2014年6月12日木曜日

桑の実

  物心ついた頃からは近畿の都会で育ち、現職の時代は仕事場と会議室と居酒屋ばかりだったから、「花鳥風月」はリタイヤしてから齧り始めたという青二才である。
 そんなものだったから、20代後半に初めて群馬県に行ったときには、上信越線の車窓に広がるイチジク畑に感動して、「上州はイチジクの産地だったのですねえ」と感想を述べたら、上州の皆さんからモノ知らずを憐れむような視線とともに「あれは桑畑なんですけど」という返事が返ってきた。
 その後、群馬出身の上司と巡り合わせ、酒席でそんな話をしたら、「宮中では天皇が稲作を、皇后が養蚕をされるのを知っているか」と尋ねられ、「さすが富岡製糸場の地だけのことはある。養蚕と桑畑は郷土の誇りなんだ」と、文字上の知識でなく、その郷土の精神のようなものを学んだことを思い出す。
 
 いつもの歩道に、赤く熟した実を見つけた。
 桑の実だろうかと想像したが自信がない。
 食べてみると、ほんのりと甘いがそれ以上でもないし、家に帰ってから私よりは植物に強い妻に尋ねたが、妻も「私も気になっていたが、実が少し小さいし、味もあまり甘くない。葉っぱも少し薄く感じる。」とのこと。
 葉っぱを持って帰ってきたが、どういうわけか私の「樹木の検索の本」には「桑」が載っていない。
 樹木というよりもある種の農産物扱いなのだろうか。解らない。
 で、十分に自信はないのだが、「まあ桑やろう」ということに夫婦で決し、道を歩くたびにひょいと摘んで口に入れている。
 10数年間通勤その他で歩きなれた道だが、こういうこと(桑の実の収穫)を今年初めてやってみた。
 樹木のことだって知らないことばかりだ。

 私の街も、隣の街も、どういうわけかゴミ収集車(パッカー車)の音楽はまったく同じ「赤とんぼ」だ。
 ♪ 山の畑の桑の実を 小籠に摘んだはまぼろしか ・・・私のことを言われているようだ。
 こういうのを共同幻想というのかどうかは知らないが、「故郷」や「赤とんぼ」の歌(歌詞)はほとんどの人々に郷愁を感じさせるようだ。考えてみればおかしなものだ。
 書いたように、私は桑の実を摘んだ経験もないし兎狩りをしたこともない。(妻の小学校では兎狩りの行事があったそうだが) 
 それは、ことあるごとに「これが郷土だ」「これが幼い日の風景だ」と刷り込まれてきた結果ではないだろうか。少なくとも私のような者にとっては・・・
 「故郷」も「赤とんぼ」も他愛ないテーマであるからよいが、立派な私たちの先輩が「神国日本」を信じ、「人殺し(戦争)を正しい」と信じたような刷り込みは怖い。

 桑というと、私は「赤とんぼ」よりも門倉訣作詞、関忠亮作曲の「桑畑」という名曲を思い出す。
 東京都下砂川町(現立川市)は八王子の絹織物のための桑畑が広がっていた場所。
 朝鮮戦争末期に砂川(立川)基地拡張(強制土地収用)反対闘争の中で生まれた歌だとか。
 郷愁の向こうに仕舞っておきたいこんな歌がますますリアリティーを持ってきた現代に、老人達は座していていいのだろうか。(♪桑畑はyou tubeにある)

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