木の代わりに 海辺の松の木を
切ってきて天井まで届くツリー飾ってくれました
近所の人もびっくりだったそうです
亡き母を思い出しました ウルウル
長々と失礼しました
わこたん 剛毅なお母様の思い出話・・此方の方がウルウルです。
返信削除そして、ワッハッハ。
コメントありがとうございます。喜んでいます。
これからも、気が向いたらよろしくお願いします。
そうですね、そろそろ柚子湯、南瓜、小豆粥の準備が必要です。
綺麗ですね!夜の街を歩いていてこんなイルミネーションに出会ったら嬉しくて明るい気持ちになりますね。
返信削除ほんとうに、ほんとうに我が街のイルミネーションは減少した。
返信削除庶民の暮らしが疲弊してきた表われ以外のナニモノでもないと確信する。
えっ! 庶民がバブル意識を克服して堅実な生活を選択しただけですか?