2013年8月15日木曜日

終戦記念日

  ■ 戦争を知らない子供たち
  北山修や杉田二郎は同時代人である。
 でも、「戦争を知らない子供たち」はあまり好きではない。
 あまり好きではないが、戦争を知らない子供であることには間違いない。
 だから、堺の大空襲も私は直接体験していないし、そもそも当時父母も堺には転居していなかった。
 しかし、小さい頃に堺市堺区宿院町西の川尻にあった「戦災慰霊堂」の読経と御詠歌だったかのお参りに何回か母に連れられて行ったことがある。
 阪堺電車が宿院から大浜公園に分かれていたが、この阪堺線のガード下や土居川に死体が重なっていたと、その席で皆が語っていたが、小さな男児は「そんなことがあったんか」という程度の理解だった。
 「歴史たんけん堺」という素晴らしい本があるが、その中の「まちに残る戦争の傷跡たんけん」のページにこの慰霊堂が載っていないということは今はもうなくなっているのだろう。このように歴史は忘れ去られていくのか。

 ■ それでも、日本人は「戦争」を選んだ
  今日という日は、沖縄、広島、長崎、そして8月15日に向かった戦時体制というものがどのように進行して行ったのかという反省をしすぎるということがない日だと思う。
 ちょっとした知識人なら彼我の戦力から選択しようがないと考えられる戦争であった。
 にもかかわらず、一部のファシストが羊の皮をかぶって一夜にして戒厳令を敷いたわけではなく、明日の生活に希望が見いだせない普通の庶民が、「このままでは国は亡びる」という国家改造論に共鳴し、政友会や民政党よりも陸軍のスローガンを支持したという側面があったのではないだろうか。支持しないまでも傍観していたということも。(諸事実については加藤陽子著「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」に詳しい。)

 ■ 少年H
 「この非常時に。」という呪文の下、庶民が庶民を監視し密告した社会の恐ろしさは、猛暑対策を兼ねて観てきた「少年H」が教えてくれる。
 この映画あるいは原作は、神戸の一角の少年の話でありながら、ユダヤ人も描いているところがすごいと思う。
 戦地での餓死や玉砕、外地での置去りと引き上げ、シベリア、沖縄、広島、長崎、各地の空襲・・・悲しみは数えきれないが、大切なことはアジアの人々の犠牲であり、この加害責任を抜きにした終戦記念日はないと私は思う。

 ■ 昭和天皇独白録
 終戦記念日に私が思う第二の点は、この時点での昭和天皇の意識である。
 「昭和天皇独白録」によれば、7月25日に「もし本土決戦となれば、敵は空挺部隊を東京に降下させ、そうなれば、皇祖皇宗よりお預りしている三種の神器も奪われることも予想される。」と述べ、8月9日の『聖断』において、「敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の餘裕はなく、その確保の見込みが立たない。」・・・・故に講和をせねばならぬと思った。とされている。
 この全く浮世離れした感覚こそ天皇なのだと私は「納得」し、だからこそ天皇を浮世の政治に利用してはならないと強く思った。

 歴史は現在を照らしてこその鏡であろう。

7 件のコメント:

  1.  今日の政府主催全国戦没者追悼式で安倍首相は、歴代首相が述べてきた「アジア諸国への加害と反省」について、あえて述べなかった。これは「言葉」の問題ではない。日本国憲法と戦後民主主義への宣戦布告だろう。私のこのコメント・・大袈裟だと思われますか?

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  2.  思いません。そのとおりだと思います。「不戦の誓い」もなかったそうです。遺族の心情を逆なでし、中国、韓国始め侵略されたアジア諸国の反発は必至だと思います。

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  3.  「首相は中国や韓国などとの関係に配慮し、15日の参拝を見送った。」との新聞記事は的外れだと思います。ズバリ、アメリカ政府・議会の「親の心子知らず」との「訓告」に従ったのでしょう。そこには二重の意味で反国民的で卑小な姿が丸見えです。
     15年戦争賛美、戦犯賛美の靖国には自民以外にも維新、みんな、民主の議員が参拝しました。
     閉塞感の中で今の自分に自己肯定感を持てない「ネトウヨ」の支持を得たいという打算です。
     時代はまさに自共対決です。小躍進に喜んでいる場合ではありません。

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  4. 昭和3年(1928)2月20日治安維持法、共産党非合法化のもと普通選挙(但し男子25歳以上だけに選挙権が認められた)結果、与党の政友会はかろうじて第一党に留まったが過半数をはるかに下回り「無産政党」から8名も当選した。3月15日「左翼、革新派」に治安維持法による大弾圧が始まった。
    今、現在「右翼集団」は政治、経済、マスコミ・メディア、司法を牛耳っていると思います。彼らは「麻生発言」に見られるようにやろうと思えば何でも出来る力があると思います。それにしても「左翼戦線」「リベラル派」の貧弱さは目を覆うばかりです。3~40年前「自民党」は「世界の孤児になる」といっていましたが「世界(アジア)の孤児」にしているのは「右翼自民党」に他ならないと言う事がはっきり見えています。

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  5.  安倍首相や石破幹事長は口汚く中国や北朝鮮を罵りますが、その人権感覚や力による外交感覚が彼等とそっくりなのは皮肉というか本性がバレバレという感じがします。
     にもかかわらず、世論では過半数ともいえる「9条改悪反対」「脱原発」「TPP反対」が選挙結果に反映していないのはマスコミの責任大だと思います。
     そして今後のリベラル派の課題は、一人一人が自分の言葉で情報発信することだと思います。誰かの指示を待ち、誰かと同じ論調で、40年ほど前と同じ方法で語ってよしとしていたのでは、大躍進は困難だろうと思っています。
     楽しい運動を工夫する。・・・がキーポイントではないでしょうか。

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  6.  「在特会」会員らしい右翼の執拗な要請で、松江市教委が学校の図書館の「はだしのゲン」を閉架。日の丸に礼をしろ、君が代を歌わないから処分、戦争の展示内容を見直せ、護憲の投書には脅迫を伴う組織的嫌がらせ、そして「はだしのゲン」ときているのですね。
     そして、「それはあまりにひどいじゃないか。」と思ったときには、誰も何も言えない時代が来るのでしょう。映画「少年H」はそのことを教えてくれます。

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  7.  松江市教委問題について、和道おっさんのブログhttp://wadou.seesaa.net/が的確に批判されていた。その最後にドイツのルター派のマルティン・ニーメラー師の「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」という有名な詩が紹介されていた。転載させていただこう。
     『ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した。しかし、それは遅すぎた。』

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