2019年3月22日金曜日

続 啄木鳥

 3月12日の啄木鳥(キツツキ)の記事で、森之宮神社の社伝に次のようにあるらしいとして、要旨をいえば、① 森之宮神社の地は元物部守屋の邸宅跡であった。② 故に守屋を討った聖徳太子が守屋の霊を鎮めるためにその地に四天王寺を建てた。③ それに対して守屋の怨霊が啄木鳥となって寺を襲った。④ そのため四天王寺は現在地に建て直された。という異説があると書いた。
 ということで確認のために森之宮神社を訪れ、お歳を召された神主さんにそれを尋ねたところ、な、な、なんと、神主さんは「そういう話は知りません」と言うのだった。

   そのため、改めてネット上の記事の出典を調べると、聖徳太子伝私記(古今目録抄)と和漢三才図絵(荒陵山四天王寺の項)であることがわかったし、どちらも国立国会図書館のデジタルコレクションで公開されていた。
 しかし、古典の写真の頁をめくってそれを探すのは至難の業で、何時間もかけたが結局たどり着けなかった。

 特に和漢三才図絵は何巻もあり頁数はもう数えきれない。
 「寺社」の項からも四天王寺は見つからなかった。

   そこでヤマカンで「林禽類」をめくっていって「啄木鳥」を読んだところ、『昔初玉造建 天王寺 時此鳥群來啄 損寺軒 故名 寺啄 守屋之怨霊爲 災也』というのを見つけた。やれやれ。傍証にはなるだろう。

 『故名 寺啄』は、故にこの鳥の名を「寺つつき」というということだ。
 その昔は「きつつき」よりも「てらつつき」の名の方がスタンダードであったらしい。

 以上の話とは直接関係ないが、森之宮神社の境内には、わがOB会の旗の「ライオン橋」でお馴染みの加藤義明さんのきり絵のコピーが貼られていた。「きり絵で訪ねる上町台地」というシリーズのひとつで森之宮神社を斬ったものだった。

   寺つつきその名の由来の森之宮三才図絵にようやく見つく

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