2024年3月19日火曜日

カレーは日本に限る

   先月、大阪市内に出かけたとき、新しい本格的インド料理店が開店していた
 店内の装飾は徹底して?本格的だし、壁ではダンスいっぱいのインド映画が流れていた。
 食べたのはべーシックなチキンカレーだったが、個人の感想をいえば私には物足りなかった。

 わが家では不文律でカレー料理は私の担当となっている。
 そして、多くの場合、少なくとも8割方は孫の凜ちゃん用とも共通して作っている。 だから私はカレールーを入れなくても料理として完成しているように作るのだが、その際の決め手はトマトソースとしている。
 それに比べてその店のカレーは、どうも味に深みが欠けていた。個人の感想ながら。
 「これこそ本場のカレーじゃわい」と言われればなんとも言えないが・・・。

 キーマカレーにしたり、ジャガイモゴロゴロのジャパニーズカレーにしたり、夏なら夏野菜カレー、冬はトロトロ牛筋カレーと一家言ある私には、正直物足りなかった。厨房にはインド人らしきコックさんが揃っていたのに。
 やっぱり「この淡泊さが本場のカレーじゃ」と言われるのだろうか。ほかのインド料理店ではこんな感じではなかったけど。

 私の舌の方が正しければ、豪華ともいえるその店は遠からず閉店になるだろう。
 18日夕食、凜ちゃんは、わが家の祖父ちゃんカレーを何回もボーノ!と言ってくれた。

2024年3月18日月曜日

殺すなかれ

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日(日曜日)の朝は5時前に起きたので、見るともなくNHK Eテレの『心の時代』を見ていると、明治学院大学阿満利麿名誉教授が親鸞の歎異抄の教えを語っていて、その(歎異抄の)実際の表れとして高木顕明(けんみょう)師のことを紹介していた。

 和歌山県新宮市のお寺の僧侶であった高木顕明師は、日露戦争当時の大逆事件のでっち上げに連座して獄中で死亡しているが、「仏の教えに人殺しはありえない」と徹底して非戦論を唱えた僧侶だったが故に弾圧された。阿満教授は「それこそ歎異抄の教え」と語られていた。
 その後の明治から昭和前期の時代は、大教団のほとんどが「戦勝」を祈る時代に入り、高木師も僧籍除籍などとなっていたが、真宗大谷派は実に90年後の1996年(平成8年)、僧籍復帰・名誉回復の措置をとった。(大逆事件では他に曹洞宗、臨済宗妙心寺派の僧侶も弾圧されている)

 私はウクライナやガザを思い浮かべて、「徹底した非戦論」の実践についてあれこれ考えたが、・・・一般論だが、昔、職場の先輩TMさんと話し合ったとき、先輩は人を殺すよりも殺される方がましだと言い切ったことを思いだしたり、片や、ウクライナの青年が祖国のためにと家族と別れて前線に向かうのを「君は間違っている」とはとても言い切れないなどと迷ったり、結局、結論の出ぬまま卑怯かもしれないが、ただ真の宗教・宗教家とはそうなのだろうと、ただただ尊敬し、首を垂れるのみだった。

 さて15日には、公明党と自民党が武器輸出の大幅緩和について合意した。
 早い話が憲法9条は仏壇?の奥に引っ込めて、公然と、日本人の作った武器で人殺しが世界各地で展開されることになる。言っておくが、歯止めなど嘘八百だろう。
 宗派を問わず仏教界には不殺生という重要な戒律があると考えていたが、現世の「ご利益」のためなら不殺生戒もなんのそのと説く教団?もあるようだ。
 歴史の勉強が今ほど大切な時はないのではないだろうか。
 過去に目をつぶっていては明日は語れない。諸兄のご意見を賜りたい。

2024年3月17日日曜日

虚像と実像

   虚像というかイメージというものは、時に独り歩きをして、まるで実像であるかのように語られる場合がある。
 テレビから「清流の女王といわれるカワセミが・・」などと流れると、あのコバルト色の美しさからいって、多くの人々は清流を疑わない。
 しかし実際は、わが家周辺の溝みたいな小川やため池みたいな場所にもいて、贔屓目で見てもそこは清流とは言えない。
 カワセミは決して清流の女王なんかではない。

 清流かどうかの話はそんなものだが、灘中高から東大に行った秀才も、有名私大の理事長も「知らなかった」と言うに及んでは、その実像に首をかしげる。
 「李下に冠を正さず」とか「ノブレス・オブリージュ」という言葉も、「知らなかった」「記憶にない」と言い張る気だろうか。

 さて、カワセミに比して可哀相なのは写真のカワラヒワで、けっこう可愛らしい小鳥であるのにカワセミほど人気はない。

 今週には、一陽来復の冬至を起点に考えると1年の4分の1(四半期)が過ぎたことになるし、夏至に向けてなら、もうその半分となる春分の日が目前。
 朝晩は寒いけれど、沈丁花の前で、「花を見ていると春ですなあ」と近所の方との挨拶も春めく。
 目の前の電線からは、ジューイ ジューイ、ヒリヒリヒリとその声も気分のせいか春の声に感じる。

 それはさておき、虚像といっても害のないイメージもあるにはある。ブギウギで内藤剛志が刑事になって出てきたのに腰を抜かして笑ってしまったのは私だけ?

2024年3月16日土曜日

拝火教徒になる


   3月になると、奈良周辺の、否、全国の歴史や伝統を愛する人々は拝火教徒(ゾロアスター教徒)になるのではないかと想像する。
 昨日、15日未明に満行を迎えた東大寺二月堂でのお水取りの行を見ると、そんな風に信じたくなる。
 二月堂、その場所は、隣の法華堂も含めて周辺だけでもどこかの県一県にある以上の国宝が並んでいる。そういう木造建築の堂内外で、こんな火祭りが許されていいのだろうかと凡人はただただ恐縮する。
 そして、その火の粉の中で、日頃の諸々の反省点が少しは浄化されるような気持ちになってくるのである。

 もとよりインドを出発した(大乗)仏教は、ガンダーラ地方など中央アジアの文化を吸収しつつ東進して日本列島に辿り着いたのだから、仏教の中に、先行していた世界宗教である拝火教の影をを感じるのは異なことではない。護摩供にもそれを感じるし、そもそも火とは獣と人間を分ける境界線でもあろう。

 話は変わるが、孫の凜ちゃんは私の顔を見ると「焚火!」といい、焚火をしてほしいと要求する。祖父ちゃんもその焚火ほど楽しいことはない。
 そこでもう一度言うが、3月には人々は拝火教徒になるのが正しい。

2024年3月15日金曜日

高松塚古墳から

   2月に文化財保存全国協議会の講座で森岡秀人氏の講義を受けた。
 その日のテーマは関係なかったが、森岡氏といえば高松塚古墳発掘調査で有名な方である。

 また高松塚古墳発掘調査の責任者故網干善教先生は、私がここへ転居する前は近くにお住まいだったが、当時の私は古代史にそれほど深い関心がなく、地域の勉強会にも参加していなかった。今思うと惜しいことだった。

 高松塚古墳の被葬者は今も特定されていないが、私などは壁画の東壁南側男子群像が、四隅に緑色の房を垂らした蓋を持っていることから、一位の人物である石上麻呂が有力だと考えていたが、「一位といえども藤原京の真南に造営などできないから皇族(天皇と皇子等)である」との反論に阻まれていた。

 さて3月12日、小笠原好彦先生の講座に参加して、① 中国では漢代以降都市には墓を造らせなかったこと、② 中国に倣った『養老喪葬令』(残っていないがきっと大宝律令でも)、「皇都及び(幹線)道路の側近には墓の築造を禁じた」ことを学び、やはり高松塚古墳は、皇都ではないものの特別な場所だと考え、忍壁皇子説に変わりつつある。

 さて、有名な終末期古墳というと、キトラ古墳、マルコ山古墳、石のカラト古墳、高松塚古墳があり、石槨の工法や出土した土器片から制作時期がほゞ特定されつつある。
 そして私がこのブログで度々触れてきた石のカラト古墳は、私の住居のそう遠くない散歩道にある。
 
 そして、以前に講義を受けた白石太一郎先生は、被葬者は、年代からいって藤原不比等が一番有力だが、公卿補任(くぎょうぶにん)という書物に「不比等は『葬佐保山椎岡』と書かれていることに合致せず、この地が広義の佐保山と書いてある書物がないかどうか探している」と述べられていた。

 このことについて、小笠原先生は、12日の講座で明快に解答を出されて、私は大いに納得したのだが、そのことは先生が著書等で正式に発表されてから書くこととする。
 私は私で、方角等を重視した陰陽道(道教)についてもう少し勉強することとする。
 (写真は石のカラト古墳)

2024年3月14日木曜日

神々のルーツ

   6年半ほど前、2017年の秋に退職者会の遠足で西宮神社に行った折、神職から 三連春日造りの本殿について説明を受けたが、それは「東に蛭児(えびす)大神、西に須佐之男大神、中央に天照皇大神と大国主大神がまつられていますが、その昔は蛭児大神が中央でしたが、いつの間にか東に移りました」という不思議な説明だった。

 帰宅してから昭和4年出版の『年中事物考』という本を開いてみると、「古く延喜式に大國主西神社と見え、夷宮はもと西神社の配祀であったが、その社が次第に有名になったので、いつの間にか之を主神として専ら夷宮と申すに至った」とあった。つまり、昭和初期までは天照皇大神は特筆されていなかった。
 となると、昭和15年、紀元2600年頃の皇国史観絶頂期に蛭児大神は東に移され、中央に天照皇大神が据えられたのではないだろうかと私は思う。

 このように古い歴史と伝統のようにに見えるものも、後の為政者たちによって大いに「修正」を加えられていることが多いということになる。

 そういう「歴史の修正」に注意しつつも、どの町でどんな神様が祀られているかというのは、為政者の編纂した公的な歴史書にはないこの国の歴史をあぶりだしてくれる。

 豊富な写真で紐解いてくれるこの本は、気楽に読み進めながらそんな欠片を教えてくれる楽しい本である。
 片岡伸行著『神々のルーツ 「祈りの場」から見た古代日本』新日本出版社

2024年3月13日水曜日

時よ止まれ

   孫の夏ちゃんはこの春小学校を卒業し中学生になる。
 そのため、スマホはこれまでの子ども用スマホから普通の簡単スマホにワンランク昇格した。
 そして専用のパソコンも両親に買ってもらったが、それがクロームブック(Chromebook)なので、わが家で使用するときのためのWi-Fi 接続にやってきた。

 クロームブックは聞き初めだったが、Windows Mac に次ぐ第3のOSの Google のもので、インターネット接続を前提としているらしい。だから、春休みなどに持参してゲームなどをしようとWi-Fi 接続にやってきたようだ。本人は何も言わないが・・・

 クロームブックは何よりも動作が早く、その上に安くてセキュリティーが良いらしいが、私がWindows から乗り換えるとなると解らないことだらけで研究しなければならない。
 今でもスマホの操作などは夏ちゃんの方が詳しいが、もうすぐパソコンについてもそうなるだろう。
 技術の進歩の時間や夏ちゃんの成長の時間に比べれば、私などは停滞以外の形容が見つからない。

 どなたかChromebookをお使いの方はおられませんか。メリット、デメリットを教えていただけないでしょうか。そしてWindowsからの乗り換えのあれこれについて。
 
 現在のパソコンの動作が非常に遅いので近いうちに買い替えなければと考えていたところだが、これでさらに勉強して考える課題が増えた。(ため息)

2024年3月12日火曜日

核の脅威を乗り越えるには

   昨日一昨日と3.11事故に関わって原発の危険性を書いてきたが、平和の問題や政治の問題に発言し行動してきた理論物理学者故益川敏英先生はその著書で、非常に冷静な議論を呼びかけられているように私は感じている。
 その要点を私の理解の範囲で紹介すると、

 🔳 当面の課題は、使うにしても止めるにしても、まずは安全確保の研究は必須だ。 使用済み核燃料の処理の方法も重要だ。 原発事故の収束作業や廃炉作業、そして廃棄物処理作業でいい加減な作業をされたら日本列島は恐ろしいことになる。 そのための原子力研究には資金と優秀な人材が重要だ。 そして、開発途上国や独裁国家が核兵器を使用する可能性は低くない。それを止めるのは、難しい問題だが広い意味で国際世論を形成するしかないだろう。🔳

 他に、エネルギーの安定供給という意味で、安全性が担保された原発なら容認も有り得るととれるような言葉もあるが、そこには私は同意できないが、研究の継続という意味でその種の原子炉の必要性は否定できないという主張は首肯できると私は考えている。

 今こそ、腐敗し切った自公政権を引退させ、「核兵器で戦争を抑止できる」という「誤答」を乗り越えて、憲法9条を鮮明に打ち出して頑固にそれを守り抜き、ASEANが切り開いている、軍事同盟ではなく「対話と協力」の国際関係構築の先頭に立つ日本国を打ち立てたいものだ。

2024年3月11日月曜日

3.11で反省したこと

   3.11でショックを受けたことの一つは、自分の勉強不足のことだった。
 その種の問題については若い頃から本なども読んでいたが、反対に、だからからも知れないが、一言でいえば「原発と原爆は違う」という理解で、原発の危険性を見逃していた。

 さて、日本経済の成長を誰もが信じていた頃は、会社が健康保険組合などを通じて、いわば政府の福祉政策を企業が肩代わりするような側面もあり、多くの「保養所」などを作って、互いに利用し合っていたりした。どこにも部内者の外に、部外者料金があった。
 そんな中に電力会社の「保養所」もあり、そこを使わせてもらって忘年会などをしたときは、鯛の刺身に舌鼓を打っていたが、その鯛は、今思えば、原発の温排水のお陰で成長した健康優良児?の鯛だった。

   原発というと何かとてつもなく難しい仕組みのような誤解があるが、原理は火力発電所が石油等で「お湯を沸かしている」のを、ウランという燃料の核分裂で「お湯を沸かして」タービン→発電機を回すのである。

 そして、そのために発生した熱の3分の2は海に捨てられている。
 原子核工学の専門家であった水戸厳氏からは「原発は海温め装置」だと教えられたと小出裕章氏は述べている。

 気候危機、地球環境の問題は、斎藤幸平氏に言わせれば文明崩壊の危機直前といわれているが、だとすれば、「地球環境は重要だが原発はCO2や環境に優しい」は虚偽宣伝であり成り立たない。気候危機解決という視点からも原発と人類は共存できない。
 「安定供給」だとか「クリーンなエネルギー」という大嘘に騙されてはいけない。
(なお写真のお刺身はネット上にあった美しい写真で、原発やこの記事とは無関係です)

2024年3月10日日曜日

明日は3.11

   私にとっては、二つの点で阪神大震災よりも東日本大震災の方がショックが大きかった。
 阪神の場合は、古いビルの9階だったので事務所が無茶苦茶になったし、数時間後には前例のない業務対応で必死になったので、言葉は悪いがショックを感じている暇もなかった。
 それに比べて東日本でショックだったのはテレビのライブだった。つまり、録画でもないリアルな画面の中で人々が津波に飲み込まれ、死んでいっているのだった。
 そしてもうひとつは、フクシマ第1原発の爆発だった。

 そのことについて若干振り返っておくと、日本共産党の吉井英勝衆院議員(京大原子核工学科卒)が、23年間の国会議員生活中200回以上原発の危険性を発言し、東日本の前の2006年にも、地震や津波で冷却機能が失われるとメルトダウン(炉心溶融)が起こる危険性を政府に問うたが、安倍内閣は「安全の確保に万全を期している」との回答に終始した。

 それが未だに「実際のメルトダウンの状況は誰にもわからないまま」今日に至っている。
 語れば長くなるので私が一番言いたいことだけを指摘することにするが、大飯原発運転差し止め訴訟を指揮した樋口裁判長(当時)はフク1事故に関わって次のとおり指摘したことは非常に重要だ。

 🔳 事故当時、4号機は点検中で貯蔵プールに使用済み核燃料があった。隣の原子炉ウェル(上部の空間)との仕切りが、本来はズレるはずがないのに何故かズレて、さらには本来はないはずの水、工事の遅れにより抜き取られていなかった原子炉ウェルの水が、貯蔵プールに入り、結果として核燃料を冷やした。
 1~3号機は地震の影響でモーターが停止。非常用電気も津波で使えず、冷却用の水が送れなくなり、核燃料は自らの熱で溶け落ちた。
 それにより2号機の格納容器は蒸気でいっぱいになり、爆発すれば放射能が飛び出し、東日本壊滅も予想された。
 ところが、格納容器の底にあってはならない欠陥部分があり、そこから蒸気が抜けた。 
 このように、2、4号機の奇跡(あってはならない欠陥)で、首都圏を含む半径250kmへの放射能被害は免れた。🔳
 
 つまり、ジャパンアズナンバーワンとも技術立国とも言われていたこの国で、「想定外」の欠陥商品であったから21世紀の日本人は助かったというのだから、これほど皮肉な悲劇(喜劇?)はない。
 原因は、アメリカに尻尾を振る一部日本人も日本人だが、基本的にはアメリカのお古を押しつけられた・買わされたからである。

 この怖ろしい事実が今も軽視(無視)されていないか。(欠陥商品でなかったら日本列島の半分以上が壊滅していた)
 3.11を迎えて、この事実を直視したい。

 2011年事故直後は私のブログにも多くの人々から「そうだ語り続けなければ」とコメントをいただいていたが、近年はそれも減っている。
 私の発信の下手さ加減もあるが、読者の皆さんにも初心に帰った発信を是非ともお願いしたい。

2024年3月9日土曜日

木に登るな

   わが家からそう遠くないところに、ちょっとした広さの公園がある。
 その公園の半分というか公園の隣というか、そこには元々自然の小山があり雑木が茂っている。遊歩道もある。
 私はその公園をよく散歩するのだが、そこにはそう珍しくもないものだが「注意書き」の看板が立っている。
 それを見ると、これもそう珍しくもないが「木には登るな」との注意(禁止)事項もうたわれている。

 確かに、桜などの細い木に子どもが登って枝を折れば花見に支障が出る。いや、近頃のことだから、子どもが木から落ちて怪我でもしたら行政(自治体)の管理責任が問われるのが怖いかもしれない。
 でも、古くは「おはなはん」ではないけれど、子どもは木に登るものではないのかと私は違和感を覚えた。そしてそんな感想を妻に語ったら・・・

 『「木登りは木を傷つけず自分も気をつけて」と書いていても、近頃の子どもは誰も登ろうとも思わないだろう』と返ってきた。
 そうかもしれない。
 転居する前の家では道側にブラックベリーを植えていて、「黒く熟れた実は自由に採ってください」と表示したが、大人は採ったが子どもたちは逡巡し、そんなところに私が出ていこうものなら子どもたちは驚いて逃げ出したという記憶がある。

 でも、それでいいのか。あれも禁止これも禁止と書いておけば責任はないという社会は健全か?
 なにか嫌な世の中のような気がする。
 自然の木にロープでブランコを作って、「すべて自己責任」と表示しておきたいが無理だろうなあ。

2024年3月8日金曜日

盛山大臣は辞任せよ

   3月6日文部科学省(盛山正仁大臣)は旧統一協会に対して指定宗教法人に指定することを決定した。反対にいうと、特別指定宗教法人には指定しなかった。
 朝日新聞の記事によると、ある教団関係者は「『特別』で来ると思っていた。『指定』で止まってくれた。・・『指定』であれば大したことはない」と語っている。

 これではエバの国日本の教団関係の財産がアダムの国韓国の本部等に持ち出され隠匿される恐れが十分にある。

 写真は盛山大臣が署名したいわば「誓約書」。
 灘中・高から東大の秀才が「記憶にない」一筆。

 例の裏金問題といい、与党政治家の倫理観の崩壊は甚だしい。倫理観は学歴や学力とは関係ない。

 いま大切なことは、国政でも地方選挙でも、こんな政党に属したり選挙協力を受けたりする候補者を落選させることだろう。

 

2024年3月7日木曜日

すき焼き鍋

   ラジオで女性アナウンサーが「すき焼き鍋なんか持っていない」と語っていた。 聞いていると、アブラがハネルのが嫌だから普通の鍋で出汁で作るというから、それでは「すき焼き」ではなく「すき煮」だろう。

 「すき焼きのたれ」など論外と考えて生きてきた関西人としては言葉が見つからない。
 また、普通の鍋で肉を入れて砂糖を入れてから始めると肉が底にこびりついてしまうから、そうそう使うものではないが、やはりこの鉄鍋は必需品であろう。

 孫の凜ちゃんのイクジイの日は、凜ちゃんファミリーの夕食分もわが家で作っている。
 ちょうど、そのタイミングだったので凜ちゃんファミリー分のすき焼きを作ったのが写真のものである。
 凜ちゃんの父親、母親の誕生日近くだったので、少し牛肉を張り込んだ。
 凜ちゃんは学校などで食べ物の名前を語るのが好きなので、たまには牛肉を教えておかないと、肉というと「鶏肉」「豚肉」「ラム」しか語れなくなるので、「牛肉やで牛肉!」と教え込んだ。

2024年3月6日水曜日

奈良のシーサー

   岸田首相のニュースを見ていると頻繁に「丁寧に説明をする」旨の言葉が出てくるが、その実は、木で鼻をくくったような空虚な答弁を繰り返して無内容な時間を積み上げたことをもって丁寧と称している。
 そのことは、政治の課題で許せないことであるとともに、日本語や日本文化を卑しめ劣化させていると私は思う。

 沖縄の辺野古新基地の工事を巡る議論が2月26日の衆院予算委員会であったが、日本共産党赤嶺議員が諸問題の中のひとつとして「埋め立てに沖縄本島南部の土砂を使うな」と要求したところ、首相は「地元、遺族の思いに寄り添った対応は大変重要」と述べながらも「使わない」とは言明しなかった。

 このことの何が問題かと言えば、この土砂採取地は沖縄戦激戦地の糸満市、八重瀬町などで、今も1700人を超える方々が遺骨を探し続けている地である。
 例えば誰かが「こんなものただの石でないか」と言って貴家の墓標に唾を吐いたり小便をかけたりしたらなんと感じるか。
 この地の土を埋め立てに投入するということはそういうことでもある。

 桁違いの時間が遺族の心の中で土に還るまで、この地の土は戦没者の無念と遺族の墓標だとなぜ想像できないのか。
 
 奈良の東大寺戒壇堂の屋根に珍しい鬼瓦(飾り瓦)を見つけた。全くシーサーそのもののように見えた。
 沖縄の痛みは本土の痛みだと感じながら生きていくべしと教えているようだった。