2011年7月7日木曜日

海ほおずき

 義母の近代史講座
 大阪府と奈良県の県境が生駒山。その東側が生駒谷で義母の出身地。その東に矢田丘陵という山脈があり、その東が奈良盆地。そして、矢田丘陵の東側の山の上には、紫陽花と「味噌なめ地蔵」で有名な矢田寺や日本最古の厄除霊場で有名な松尾寺(まつのおさん)があり、そこは生駒谷の農家の人々の行楽地でもあったらしい。
 地蔵さんの縁日だとか厄除詣りと言っては大人たちは歩いて山を超えて行っていたという。(昭和初期の昔語りなので・・「歩いて」)
 そして、そのお詣りのお土産が「赤い海ほおずき」だった・・・・と、義母が先日私たちに「講義」(ただの昔語り)をしてくれた。それは娘である妻も聞き初めのことだった。
 お土産の赤い海ほおずきはカチカチの乾物なのであるが、水に浸けておくとゴムのようになり、それを口に含んで、チューチュー??と音を鳴らして遊んだと楽しそうに語ってくれた。
 (こんにち一般に「海ほおずき」という言葉の響きが醸しだす漠とした甘いイメージとはちょっと違っているかもしれない。)
 この海ほおずき、妻も知らなかったというので、今度は私の実母の施設で何人かに聞いてみたところ、・・・意外だったが実母以外に知っている者はいなかった。(たまたまそうであった・・・・)
 実母は、「祭の夜店の定番やった。いろんな形の海ほおずきがあった。水で戻して売っているのもあった。親は汚いからあかんと言ったが反対に子供はよけいに欲しがったもんや。私は鳴らすのも上手かったし大好きやった。」と語ってくれた。
 そして、その話の中で、例の草花であるほおずき」も「上手く中の種を取り出して同じように口の中で鳴らしたもんや」とその取り出し方も含めた話に発展し、そしたら「草花のほおずきでは鳴らしてよく遊んだ」という方が話に加わってさらに盛り上がった。
 ???・・・・この話・・・私は知らなかった。   本などで「ほおずきを鳴らした」と書いてあったのは全て海ほおずきのことだと勝手に理解していた。
 昨秋我が庭でほおずきが実ったのに・・・・なんというもったいない・・・・。
 ちなみに、山里の子であった義母も、これも意外なことに草花のほおずきでは鳴らさなかった(遊ばなかった)ようである。
ネットからコピーした海ほおずき
義母のいう「赤いの」は右下に

 行ったことはないが、7月9日10日は東京の浅草寺の四万六千日で鬼灯(ほおずき)市が有名とか、・・現代の東京の子供たちも鳴らして遊ぶのだろうか。???
 関連して、・・かつて、その規模に圧倒されたことがあるが7月6日~8日は東京入谷の鬼子母神の朝顔市だったはずだが、これは理解し難い知事さんの申される理解し難い理由により今年は自粛と報じられている。
 さて、鬼灯市や朝顔市といったこの種の限定された花の「市」が東京の下町に比べて関西ではパッとしないのは何故だろう。
 「種を蒔くか、安い苗で育てるわ」という大阪人スピリッツが邪魔をしているのか、関西経済の地盤沈下が文化を支える力を失いつつあるのか。何かパッとせんなあ という今日の梅雨空である。

12 件のコメント:

  1. 73歳の私は、新潟県の海辺の漁村で育ち、漁師の子どもからもらう海ほおずきが好きでした。海から揚がったばかりのプヨプヨしたものを1つずつに切り分けて、穴を開け中の液体を出して口に入れます。貝の卵嚢とは知らず、「お父さんが漁師ならいいのに」とまで思っていました。

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  2.  新鮮な?海ほおずきの貴重なコメントありがとうございました。私は大阪・堺の海に近いところで育ちましたが、砂浜だったせいか、海ほおずきで遊ぶことはありませんでした。夜店では売っていましたが買ったことがありませんでした。

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  3. https://youtu.be/o4y0A0oHI7g

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    1. アナログ爺いより、童謡歌手近藤圭子さんの「海ほうずきの歌」想いだして動画を貼り付けたのですが、迷惑をかけました。孤高岳人

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  4. 唄い出しは ♬ その日は 海が荒れていた 大波 小波に・・・・。

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  5. 想いだされたら 口ずさんでください。なかなか感じのいい歌ですよ。

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  6.  聞いたことがあるようなないような。それにしてもアナログ万歳!と言いたくなるレコード感・・・。

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  7. 初めまして、海ほうずきの画像の持ち主でございます。今更ながら画像の削除等は求めてはいません。サイトのクレジットもそのままですし…ただせめて元記事へのリンク等貼っていただけたらよかったな…と思います。
    以下元記事です
    http://eateat.air-nifty.com/whatseat/2008/07/post_469c.html

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  8.  まかにゃんさん、コメントありがとうございます。写真の元記事のブログ、楽しく読ませていただきました。
     ちょうど、テレビがほおずき市を報じていました。
     これからはリンクを貼りたいと思います。

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  9. hisaです。
     私の就学前の思い出を書いてみたくなりました。
     赤提灯のようなカサカサの外側を破いて、中の実を取り出します。この実の皮を破らないように、爪楊枝で中身をホジホジと穿り、実の皮だけにします。
     これを口の中で膨らました後、舌でつぶして音を出します。幼児とは云え、現在より目も良く手先も器用だったので、時々作りました。実の熟れ具合や作り方で、実の皮は直ぐに破れ、余り上手く鳴らなかったように思います。
     これを教えてくれたのは、昭和5年生まれ、西宮育ちの母です。
     当時、母によると、「植物の鬼灯とは違って海ホオズキというものがある。口の中でクチャクチャしながら膨らましては鳴らした。海ホオズキは長持ちする。昔は縁日でも売っていた。」とのことでした。
     父は「真っ赤な海ホオズキは、今も時々売ってるが、縁日の物は汚いので食べたらあかん。」と言って、綿飴を始め、買い食いはさせて貰えませんでした。
     就学してからも「赤い色は、チクロという毒で、駄菓子屋さんのお菓子の色も毒だ。駄菓子屋でも、買い食いはだめだ。」という厳しい父でした。

     観賞用以外に生薬の酸漿(サンショウ)でもあり、江戸では栽培が大流行。町のホオズキ売りが、幕府に一時禁止されたり、浅草寺境内の雷除け赤トウモロコシは、ブームに便乗してほおずき市に乗り換えたそうです。(草木スケッチ帳Ⅱ:柿原申人ノブト)

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  10. 今さくらももこさんのエッセイ本を読んでいて、七夕祭りのお話で海ほおずきが登場し、聞いたことがない言葉だったので調べていたところこちらに辿り着きました。

    私はさくらももこさんと同じ出身地なので、彼女が体験してきた祭りを現在18の私も体験していますが、海ほおずきを買ったという文を見て、今の清水の祭りでは見かけたことがないため妙に気になったのです。

    お義母さまと他の方々のお話、とても興味深かったです。
    ありがとうございます😊

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  11.  コメントありがとうございました。こんな素朴すぎるほど素朴な「おもちゃ?」は消え去るのみなのでしょうね。少しは面白い雑学でしたでしょうか。

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