2023年9月10日日曜日

「しつらい」という文化

   炎帝もようやく退場の気配が漂ってきて、秋まつりのニュースも聞こえてきた。
 夏祭りはどちらかというと都市の疫病退散的要素が目につくが、四季の国の秋まつりとなると断然「収穫(感謝)祭」の色合いが濃くなる。

 キリスト教圏から来た人は、年がら年中どこかでお祭りのあるこの国の文化に驚くらしいが、元来は、春から夏にかけて重労働の続いた稲作農民にとっては「秋祭でもなければやってられない」と思ったのではないか。

 さて、そんな農耕民族の文化としての「しつらい」(しつらえ)(設い)(室礼)のことだが、松岡正剛氏は「しつらい、もてなし、ふるまい が日本の生活文化の基本だ」と述べておられるが、私は「もてなし、ふるまい」にあえて結び付けなくとも、農耕民族の四季を生活に取り込む文化というのが基層ではないかと思う。
 ここ数年の「地球沸騰」ではそうとも言っておられないが、元々は久隅守景筆国宝「納涼図屏風」ではないが、わが国の生活文化の基本は「風雨順時」だと思う。

 また、仏壇に「お花」が欠かせないように、幕末に来日した西洋人が貧しい庶民の家の前にも花が植えられているのに驚いたように、四季あるいは自然を生活に取り入れることはこの国では「当たり前」のことだった。

   そこで現代社会だが、土から離れた企業社会には四季も祭も希薄になり(少し前まではそれでも新年会、暑気払い、忘年会や慰安旅行があったが‥それの当否は別にして)、大都市では庭も遠ざかり、ニュータウンには祭もない。朝ドラ「舞い上がれ」でいえば現代人の多くはデラシネ(根無し草)になりつつある。

 そこで私は、せめて季節に応じた「しつらい」を大事にしたいと思う。それは年中行事にも通じる。
 孫たちが大きくなったとき、「じいちゃんはあんなしつらいをしていたな」とふと思い出してくれたらいい。
 そんな蘊蓄を垂れながら、稲穂に蝗(いなご)に名月をしつらった。

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