2017年1月15日日曜日

小さいことからコツコツと

   12月30日の読者の広場に投稿が掲載された。
 上手くは書けなかったが言いたいことは「自分の言葉でメッセージを発信すること」の値打ちのようなことを言いたかった。
 あとで読み返してみて、メッセージの伝え方を見出しにしながら、そもそも言いたいことがはっきりと伝わっていない。・・・と反省していた。

   ところが1月13日、見ず知らずの仲間から「共感する」とのいわば「返歌」をいただいた。
 これには、私の投稿が掲載された以上に感激した。
 小さなことかも知れないが、気持ちは波紋の様に広がるのだと実感した。

 メッセージの伝え方に関わっては、オックスフォード辞書の2016年の単語「Post-truth (ポスト真実)」が話題になっている。
 典型は、イギリスのEU離脱派が嘘をついて住民投票を制したことやトランプが嘘をついて大統領選を制したことで、事実や真実よりも、感情的で攻撃的な言葉で弱者を仮想敵に仕立て上げる手法とそういう劇場型社会を指している。
 
   教養ある人々が「あんなゲスな扇動が功を奏するはずがない」といっている間に、彼らは一定の結果を得た。
 中野晃一先生の言を借りれば「正しいことを言っているのだから伝わって広がるに違いない」といっているうちにである。

   Post-truth の時代、民主主義を守ろうという人々は本気で「メッセージの伝え方」を考える必要がないだろうか。
 言葉を変えれば、どんなに立派で高邁な理屈であっても、相手の心に伝わらない話は話にならない。つまるところ、よく勉強しながら人情にも厚いというのがいいのではないか。

 遊びのないハンドルみたいな人物は息苦しいと思われないか。実は私は多分に無趣味で面白くない男である。反省。
 そんな遊び心で「ヒヨドリはグルメ?」を書いたらこれも掲載された。
 これを読んで何人かがクスッと笑ってくれればいい。

 川柳の追記
   信じるという言葉を信じる投稿欄

2 件のコメント:

  1.  13日の朝いちばん、友人から「菜園自慢見たよ」とメールがあって掲載されたことに気づいたというのが真相。
     「鳥といえば木の実をついばむぐらいの認識しかなかった」と驚いていただき感謝。

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  2.  言葉の波紋ということで言うと、2013年5月1日の「土手のスカンポ ジャワ更紗」にコメントを戴いた。検索で引っかかったのだと思うが、こういう風に広がっているのだなと実感させられた。
     「ネットに書いて、それがどんなに効果があるねん」とおっしゃる方もおられるが、成果主義でもあるまいし、もっと友達の輪を信じてもいいのではないだろうか。

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