清少納言(せい しょうなごん)が枕草子で「みささぎは うぐひすのみささぎ・・」とした「うぐひすの陵」がどの古墳を指すかについては諸説あるが、大勢は奈良・若草山頂上の鶯塚古墳をそれとしている。4世紀か5世紀前半に築造された前方後円墳で、全長103mの立派なものである。
少し気温の下がった過日、避暑がてらに訪ねてきた。
3世紀の後半にこれまでとは隔絶した巨大前方後円墳が三輪山麓に出現し、大王・王権の確立が見られたが、4世紀後半には大型古墳は奈良盆地北部に移動して築造された。
この「佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群を造営した初期の豪族の古墳がこれだろうか。
若草山から東を向くと生駒山が目の前に見え、少し南に目を移すと信貴山と二上山の間の、後の龍田越え奈良街道の向こうに河内の柏原まで見える。ここは大和川の河川であり、その先は難波津、もっと言えば大陸につながる。
北は平城山、木津川で、すぐそこは山城の国。南には後に都となる飛鳥や藤原京の場所も見える。
ここに立つと、文句なく「みささぎは うぐひすのみささぎ」と言いたくなる。
そして、この辺りの平地では聞くことのないミンミンゼミが鳴いていて、耳からも涼しさが入ってくる。
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