2017年1月5日木曜日

新春詠を読んで

   昨年の秋ごろから、ブログ記事にできるだけ17音(文字)を付けることにした。
 それを自信をもって俳句と言い切れないところが悲しいところで、我ながらこれはどう見ても川柳だなと思うものがあったり、夏井先生流にいえば「散文を五七五に切って俳句のつもりになっている」標語のようなものも多い。というか、その方がほとんどだ。
 が、何事も「やらないよりはやってみること」の方が良いだろうと居直っている。学びて思わざれば則ち罔しだ。

 さて、朝日新聞元日号の「新春詠」からお二人の歌と句を摘んでみると・・・、
 不時着と言ひ替へられて海さむし言葉の危機が時代の危機だ
 Post-truth他所事(よそごと)ならず無表情に衝突と言ひて去りゆく女人   永田和宏 ※

 殺すなかれ殺さるるなかれ薺(なずな)打つ
 降る雪や奪はれても奪はれても福島     長谷川櫂
というのが印象的だった。
 
 これらのテーマを散文で解説すると恨み節になったりお説教になったりする。
 それが定型の短詩に昇華されると力強く人々の心を打つのが素晴らしい。
 この歳になって、つくづくと己が才能の無さを恥じるものの、一時、「老人力」という言葉が注目されたときがあるが、その伝でいけば、「嘲笑われてもいいや」という居直りはプラスの老人力だろうと居直っている。

 ※ Post-truth(ポスト真実) : 客観的な事実や真実よりも、身を切る!とか取り戻す!とか守り抜く!というような、決意や熱心さを前面に押し出した嘘や誇張やホンネと言われる言葉が社会をリードし、その主張の一番の犠牲者になる層がそういう言葉に熱狂する感情社会のことだと私は理解している。(12月29日の「証拠隠滅」のコメント欄に一部記載)
  ※ 沖縄の新聞の見出しは「墜落」だが本土の新聞は官邸発表の「不時着」に右へ倣え!
 ※ 南スーダンは国連の委員会も「飢えや、集団強姦、村の焼き打ちなどで既に民族浄化が進んでいる」と警告。国連が「南スーダンへの武器の禁輸」を求めるも日本政府は反対。米国の国連大使からも批判されている。・・が、防衛相(女人)は「衝突」があっただけと。

   年頭に「ポスト真実」の歌に逢ひ

   お正月孫に習いし恋ダンス

1 件のコメント:

  1.  「ポスト真実」はあちこちで話題に上っていますね。
     橋下を見てきた大阪人としては、今更の感もないではありませんが、十分に克服はできていません。「ポスト真実」・・大いに語ってまいりましょう。

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