2024年6月27日木曜日

歴史は変わる

   映画『ちゃわんやのはなしー四百年の旅人」が上映されている。司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』がベースらしいが、新聞批評のトップに「420年前、豊臣秀吉による朝鮮侵略の際、大名らによって連行された朝鮮人陶工の末裔の苦難を追った・・」となると、一言だけ付言しておかなければならない。

 東京大学史料編纂所編『日本史の森をゆく』にあるのだが、「同時期に連れてこられた数万人ともいわれる人々の中で、陶工であることを主たる理由として大名に連行されたことを、一次資料において確認できる例はない」とされ、18世紀から「鍋島家によって日本の宝とする目的で連れてこられた」と陶工が由緒を強調しはじめ、明治になってから「陶祖・李参平説」が広まったことを指摘している。
 現下の歴史修正主義者が戦争責任(加害責任)を逃れようと、「虐殺の事実はない」とか「慰安婦は商売女だった」というように歪めている事とは異なり、陶工側が自分たちの由緒を飾るために作り上げた物語というのが正確だという。

 誇張か善意かミスかは別にして、歴史の「定説」はこのように変化するらしい。
 そういえば以前、大阪の住吉大社の神輿が大和川の中を渡る祭事について某新聞が「太平洋戦争で中断していたが2005年(平成17年)に復活した」と書いていたことについて私が、「そんなことはない戦後高度成長期頃までは川の中の渡御があってそれを見物していた」と異議を申し立て、友人のK氏が住吉大社の宿院頓宮まで調査に赴いてくれた結果「昭和24年(1949年)から昭和35年(1960年)まで実施されていた」ことが判明したことがある。
 これは「神輿」について途絶えていた事実と錯綜して誤解した人の言説が広まったもののようだ。

   さて先日、土器のことを調べに大阪歴史博物館に行き、折角だからと見て回っていたら懐かしい『のぞきからくり』が展示されていて、そこの解説に「第二次世界大戦頃まで興行されていた」とあった。

 同博物館のHPなどでは異なる説明もあるが、これも私は、高度成長開始の1960年ぐらいまでは実際に興行していたのを知っている。だから「説明文は正確ではない」。
 私自身は「トラホームがうつるから覗いたらアカン」と言われていたので覗きはしなかったが、『不如帰』の 〽父は陸軍中将でえ~ というような口上などは聞いていた。
 もとい、歴史の定説というやつは、このように60年も経つと「堂々と」変るものだと変に感心したが、注意、注意。
 権威だとか、定説だとか、主流、多数、等々の説もまた同じ。

 なお、のぞきからくりの口上は、笠智衆の名口調がyou tube にあった。



3 件のコメント:

  1. 楽しいUチューブの配信ありがとうございます。桂米朝の「くしゃみ講釈」の落語にものぞきからくりの「八百屋お七」の一段が出ています。胡椒の粉で講釈を邪魔するので胡椒を買いに八百屋に行き胡椒を思い出すのに、お七の恋人の小姓の吉三を引っ掛けて「小伝馬町より引き出され・・・」と米朝は一段を語っています。

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  2.  スノウさん、補足事項を足していただき誠にありがとうございます。  先日桂二葉さんがくしゃみ講釈をかけた話をラジオで語っていましたが、そのくだりは軽く流していたように感じます。

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  3.  二葉さんがラジオでくしゃみ講釈の話をした際に、八百屋お七の語りの際「ホエ~」というのを面白おかしく紹介していましたが、あれは何でしょうか。場面転換の紐の音でしょうか。それとも自分自身による合の手でしょうか。河内音頭や浪花節の源流のひとつと言われたりしますが、「ホエ~」は私の頭の中ではあんまり結びつきません。知っておられる方は教えていただけないでしょうか。

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