2024年6月12日水曜日

謎の八角堂

   日本史というと中学校でサラッと習っただけだが、高校のときの社会科の一先生が授業内容から少し横道にそれて、教え子(つまり私達の先輩)が和泉黄金塚古墳で景初三年銘の三角縁の銅鏡を見つけた話と、山根徳太郎博士が難波宮を見つけた話は、いやに熱っぽく語っていたのを印象深く覚えている。
 その難波宮の大極殿周辺が今も大阪城の南西、法円坂に公園として残っている。
 こんな大都会の中心地でこのように史跡保存されているのは奇跡も奇跡ということは、平安京の大極殿などがこのようには全く保存されていないことからも理解いただけるだろう。

 この難波宮跡公園の東に隣接して大阪市教育会館があり、そこで先日、文化財保存全国協議会の講座があった。
 遠方から来られた方が窓からのぞいて「これが難波宮跡ですか」と感慨深く呟かれたが、この感動を大阪近辺の人が無視されているのはあまりにもったいない。
 「あれが内裏の基壇です」「実際に行ってみると謎の八角堂もありますよ」と教えてあげた。
 その八角形の建物跡は内裏の左右にあり、これはいったい何であるかが謎なのである。

 今春、退職者会でノダフジ見学の遠足に行ったが、西側の八角堂跡には大きな八角形の藤棚が作られている。これを単なる立派な公園の藤棚だと見過ごしてもらっては困る。これは、藤棚の立派さに意味があるのでなく、八角形の建物跡を「見える化」しているところに意味があるのである。
 この建物については、大きくは、① 東楼、西楼 ② 鐘台(鼓楼、鐘楼) ③ 仏殿(夢殿みたい) ④ 宗廟・社稷 などの説があるが、小笠原好彦先生は、長安城太極殿の鼓楼、鐘楼を参考にしたのではないかと示唆されている。

 時間があれば一度尋ねられては如何。近辺には国の各官庁、府警本部、家庭裁判所、府庁などがある。古代にも、鐘が打ち鳴らされ、それを合図に官人たちが内裏の前に整列した様子が浮かび上がってくると思う。

 (追記)八角形というと、真の斉明天皇陵といわれる牽牛子塚古墳と道教を思い浮かべるが、そういう角度からの新説はないのだろうか?(独り言)

1 件のコメント:

  1.  長安城の鼓楼・鐘楼は巨大でかつ四角形のようだ。
     それよりも、いわゆる大化の改新後の中華文明の導入の中で、八角の古墳や八角の鏡が超ハイレベルな価値を伴ってつくられたことの方を重視して考えるべきではなかろうか。
     だからこれだ!という答えを持ち合わせていないのが悔しいが。

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