2019年3月1日金曜日

続チキンラーメンそしてポールウインナー

 2月16日に「チキンラーメン」という記事を書いた。
 夫婦で「初めて食べたのはいつ?」「どんな感じやった?」と話し合ったことを書いた。そして私の思い出を書いた。

 そのとき記事には書かなかったが、妻が語ったのは「当時はチキンラーメンは贅沢品という感じやった」「父がポリ袋に入った”キズモン”を買って帰ってきて食べたのが初めてやった」というものだった。
 私は「なるほど」と聞いていた。(輸送の途中で割れたものなどだろう)

 で、朝ドラでは万平たちによる『本家まんぷくラーメン』との熾烈な戦いが熱を帯びていた。
 「あっ そうか」とTVを観ていた妻が叫んだ。「初めてのチキンラーメンはきっとバッタモンやったんや!」(本家まんぷくラーメン?)
 チキンラーメンの角が割れたキズモンなのではなく、バッタモンのニセチキンラーメンが初体験だったということらしい。ポリ袋に入っていたというのだから、今にして思えば間違いない。

 哀しいかな、それでも美味しかったという記憶があるようだ。
 小さい頃の記憶とはそういうものだ。

   私もポールウインナーを時々買うが、息子や娘がわが家んでそれを見つけた時は不思議な顔をする。
 「ウインナーソーセージと言うても、もっとええもんがあるやろう」と言いたげだが、これが食べたいのだ。
 小学生のころ(山之口商店街の)お肉屋にお遣いに行くと必ずこれを1本別にくれたのだ。その嬉しかったこと。
 妻のバッタモンのチキンラーメンと同じだ。

 息子が小学生の頃、遠足は「一品弁当」という”きまり”だった。おにぎり以外のおかずは一品だけに限る!という”きまり”で、わが家では私が特大のおにぎりをひとつだけ作り、一品のおかずにポールウインナーを1本だけというのが定番だった。
 で、先の”わが家で大人になった息子がそれを見つけた時”だが、「実はあのときのポールウインナーはそんなに好きではなかったんやで」とポツリと言った。
 私は”小学生は大好きに違いない”と信じていたのだが、子どもは親にそれを言うのは可哀相だと思っていたらしい。

 伊藤ハムのポールウインナーは年間1億本以上売れているが、その93%は関西向けで、関西以外では全くといっていいほど売れない不思議商品だという。93%の内の幾らかは私が買っている。

   東(あずま)ではそう呼ばれてる桜餅私の辞書にそれはないけど

3 件のコメント:

  1.  道明寺でない桜餅? しかも桜の葉さえない。 ここはどこ?

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  2. 新しモン好きの義父は「こんな便利な物が出来た」と言って箱買いしてきたそうです。
    ポールウインナーは今でも夫婦そろって食べています。魚肉ソーセージの味に飽きた舌にポールウインナーの味は画期的でした。

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  3.  箱買いはチキンラーメンですね?
     どうかたくさんお義父さんの話を聞いて書いてあげてください。
     朝ドラはカップヌードルに向かうようです。それは革命的な新商品でした。

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