7月17日に「鷹乃学を習う(たか わざをならう)」という七十二候の中のひとつの候があり、19日からは18日間の土用に入った。
判ってはいたが、その頃は天候が安定していなかったり、こちらが元気が出ず、8月に入ってからようやく土用干しを行った。
手伝ってくれた孫は柔らかい梅がお気に入りで、ちょっと摘まんでは口に入れた。
「塩分を摂り過ぎたら成人病になるぞ。」と叱っても2歳の孫には通じない。
部屋に入ってから孫は、扇風機の前で団扇をお皿のように持ち、その後で祖父ちゃん祖母ちゃんのところに来て扇いでくれた。
要するに、扇風機の涼しい風を運んでくれているのだ。
父さん母さんに、そんなことを教えたの?と聞いたが教えていないとのことで、メルヘンチックな孫の知恵と心遣いに祖父ちゃん祖母ちゃんは感激した。
そして、「鷹乃学を習う」季節(七十二候)を実感した。
「土用といえば土用の丑の日」であるが、鰻の値段が高騰している。稚魚の乱獲が原因で当然だろう。
だから今年は、鰻には手を出さなかった。
私は鰻も鮪も大好きな日本人だが、ちょっと此の頃の地球規模の乱獲は度が過ぎていると思う。
日本人だけが悪いのでなく、日本に輸出すれば儲かるという人々もいるのだろうが、つくづく資本の原理には倫理が欠けていると悲しくなる。
新自由主義者の皆さんは、市場というものは野放しにすればするほど適切な結論を選択するというのだが、馬鹿も休み休みに言ってほしい。「規制緩和」、「小さな政府」は、亡国の呪文である。
大型スーパーの様子から勝手に推測するのだが、その貴重な鰻のかば焼きにしても、「土用の丑の日に付き完売・・・」というような様子はなく、高額ゆえだろう結構売れ残っている。・・・ということは、日本国中で大量に廃棄されていることだろう。
これといった対案は持ち合わせていないが、「鰻はそんなに安なかってもええなあ。」「売り切れ御免程度の量を並べるだけでええなあ。」と夫婦でぼやきながらスーパーをまわった。
本当に対案は持ち合わせていないが、川上に広葉樹を植樹したり、海に漁礁を造ったりと、日本人はもっと謙虚な人々であったはずなのに・・・と、思ってみたりした。
乱獲と言えばクジラがまず浮かびます。鯨食は日本の食文化だという主張は理解もできるのですが、江戸時代にはスーパーもなかったし、大規模に日常的にクジラを食べていたわけではありません。要は規模の問題ですが、文化と言うと規模のセンスがなくなるのは困ったものです。
返信削除明日はもう立秋です。
返信削除しかし、「秋隣(あきとなり)」というよりも、真夏の夕立ち(集中豪雨)です。
なら燈花会のスタッフの皆さんも大変でしょう。奈良国立博物館は雨漏りで国宝の仏像が濡れたそうです。何か末法思想を思わせるような昨今です。
mykazekさん コメントありがとうございます。参考になります。
返信削除私も「調査捕鯨」という言葉には眉に唾をつけたくなりますが、しかし、種類や捕獲数等を限っての商業捕鯨は資源保護と両立するのではないでしょうか。私は捕鯨禁止派の主張の方が情緒的な偏った文化に基づいているように思っています。
私は、鰻も鮪も鯨も食べたいのです。そのために乱獲を諌めたいのです。
甘いでしょうか。
2歳可愛い時ですよね!いいなあ!私は孫と遊んでもらえるのものもあと僅かです。
返信削除遊べるときに思いっきり楽しみます。
ちょっと知恵がついてきました。だから、ショッピングモールのど真ん中で大の字になって駄々をこねるのも覚えました。困ったり、嬉しかったりです。
返信削除