2017年1月7日土曜日

義父はウルップ島にいた

   私の義父は戦争中、今でも日本軍のトーチカ跡があるというウルップ島に兵隊として派遣されていた。
 親孝行したいときには親はなしとはよく言ったもので、ほとんどの日本人がよく知らないその地の風土などをもっともっと尋ねておけばよかったと悔やんでいる。妻もほとんど聞いていないという。

 ウルップ島はエトロフ島の北東の島で、クナシリ島よりわずかに狭いが面積は1,450k㎡ある。ちなみに大阪府の面積が1,899k㎡だから「島」などといって侮れない。エトロフやクナシリの大きさは推して知るべし。

 北アルプスや八ヶ岳に山登りをしていた頃、高山植物にチシマギキョウとかチシマウスユキソウなどと「チシマ(千島)」という名の付く草が多かったし、もっと直接的にはウルップソウというものもあった。
 ネットを開くとウルップ島はラッコの島、広葉樹林の北限とあった。
 知らないがどこかに懐かしさも感じる島である。

 さて、ウルップ島を含む千島列島は、明治8年にロシアとの間で樺太・千島交換条約が平和的に締結されたので、カムチャッカ半島の目と鼻の先まで全千島列島は日本の領土だった。
 だから、領土不拡大の原則を踏まえたポツダム宣言を受諾した日本は、敗戦国とはいえ全千島列島を一島だって奪われる理由は何もなかった。
 それが今日の「四島返還」に矮小化されたのは、ひとつにはスターリン・ソ連による不当な侵攻、ふたつには自民党の前身政党によるサンフランシスコ条約時の「千島列島の放棄」という誤ったメッセージにある。
 その後に「南千島は千島でない」などという詭弁を弄したので世界からほとんど相手にされていない。(ハボマイ、シコタンが北海道の沿岸の島だというのは妥当であるが)
 それに対して日本共産党は、原則に立ち返って「四島返還」ではなく「全千島列島」の返還を前提に平和条約交渉を進めるべきだと主張していて、「日本共産党が一番ソ連やロシアに対して原則的で厳しい要求をしている」と驚かれたりしているが、私には幕末から明治のリーダーが必死になって不平等条約の改定に奔走した姿とダブって見える。
 
 昨年暮れにプーチンが『遅刻に遅刻を重ねて』日本にやってきた。遅刻もまた外交だということを不愉快ながら十分に学ばされた。
 ところが、「経済活動はロシアの主権の下で行われる」とロシアが繰り返し表明する下で、安倍首相は一切の反論もせず莫大な「経済協力」を約束した。
 それは、「返す返す詐欺」に乗ったバカな被害者と揶揄されるだけでなく、ロシアのクリミア併合に対してEUやG7など国際社会が経済制裁の強化を決定しようとする局面で行ったということで、国際社会の取り組みを壊す許しがたい裏切り行為でもあった。

 この経済援助で四島にはさらにロシア人の流入と経済活動が増え、仮に関連して日本人の活動が増えるとすると、日本人の交通事故や不慮の犯罪事故などがあった場合、当然にそれはロシアの制度で処置されるので、ますます返還は遠のいた。
 安倍晋三という人は、口先だけは勇ましいが、自分の選挙のためになる話題作りのためなら何でもする人だと思う。Post-truthはヨーロッパだけのことでない。(Post-truthは前回の記事に書いた)

   ウルップ草汝が故郷に父はいた

1 件のコメント:

  1.  戦前ははっきりとした日本領土であったので、北大の宮部金吾博士等が植生などをしっかりと研究されている。それによると、エトロフとウルップの間が「宮部線」で、ウルップ以北はハイマツやダケカンバなどの矮性な樹林しかないという。私の理解で言えば中部山岳地帯の標高2500㍍、森林限界の上ということになる。穏やかな天候の時は清潔感漂う美しい風景だが、一旦天気が崩れると命の危険に及ぶ。ライチョウやオコジョの世界だろう。

    返信削除