2019年3月5日火曜日

仏教抹殺

   2018年は明治150年ということで、あちこちで「明治の精神」なるものを称賛する発言が相次いだ。その残りかすは今も書店の店頭を汚している。

 極めつけは安倍晋三内閣総理大臣で、この1月28日、通常国会冒頭の施政方針演説で明治天皇の和歌を引用した。それは日露戦争時に戦意高揚をめざしたものだった。
 それは、現天皇が在位30年の式典において「平成の30年間は近現代において初めて戦争をせぬ時代だった」と感慨深く述べたものと対極をなしていた。

 結論を言えば、明治維新から昭和前半の帝国憲法下の日本は、国民に多大な犠牲を強いながら富国強兵に突き進んで大いなる破滅に突き進んだという一面が大いにある。
 そこに目をつぶり、明治の精神や明治150年を問答無用で礼賛するのは極めて危険なことだと私は思う。

 その危険な誤解を、廃仏毀釈という側面から事実をもって教えてくれたのが文春文庫『仏教抹殺』だった。
 2001年にタリバンがバーミヤンの摩崖仏を爆破した映像は記憶に新しいが、明治の廃仏毀釈では全国の寺院は少なくとも半減し、仏像等は焼かれ、壊され、一部は糞尿で汚された。タリバンの野蛮以上だったとも言える。
 梅原猛は、廃仏毀釈がなかったならば今の国宝の数はゆうに3倍はあっただろうと指摘している。

 この本は非常に公平に筆が運ばれており、幕末頃の僧侶の一部に大いなる堕落があり、寺院の一部は大名まがいの地主として庶民を苦しめていた一面も正直に書いている。
 しかし廃仏毀釈の本質は、富国強兵を目指す明治政府が、国家神道の下に祭政一致体制を築こうとしたものであり、そのための思想(信仰)統制であった。

 ただ、この本で学んだことは、各地でその程度の酷さには大きな違いがあり、有体(ありてい)に言えば二流三流の知事の方(ほう)が政府のご意向に忖度して酷かったということである。
 さらにもう一つ、それは前述の寺院側の堕落や搾取もあったからという側面もあるが、その地の庶民が廃仏に熱狂した事実も現代人は大いに知っておくべきだろう。

 今まさに統一地方選挙の時期であるが、維新の二流三流の首長がやたらに過激な発言で扇動し、一部の煽られた庶民が熱狂する場面を見ると、約150年前にこんなようなことがあり民主主義が壊されたことがあったなあと私はしみじみ連想を拡げるのである。

 故に、今こそ全ての日本国民に問う。廃仏毀釈150年も知らずに、やれ家(うち)は真言宗だとか法華宗などと言っている日本人のなんと多いことか。
 いやしくも仏教徒と言うのなら、明治150年などという標語に親和してはならない。と、チコちゃんに倣って(パクって)私は言いたい。

 おまけを言えば、奈良公園の鹿は一般には春日大社の神鹿と言われているが、江戸時代までの実態は神仏混淆下の興福寺の鹿でもあった。
 よって第一代県令四条隆平は興福寺の権威失墜のための思想統制の一環として、廃仏毀釈に乗じて鹿狩りを行い、鹿はすき焼きにされたため絶滅の危機に瀕したという。
 奈良の歴史はいくらか知っているつもりだったが、この話は初めて知った。
 ジビエ料理は嫌いでないがこの話は喰えない。

   廃仏を忖度し熱狂したる明治あり

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