夕暮れに近くの歩道橋に上ると蝙蝠の出勤時間、通勤経路にあたるのだろう、同じ時間に同じ方向から無数の蝙蝠が飛んで行く。何処から来たのか、何処へ行くのかは解らない。
数十匹はこの辺りが縄張りなのだろうか、この辺りを飛び回る。
ところが、この蝙蝠を近所の人々は「知らない。」「見たことがない。」と言う。
興味がないというとこういうことになる。
事実、妻も、目が悪いこともあり、長い間「あれは蝶だと思っていた。」と言っていた。
アブラコウモリ、普通にはイエコウモリという。
蚊などの害虫を捕食するので基本的には益獣である。
蝙蝠(へんぷく・ビェンフー)の蝠(ふく・フー)が「福」に通じるので東アジアでは縁起のよい動物とされており、日本でも、「家に棲みつくと縁起が良い。」「子宝に恵まれる。」と親しまれてきたし、七代目団十郎が蝙蝠の図柄を好んだので流行したと、ものの本にある。
ところが、フランケンシュタインやドラキュラを生んだヨーロッパでは不吉な動物の代表とされ、欧米文化に毒された現代日本人の多くも「気味悪い。」と言うようになっている。
我が家にほとんど使用していない部屋が一部屋ある。
その部屋のシャッターの戸袋に蝙蝠が棲みついたようなのを発見した。(そんな大層な)
(あとで判ったことだが、風通しのためにほんの数ミリ開けておいた窓から室内に入った痕跡(糞)もあって驚いた。)
で、忍び足で近づいて、蝙蝠の昼寝の真っ最中に手早くシャッターを閉めて捕獲した。
非常に残念なことに孫の夏ちゃんはお母さんの実家に帰っている。ほんとうに残念。
此方にいたなら虫籠に入れて直ぐに見せに行くのだが、代わりに部屋の中を飛び回らせてスマホのムービーで撮影した。
チッチというかキッキというか、これが蝙蝠の超音波かと思わせるような鳴き声も聞いた。
何枚かの写真は妻に撮ってもらったので、残念ながら多くがピンボケだったが、牙をむいた顔は明らかに獣だった。
羽根??は薄い薄い皮膚のようで、蝶などよりは格段に丈夫そうだ。
「まるで薄いナイロン製の蝙蝠傘そっくりだ。」と思ってから、「当たり前か。」と自分の想像力の貧困に悲しくなった。
その薄い羽根?に透き通るように手足や指が見え、広げてみると「鳥人間コンテスト」入賞間違いない原始飛行機的可愛さだ。
観察のためにいろいろ触っているときに見事に噛みつかれた。これでさらに獣を実感した。
それでも可愛い可愛い小動物である。
「お礼に福を持って来いよ。」と言って放してあげた。
小林朋道著「先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます。」という楽しい本もある。その内容が参考になるかと思ったが、イエコウモリの観察は「かすりもしない」平凡なことで、こんなことに喜んでいる私はおかしいのかと反省した。
(好まれないお方もおられないかと写真は大きく掲載しないでおいた。お好みのお方は写真の上でクリックしていただくと大きくなります。)
一般的にイソップは蝙蝠を節操のない卑怯者としていますが、「臨機応変の知恵で対応したのだ」と肯定的に訳した本もあるようです。こういうチョッとひねくれた解釈も愉快です。
返信削除「懐」が広く深い、長谷やんには「あちらの方から」色々な話題が飛び込んでくるのですね。
返信削除福禄寿が「蝙蝠」「鹿」「霊芝」で表され人の世の至幸を具備されていると聞いています。
真におめでたい吉兆の話を読ましてもらってこちらまで嬉しくなります。有難うございます。
蝙蝠、鹿、霊芝で福禄寿を表す(見立て?)話は知りませんでした。博識のスノウさんから教えてもらってまた一つ楽しい話題が増えました。
返信削除蝙蝠の話を吉兆の話と言って戴けたのは嬉しいかぎりです。
昔、夕方の空を飛ぶコウモリに向けて下駄を投げると抱き付いて落ちてくると聞かされて飽きずに放り投げていました。
返信削除ひげ親父さん、「抱き付いて落ちてくる」とは聞き始めです。
返信削除ただ、石ころを投げると、獲物だと思って追跡してくるのは事実ですね。
ヤンマを捕る要領で捕れないものでしょうか。
なお、基本的には野生動物は勝手に捕獲してはいけないはずです。
何かの本で、蝙蝠の巣箱を読んだことがあります。小鳥の巣箱では前にある出入口が巣の下に隙間のように作られていたと思います。次は蝙蝠の巣箱に挑戦です。