「クマグスの森ー南方熊楠の見た宇宙ー」の著作もある松居竜五龍谷大学教授の講義を聞いて、今更ながら熊楠の偉大さを再認識した。
私が感動したその個所は、森羅万象を正確に記録しようとした熊楠の徹底ぶりである。
彼の晩年の日記がプロジェクターで紹介されたが、そこにはその日の記録の最後に「〇時〇分臥す」と就寝時刻が記されていた。
その就寝時刻であるが、先ずはその部分のみ空白にして大部分を記録し、余白に走り書きのように鉛筆で数字の記載があり、その後その個所に清書・挿入されていた。
つまり、あくまでも正確な記録にこだわった熊楠は、日記を書き終えた時刻を就寝時刻としたのではなく、自分が今まさに眠りにつく瞬間に、その正確な時刻を鉛筆で走り書きした・・・・・そうとしか考えられないのである。
講義のこの件(くだり)では、受講者のほとんどは熊楠の偏執とも思えるこの行動に大きな失笑を浴びせたが、私は正確な事実を記録に残そうとした熊楠の執念に感動を覚えて笑うことができなかった。もっと正確には、この話を笑うものは帰れ!と言いたいような不快な気分でいた。
正確な事実を記録しないということでは、大臣や与党幹部の失言がその典型だろう。
社会から指弾を受ければ「真意ではなかった」と言い訳し、それで済まないとなると「遺憾であった」などと言う謝っているのか謝っていないのかわからない言葉で収めようとする。
あるいは、地方選挙に出向いた与党幹部が、それ自体買収策以外の何物でもないが、莫大な「振興策」なる予算配布を約束し、選挙が終われば知らぬ顔で「財政は厳しい」と言う。
片や国民も国民で、選挙になればこれまでの候補者や政党の一つ一つの態度を忘却し、嘘八百ともいえる大風呂敷に「何かしてくれそうだ」と投票する。
熊楠の日記を笑った受講者は胸に手を当ててほしい。
熊楠は現代人に、事実を直視し記憶しておくことの尊さを言い残していたのではないか。
追記 6月22日、和歌山出身のスーパー、オオクワに熊楠の実家であった酒造家・世界一統のお酒が並んでいた。
熊楠とか南方という名で何種類も並んでいた。
純米吟醸南方を求めたが、非常に美味しいお酒だった。
熊楠には全くそんな気はなかっただろうが、熊楠は100年後に実家にお返しをしている。
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