2019年3月28日木曜日

でろれん祭文

   先日「でろれん祭文」を聞く?見る?機会があり、『新日本紀行』の番組の中に放り込まれたような感動?のひとときを味わった。

 2010年12月26日の記事に書いたが、私は奈良市東部山間、田原地区で奈良県無形民俗文化財『祭文』のホンの一部を聞いたときから、一度は本格的に聞きたいと思っていたのが実現した。

 先日、このブログで神仏分離令の横暴を書いたついでに奈良県宗教者フォーラム編『修験道の真実と未来』という本を読み返し、その中に「山伏の祭文語りの芸が江州音頭になった・・・」等々が心に残っていたので興味を持って出かけてみたわけ。

 それは、江州の浄土宗布教師、櫻川雛山師によるもので、阿波鳴門巡礼歌の段を中心としたものであった。語りの主な舞台はご存知大阪玉造。

 今般の場所は奈良町の古刹徳融寺(融通念仏宗)の本堂で、師は100%僧として、仏を背にして信徒に語る説教節?でもあった。私は1mの距離で聴かせていただいた。
 中型のほら貝はぶお~っと吹くのでなく、でろれんでろれんでろれんという囃子?のメガホンで、錫杖と、金輪を外した金杖が時々使われた。錫杖は江州音頭でも使われる。

 聞いていると、ここは浪花節や! ここは江州音頭! 義太夫! というように、源流はお経の声明や謡だったのだろうが、それが近代の浪花節などの芸能に昇華されていく「踊り場」であったことがよく解った。
 浄土宗の布教師が融通念仏宗の本堂で語るわけだから、念仏に始まり念仏に終わる説教でもあったのだが、芸としてもすでに一級品で、私は普通に芸能としても感激した。

 その芸をここに再現できる筆力はないから、ネットで見つけた師のプロフィールを紹介しておく。ここでは「貝(ほら貝)祭文」ともいわれている。
 【「貝祭文櫻川雛山師はこんな人」2007/2/22】 
伊賀の貝祭文宗家とはこんな人。櫻川雛山(加藤善也)プロフィール
昭和16年 滋賀県八日市で生まれ 幼少より江州八日市祭文音頭を習う
昭和39年 滋賀県職員
昭和44年 江州音頭 真鍮家一門 家元櫻川好玉を襲名
昭和56年 弘誓寺(ぐぜじ)で得度
昭和61年 総本山知恩院にて伝宗伝戒
昭和62年 仏教大学文学部仏教科卒業 優秀論文賞を受ける
平成4年  江州八日市祭文の大先萬寶院櫻川雛山を仏教大学四条センターにて襲名し、貝祭文宗家となる
平成8年  総本山知恩院布教師
平成8年  大峰山 大先達
平成11年 嗣講
平成15年 江州音頭連盟協会の推挙により、真鍮家宗家櫻川好文を襲名
・著書多数・
  特に祭文の研究については浄土宗教学院より仏教論叢などに発表
  僧侶と遊芸人の関わり
  説教、布教とのかかわりについて
  盆踊りくどきとのかかわりにつて
  仏教説話系の語り物
  語り物とのかかわりについて
  さんせう太夫のかたりもの
  文芸にあらわれた熊谷蓮生坊
  瞽女唄について        など
尚、舞台上での口演は全国多岐にわたっている。

 さて、本来は、でろれんでろれんでろれんでろれんと続いている間に世話役がお盆を持って廻ってお布施を集め、それが少ないとでろれんでろれんが続いてさらにお盆が廻るらしかった。
   で、このブログで「ありがたいお話を聞かせてもらえた」と共鳴された方は、何かの機会にお布施代わりに私に奢っていただければ幸いだ。

  でろれんの祭文語りや彼岸過ぎ

0 件のコメント:

コメントを投稿