2013年8月27日火曜日

堺県の頃

  慶応4年(1868)5月、明治政府は堺県を設置したが、私が書くのはその栄光の日々のことではない。
 同月に前後して設置された奈良県のことである。
 奈良県は7月に奈良府と改称され、明治2年にふたたび奈良県と改称された。
 明治4年の廃藩置県で大和の国には8~14の県ができるという変遷の後、11月にほゞ現在のイメージの奈良県が成立した。
 それから5年後明治9年、奈良県は廃止され堺県に合併された。堺県は、河内、和泉、大和三国を管轄した。
 堺にとっては中世以来の栄光の日々とも言えよう。だが・・・、
 『さて、堺県の出張所が置かれているとはいうものの、県庁を失った奈良の町は活気をなくしてさびれはじめた。県庁への用事のある人を泊めた宿も、客が少なくなって営業をつづけることが困難になったので、奈良の町に見切りをつけて堺に移ることが多かったなどと『郵便報知新聞』は伝えている。町家の取りこわしも毎日のようにおこなわれたという。奈良今小路町の旅館対山楼の主人は、明治11年ごろのようすを、『雲井坂から手貝通りを見渡したところ、火影はただわが家の旅館の門灯だけで、そのほかはまっ暗だった』と語り、人影が消え、雑草が生い茂る京街道のさびれようを嘆いたと伝えられている。」青山四方にめぐれる国・奈良県誕生物語・・・と書かれている。
 そうして明治14年、その堺県が奈良県を含んだまま大阪府に合併されたのである。
 その時の元老院会議の趣旨説明では、「大阪府は河川が多く、多額の橋梁堤防費を必要とし、それが府財政の負担を重くしている。・・・・・隣接の堺県を合併すれば、府の管轄地を広くし好都合である」とされている。
 こうして、6年余りにわたる苦闘の奈良県再設置運動が本格的にはじまったのであるが、その一冊の本になるほどの往時の奈良県民の苦悩の歴史は、生駒山地、金剛・葛城山地の西の方ではあまり知られていない。
 明治14年、請願手続調査委員の選出から、請願委員上京・内務卿等への働きかけ、明治15年却下、明治16年太政官への請願、陳情の日々、山県有朋への陳情、却下、元老院へ建白書提出、再提出、明治20年松方正義大蔵大臣に面談、途中松方が激怒して煙草入れを投げつけるも「もはや生きて大和には帰れません」と懇願、11月伊藤博文総理大臣等から内諾・・・・あらすじにもならない事項を拾い上げても紙面が足らない屈辱と苦悩の日々であったことだけは容易に想像できる。

 思うに、現在も奈良県知事が関西広域連合に参加していない底流には、この祖先の記憶が拭い切れないということもあるのではないだろうか。
 
 さて、大阪府に合併された堺は、その後堺市として営々と市政を充実させ政令指定都市にまでなり、数々の指標で大阪市をしのぐ市民生活水準を築きつつあるが、橋下維新は、大阪都の財源のために堺市を分割吸収するという。・・・・どこかで聞いた言葉である。
 歴史は今を照らす鏡である。
 堺市民は、その昔奈良県民が涙した悔しさに思いをはせると現在がよく見えはしないだろうか。
 堺市は、何が悲しくて大阪都やらに吸収されなければならないのか。
 「一度やらしてみては・・」は通じない。
 屈辱と苦悩の展望なき堺市再設置運動をしたくないのなら。

11 件のコメント:

  1. 同じ轍を踏まない、という意味からも、市長選挙に十分使えそうな内容です。提供、可でしょうか?

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  2.  ひげ親父さん、コメントありがとうございます。
     ちょっと斜に構えたものの言い方ですが、「一度やらしてみては?」「あかんかったら次の選挙でやり直したらええやん」という方々には思い直してほしいという気持ちで書きました。
     もし利用できるならいくらでも使用してください。

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  3. よく勉強されてますね!
    大阪市長が堺市長選挙にしゃしゃり出ないでほしい!そして混ぜ壊すやからをその都度マスコミは取り上げないでほしいとつくづく思う!応援よろしく!

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  4. 堺県が奈良を飲み込んでいたこの話は聞いたことはありましたが、よく知らず、大変勉強になりました。それにしても、大阪都構想のでたらめさと明治維新の朝令暮改ぶりが重なります。

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  5.  ワガババさん、mykazakさん、コメントありがとうございます。
     それにしても近頃は橋下のでたらめぶりがアチコチで露呈しマスコミでさえカバーしきれなくなってきていますね。
     さて、土着というか永年堺に住んでいる住民の多くは「堺よりも大阪の方がええ」とは思っておらず、「何が悲しくて大阪都に吸収されなあかんねん」というのが圧倒的だと思います。
     しかし、なにしろ堺も大都会です。そこは全国共通の非正規不安定雇用低賃金や就職難で未来が見えない人々も少なくありません。成人後転入の人々に郷土意識が希薄であるのも当然です。
     維新の票は、維新の政策に納得してというよりも、そういう出口の見えないうっぷんが「公務員や教員は恵まれている。」「従来の枠組みを壊したら何かが起こるかも知れない。」という扇動と共鳴するのだと思います。
     そういう意味では、維新後の大阪府や大阪市が庶民にとってどう悪化したかという解説とともに、未来の堺市政をどう充実させようとしているかという訴えが重要だと思います。
     と、思うのですが、それにふさわしいブログが書けず情けない思いをしています。

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  6. 私が小学生であった50数年前から堺市は政令指定都市をめざしていたと思います。やっと、堺市は悲願の政令指定都市になったばかりなのです。何が悲しくて、大阪都に吸収されなくてはならないのでしょうか。これから、政令指定都市のメリットが市民に還元されるのです。人権無視が世界中から非難されている橋下市長のような人に堺市を乗っ取らせることなど許せないです。今度の市長選でも伊丹、宝塚市長選のように大差をつけて維新に勝たねばならないと思います。町内の3軒のお寺は「堺はひとつ」のポスターを張り出しました。向かいの花屋さんも「堺はひとつ」のポスターを張り出しました。着々と反維新の輪が広がっています。  

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  7.  dyougoziさんコメントありがとうございます。
     「堺はひとつ」はいい合言葉です。
     橋下維新の政策は、つまるところ大阪を失敗続きで疲弊させてきた開発投資型政治以外何もありません。いやいや、地下鉄や大手前の不動産を利権屋に払い下げする露骨な利権政治もあります。
     結局、その赤字の穴埋めと投資資金を堺から吸い上げようとするものです。
     「大差で維新にとどめを!」も賛成です。
     力強いコメントに勇気をいただきました。

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  8. 橋下市長は「市役所を無くすだけで名前も地域も無くなりません」と詭弁を弄していますが、名前は使わせるがあがりは頂く、という某ブラックFCチェーンのやり口ですね。15日までが勝負です。

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  9.  ご指摘のとおりでしょう。そして、冷静に理性的に見れば橋下維新の無茶苦茶と危険性は明らかです。しかし、以前にも書きましたが、低賃金不安定雇用や失業中で未来が見えない人々が、「誰でも何でもいいからガラガラポンとしてほしい。」というアナーキーな気分になって維新に投じているのだと思います。この方々の解決の方向を示すのは現地の方々でしょう。私などは、堺はひとつ、堺を守れで勝手に自分の言葉で語ることだと思っています。
     多くの人々が、市長選挙だからと言って理屈っぽくならずに、それぞれの「堺を守ろう」を書いてくれたら嬉しいなあと思っています。茅渟の海さんなどはどうでしょう。いつ書くのかって。今でしょう。

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  10.  大阪の皆さんの「堺はひとつ」の熱気に煽られ、たまらなくなって私もこの議論に参加させてもらいます。
     今日の毎日新聞のネット配信にも、またも公募区長のセクハラ疑惑が報じられていました。公募校長や公募区長の背信行為による処分や失職は後を絶たず、目を覆うばかりです。これは決して偶然ではなく、合理性と採算性だけを追及してきた民間管理者の体質から派生したものであり、橋下市長の任命責任は明確だと思います。
     そんな橋下路線に堺市が絶対に乗っ取られないよう願っています。

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  11.  和道おっさん、ありがとうございます。
     3か月あまりで投げ出した公募校長に次いで今度はセクハラ区長です。
     橋下氏は知事のときも市長になってからも学力テストの順位の低いのは前教育委員や前知事・市長の責任だと言って強権的な介入を繰り返してきましたが、先日の学テ結果は全く変化がありませんでした。私は「だから責任をとれ」とは言いませんが、橋下氏の「口約」が如何にでたらめなものかを天下に明らかにしたと思います。
     こんなお方に堺市がつぶされるのだけは何が何でも食い止めたいと思います。

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