2016年10月30日日曜日

秋高し


 奈良の街はいま正倉院展でにぎやかだ。
 ただ、もともと道路事情はよくない街だから、時刻予約制の病院に行くまでの渋滞には少し弱る。
 それでも、晴れた日に修学旅行生らの嬌声が響いているのは好ましい。
 その声に共鳴するように、27日、大仏殿の鴟尾(しび)が輝いていた。

 大仏殿は「静かに!」などと大声で叱らないところがいい。
 遊園地で騒いでいるより、鼻の穴くぐりで騒いでいる方が余程「正しい子ども生活」だと思う。
 巨漢の西洋女子が詰まったのには、申し訳ないが同情以前に笑ってしまった。誰が見ても明らかに無謀だったがそのチャレンジ精神やよし。日本女子ならその半分程度の体重の人でも決して挑戦しないだろうと、西洋女子の逞しさに感動した。
 東大寺で静かに拝みたければ法華堂(三月堂)に廻るべし。

    秋高し奈良の古京(みやこ)の鴟尾の彩(いろ)

 「鴟尾とは何か?」と尋ねられたことがある。
 さて? 鴟尾は鬼瓦の一種とも思えないし…??
 鯱(しゃち)から連想して、鯱・海・水・火除けというのは、鴟尾の方が古く鯱の方が新しいから歴史的には話が逆だろう。
 結局、古い大陸の建築様式で、「大棟の左右にはアクセントがなければ物足りない」、事実、中国の古い寺院などでは大棟が水平の一直線でなく弓上にそっくり返っているから、そういうことなのだろう。
 と、一応考察は終わっているが、少し消化不良の気味でもある。
 有力な説があればご教示いただきたい。

2016年10月29日土曜日

インダス文明論は正しいか

 この春まで奈良教育大学学長だった長友恒人先生の、非常に刺激的な講義を聴く機会があった。
 先生は元々は原子物理工学から出発して幅広い研究を手掛けられ、今回の話は放射線測定による年代測定等の文化財科学の成果に則ったものだった。

   そこで、何が刺激的だと私が感じたかというと、教科書では「世界四大文明」というがほんとうに4つだけなのかということや、「四大文明は何れも大河文明」といわれているがインダス文明はほんとうに大河文明だったのか、さらにはBC1800年ごろに急速に衰退した原因はインダス河の大洪水のためと言われているがほんとうにそうなのか、あるいはアーリア人の侵入によって破壊されたという通説は正しいか、大王が出現して国家を作ったというのも事実なのか、文字で文章を作ったことが文明の証しというのも証拠があるのか・・・と、教科書の常識にことごとく真正面から「?」「?」「?」を突き付けたからだった。

 結論的に教えていただいたところでは、
 1 インダス文明の遺跡あとは日本列島を超えるほどの広範囲に広がっており、決してインダス河流域だけでない。
 2 遺跡の各種測定から、大河文明というよりも砂漠の上に栄えた都市だった。
 3 アーリア人侵入以前に衰退している。
 4 王墓など王権を象徴する遺跡・遺物が発見されていない。
 5 武器類の遺物の出土が極めて少ない。
 6 文字はあるが文章は発見されていない。(交易のための印章だったのだろう)
 ・・・で、結局インダス文明というのは「都市往来文明」「交易都市」だった。そういうことが判明している諸事実らしい。

 そもそも古代の話になると記紀神話のように非学問的な世界に迷い込むことが多々あるが、現に現代の教科書をもって教えられている「世界四大文明」論自身が神話であることがよく解った。
 通説、定説疑うべし!である。

 蛇足ながら、先生は講義の脱線の中で、日本人のノーベル賞受賞者がこぞって『基礎研究に予算を!』と言っていることなどに触れて、現在の政府・文科省が目先の成果だけを追い求めて予算編成していることを痛烈に批判されていることも印象的だった。

 質疑の中で、「その説はどのような歴史学者が支持されているのですか?」という質問があったが、何という愚問かと私は愉快ではなかった。
 有名な先生の説は信じるが、そうでない場合は内容自体を自分の頭で考えるのでなく端から遠ざける姿勢のように私には思えた。
 こんな面白い問題提起に何故ワクワクしないのかが不思議だった。
 時間も短かったので私自身疑問部分がないわけではないが、あとは各自が考えることである。 
 フィールドワークもせず人の話を聞いたり読んだりしただけで「勉強した気」になっていてはいけないが、まあ「勉強は面白い」と思っている。 

 真理はいつも最初は少数派だった 湯川秀樹

2016年10月27日木曜日

むしりまんねん

 何の調査も検証もしていない話だが、今年はオオスズメバチの活動が活発だと感じる。
 我が家の庭や私の生活圏では非常に目立っている。
 たまたま、このあたりだけのことかも知れないが、そんな気がしている。

庭に来たキオビホオナガスズメバチ
   義母の入所しているホームにも庇に巣をつくっているので「窓を開けないで」と注意書きが貼られている。
 「庭の散歩にも注意」と言われている。

 それらを知らないときからも、窓ガラスのすぐ外をブンブン飛び回っているのが散見されていた。
 なので、「ほら、大きな蜂が飛んでいるよ」と話していたとき、義母が小さな声で「むしりまんねん」と教えてくれた。????

 ジェスチャーを交えて義母が言うには、蜂の巣をむしって中の蜂の子を摘みだしてそのまま食べたということだ。
 ということは、どうもスズメバチではなく足長蜂らしいが、細かいことは解らない。
 ご飯のおかずというよりは、子どものおやつの一種だったようだ。

24日付け赤旗にこんな楽しい記事があった
   蜂の子を食べるといえば長野県周辺が有名で、大の大人のスポーツに似たゲームとして、あるいは商品として有名だが、義母の子どもだった昭和前半頃は全国的に食べられていたのだろう。
 しかも、スズメバチに限らず・・・。
 とはいえ、ホームの同年輩の方々に「私も食べた」と言う方はおられず、当時にあっても少し山間部に残っていた習慣だったのだろうか。

 16日に「フウの木」の話を書いてみたが、昆虫食というと中国雲南省が有名だから、こんなところにも文化の共通性があるように思う。
 念のためにいうことだが、私は日本文化の源流が長江だけにあるというほど単純には考えていない。しかし、中原の中華文明と韓半島だけではないことを大きな声で言いたいと思っている。

 元に戻って義母のジェスチャーだが、「むしりまんねん」と言って蜂の巣をむしる仕草をして、そのあと蜂の子を摘んで口に入れるジェスチャーを何回も何回もしてくれた。
 それは、決して「恥ずかしいおやつだった」というような様子では一切なく、極めて楽しそうな美味しそうな、もっと言えば少し誇らしげな想い出に包まれた笑顔だった。
 戦前の奈良県生駒山中腹の農村の「ふるさとの伝承」としてここに書いて置くのも、いずれはちょっとした民俗史料にならないだろうか。
 土産物などではなく、純粋な昆虫食の実際や親等の伝承があれば教えてほしい。

    蜂は飛び夢は長江へ雲南へ

2016年10月25日火曜日

国益よりも私益のTPP

 衆院TPP特別委員会で強行採決含みの緊迫した状況が続いている。
   交渉当事者が誰も国会に出ず、写真のとおり資料は真っ黒だ。
 これが近代国家のすることだろうか。
 そのことを問題にしないマスコミのジャーナリズムとしての姿勢も姿勢だ。

 大事なことを報道しないだけでなく、マスコミ論調は「グローバル社会に踏み出そうというのに時代遅れの農民・農協が既得権益を守ろうと駄々をこねている」という歪んだメッセージを撒いている。

 TPPには多くの問題があるが中でも私が危惧するのは9月24日に書いたISDS条項だ。
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2016/09/blog-post_24.html
 締約国の企業や投資家が相手国を訴える仕組みだ。

 エクアドルでは、裁判所が大規模環境汚染を起こした米国企業に損害賠償を命じたが、ISDS条項が発動され判決の執行停止が命じられた。
 米国、カナダ、メキシコが締結したAFTAでは、提訴の75%が米国企業によるもので、全事案の中で米国企業が敗れた事案は皆無である。
 これを、「国益の上に多国籍企業の私益を置くものだ」「国の主権を売り渡すものだ」と指摘してどこがおかしいだろうか。

 食の安全のために対策を強化したり、医薬品の基準を慎重にしたり、皆保険を守るために施策を充実したりすると、「自由経済に反する保護主義だ」といって多額の損害賠償を払わなければならなくなる。
 ドイツ政府は脱原発政策で約6000億円の賠償を訴えられている。敗れるだろうといわれている。
 日本の外務省は賠償を前提としてそれらのための「国際経済紛争処理室」を既に設置した。

 TPPは農業だけの問題ではない。
 国民の健康・安全その他生活すべてを多国籍企業に売り渡す協定書だ。
 保守だの革新だのという立場を超えて、こんな売国的な協定を批准させてはならない。

    嘘つかぬとのポスターありて秋寂し

2016年10月23日日曜日

金木犀の復権

   金木犀はまるで忍者のようだ。
 日頃は全く目立たない雑木のように隠れていたのに、いざというと全身が橙色に輝き、街中を芳香に包んでいる。
 ここにも、あそこにも金木犀があったんや!と大袈裟でなく驚いている。
 ほんとうに嘘のようにあちこちから湧いて出てきた感じだ。

   さて私などは、秋になって金木犀が咲くと「どこからかトイレの臭いがする」と感じたものだ。
 嗅覚というのは一番本能に近いようで、理屈では解っていても、それよりも早く脳内の回線が「トイレの芳香剤」と結びつけていた。

 ところが、この回線が、一定の年齢以下の人々にはそのようには繋がらないのだと妻から指摘された。
 その理由は、もう、昨日今日のことではないのだが、トイレ等の芳香剤が多様になり、あるいはもう少し薄い芳香剤が普及し、「トイレの芳香剤=金木犀の香り」という方程式が崩れて久しいのだという。

 反対に言うと、金木犀の臭いを嗅いでトイレの臭いだと感じる人は、結構な年齢以上の人、つまり早い話が『あんたは年寄りだ』というのだ。
 とすると、あまりカッコイイものではないから、嗅覚に関する本能的記憶からトイレの芳香剤を意識的に抹消して、純粋に金木犀の香りというプラスの情報をインプットする必要がある。

 我が家周辺では、去年より大分遅れて今が満開のような気がする。
 今日は出かける時に、少しばかり手折って紙袋の中に落としこんた。
 ちょっとした匂い袋のようなものだと自分では気に入ったが、すれ違う高齢者には「トイレの臭いの人」と思われているかもしれない。

 金木犀にとっては人間が作ったトイレの芳香剤は大きな迷惑だったに違いない。
 が、ようやく純粋に芳香として復権がなりつつある。
 そもそもは芳香だから、中国には3年間金木犀を漬け込んだ「桂花陳酒」というお酒がある。
 楊貴妃が好んだとも言われている。
 桂花陳酒を飲んで、「金木犀はトイレの臭い」という感覚を消去しようと思っている。

     木犀や桂花陳酒を思うべし

2016年10月21日金曜日

こんな秋宵があった

  楽しい秋宵(しゅうしょう)だった。
 OB会の20周年事業の中の一つの交歓会。
 早い話が居酒屋の2階を借り切っての宴会だが、ただ、「ただの飲み会」には終わらせたくない、ゆっくり歓談もしてもらいながらも少し楽しい企画はできないものかと、無い頭を絞って臨んでみた。

 一つめは写真のとおりの「鏡開き」。
 拍子木に合わせて「よいしょっ よいしょっ よいしょっ」と菰樽?を開いてもらって、ひっくり返すと「薬玉」風にお祝いのメッセージが出るように準備をしたが、先ずは「おおっ!!」っと驚いていただいた。
 これでいっぺんに「祝賀会モード」に突入した。(つもり?)

 「20年の歩み」やスピーチの後、二つめは、詩吟「名槍日本号」。
 結婚式には謡曲「高砂」があるように、これも目出度い席での祝吟の定番なのだが、近頃では、そんなことも庶民の共通認識からは消えてしまっている。
 だから、知らない者にとっては外国の歌曲を聞いているようなものとなるので、漢詩とその意味や、日本号という槍のいわれを配付した。

 その上で、こんな吟じ方があるのかないのか知らないが、場を華やかに彩るために3人で歌いつないだ。
 その雰囲気にみんなもノッテくれて、真ん中の黒田節のところは自然と大きな合唱になった。
 私自身は詩吟を全く習ってもいないものだったのだが、事前に「こんな企画はどうやろう」と妻に相談すると、「Tさん以外は詩吟の上手い下手など判らない人たちばかりだろうから、平気な顔をしてやってみたら」と的確なアドバイスで尻を押された。

 三つめは、世話人各位等からは「絶対にスベッテ失敗するで」と冷ややかに無視されていた「風に吹かれて」。
 もちろん、ボブ・ディランのノーベル賞という話題での緊急企画。
 忌野清志郎などいろんな訳詞を考えたが、ここはボブ・ディランの原詩を採用した。
 メロディーは比較的簡単なのだが、「聞いたこともない」という人も多いだろうし、さらに英語で歌うとなると・・・・
 そこで、詩の直訳とともに、英語にカタカナで耳に聞こえたとおりのルビを振った。

 「終わり良ければ総て良し」とも言われるので、全くついていけない人には、最後の「ジアンサ マイフレン /  イズブローインザウィン      ジアンサ イズ /  ブロインザウィン」だけでも歌って!とお願いした。
 1番を2回歌ったのだが、その結果は・・・

 大阪の繁華街広しといえども、居酒屋の2階で最低でも60歳以上のシニアが「風に吹かれて」を大合唱して盛り上がっているのは絶対にここだけだろうと確信した。ほんとうに見事な大合唱になって準備したこちらがその”出来過ぎ”に驚いた。
 カラオケ以降、いろんな宴会でも合唱することが少なくなったが、これがハマったときの楽しさはカラオケの比ではない。若い人々に「元祖宴会」の素晴らしさを伝承したいものだが如何だろう。

 最後は、青春の香り漂う恒例の我が「会の歌」(原名「学園広場」)・・・これはほんとうに自然に肩組み合って、フィナーレに相応しい合唱となった。
 そして、拍子木の音も甲高く、「大阪締め」で祝賀会は無事終了した。
 楽しい秋宵(しゅうしょう)だった。
 「ダンドリ八分」とまではいかなかったが、ダンドリに費やした精神的な「人日」はそれなりに感じてもらえるに違いないと信じてよかった。

   酒席から風に吹かれて秋の宵 

2016年10月20日木曜日

マコモダケ

   今シーズン2度目のマコモダケを奈良市の東部山間の田原の里で買い求めた。
 田原の里には太安万侶の墓がある。
 我が家では近頃は、もっぱらフライパンで炒めて美味しくいただいている。
 このマコモダケのことは2014年10月15日に書いた。
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2014/10/blog-post_15.html
 このときが私の「お初」だったが、近頃では見つけたときには「ちょくちょく」食べている。
   癖もなく、大いに気に入っている。

外の皮をむいたところ
   菰(薦)は、芦(葦)などとも近いイネ科の水辺の植物である。
 奈良労働局の入っている合同庁舎のすぐ近くに「菰川」という地名があり、「菰川」が流れている。
 古の平城京の基幹水路の一つであった。
 さぞや菰が生い茂っていたのだろう。
 佐保川に合流し大和川になる。

   2年前にも書いたが菰は神事や仏事にも重宝されている。 
 一番興味のあるのは宇佐神宮の御神体もしくは御験の菰枕だが、勉強不足の私なぞには不思議な植物である。(※)

 文献には、神田明神の御神体も菰枕だとある。
 出雲大社の注連縄も真菰製で、そのことは伊勢神宮の注連縄の麻製よりも歴史が古いことを示しているとの論にも興味が尽きない。
 もっと身近なところでは菰樽・薦被りだから、神聖で目出度い植物らしい。

   写真のお皿の左のが真菰竹の炒めもの。
 甘味噌を少しつけると文句なしのアテになった。
 
 余談ながら、売っていた産直の販売所で「昔、此処へ”千本餅つき”に来たことがある」と話すと、「毎年しているからどうか参加してほしい」と言われた。
 それで「日にち等はどこで広報されているのか」と尋ねると、「フェースブックだ」と・・・。

 ええっ!  ・・・「偏見だ!」と怒られるかもしれないが、鄙びた山里の販売所のおばさんから「フェースブックを見ろ」と言われるとは思わなかった。
 ただ、素直に考えれば、SNSは庶民の道具であり、弱者の道具である。
 変なところに感動と刺激を受けたものだった。

(※)福永光司先生の「道教について」という論文に、「『説文』第十篇(上)に神人が水沢に住んで薦を黄帝に遺(おく)った話を載せる」、「また『週礼』籩人職では神への供物を「薦」といっている」とある。

   神々も食しただろか真菰竹

2016年10月18日火曜日

遅れてきたアサギマダラ

   今年2016年は10月17日にアサギマダラが我が家にやってきた。私の初見だ。
 去年からすると1週間以上も遅かった。
 夫婦で「フジバカマの花がもひとつやからやろか」「今年はコースを間違えたのやろか」と心配していたところだったので、ほっと安心した。

 律儀な蝶のおかげで、時は巡り、ああ1年が経ったのだな、夏が完全に終わったのだなと実感する。
 渡りの途中に当たる我が家では、限られた時期しかやってこないから、こういう感覚と重なっている。

 ご近所の方からも「毎年楽しみにしてます」「来たらお知らせをお願いします」と言われていたので、早速「今年もフジバカマに『渡りをする蝶=アサギマダラ』がやってきました」と「お知らせ」を証拠写真付きで貼りだした。
 
 鱗粉がなく、ふわりふわりと舞うように飛ぶ大型の蝶なので美しい。
 それがこの先、沖縄から台湾あたりまで渡りをするのだから、特に判官贔屓でなくても文句なく応援したくなる。

 ほんとうは、バーチャル世界の登場人物をいっぱい知っていても、こんな素晴らしい現実世界に見向きもしない子どもたちにこそ「お知らせ」を見て覗いてほしいものだが、感動してくれるのはシニアばかりである。

 写真は今年新たに植えた「赤花の藤袴」のところ。
 あまり人間(私)を気にもせず半日近く遊んでいてくれた。
 第二陣、第三陣と次々にやって来てくれるだろうか。
 少しわくわくし、心配もしている。

     秋麗(あきうらら)ようおこしやす渡り蝶

2016年10月17日月曜日

ナッチャンの運動会

   過日、秋晴れの上に風が涼しいという絶好のコンデションの下でこども園の運動会が開かれた。
 こども園とは幼稚園と保育園が統合されたもの。
 孫のナッチャンは4歳児だが、3歳児は半分乳児みたいなところがあり、5歳児はというと小学生の一歩手前の貫禄だから、こども園の運動会はバラエティーに富んでいる。
 ナッチャン自身も去年と比べると目に見えて成長した。
 ただ、少々常識的な「よい子」になってきたのが気にかかる。

 その父である私の息子は、この夏の夏祭りで焼き鳥を焼いていて小学生時代の恩師に名前を呼ばれたといっていた。
 そして「君らの学年には〇〇君や△△君がいたよな」と秀才たちの名をあげたらしい。
 もちろん、我が息子が秀才であったわけではない。
 その反対で、教師生活の中の多くの教え子の中で記憶に残る問題児だったようだ。

 だからナッチャンにももっとハジケテもらいたいと思う。
 そのためにも率先垂範、PTAの綱引きに出てやろうかと思ったが、妻からも息子夫婦からも〇〇の冷や水だと引き留められた。
 考えてみれば、PTAといっても私の子どもたちの代である。
 けっこう本気で引き合っていたから、あの綱の後ろの方で転んで腰痛を悪化させないで良かったと思っている。
 私も普通の年寄りになったものだ。

   見ただけで疲れて嬉し運動会

2016年10月16日日曜日

フウの木の末裔

   義母のホームの庭のフウ(楓)の木が色づき始めた。
 フウといえばミャオ族の伝承にこうある
・・・我々の祖先はかつて長江流域に住んでいた。そして、北から来た人々と戦った。
 しかし戦争に負けて祖先は首を切られた。
 そのときに流れた真っ赤な血が葉について赤くなった。
 だからフウの木は秋になると真っ赤になるのだ。
 フウの木の赤い色は、祖先の悲しみの血の色なのだ・・・

 私の好きな「ミルクを飲まない文明」(安田喜憲著歴史新書)の頁をめくると、
・・・4200年前に気候の悪化があり、黄河文明を担っていた畑作牧畜民が大挙して南下し、長江流域の非漢民族を蹴散らした。
 そのため、多くの人々は種籾を持って雲貴高原に逃げ棚田を造成した。
 海岸付近の人々はボート・ピープルとなり台湾や日本列島に逃れ、水稲稲作を伝えた・・・と、教えている。

 ミャオ族の伝承や稲のDNAはそれを傍証している。
 日本文化の基層のルーツがここ(長江下流域の非漢民族)にあるという意見に私は頷いている。
 長江下流域の非漢民族イコールミャオ族と捉えるのは早計だが、倭人と近しい間柄であることは間違いなかろう。

 なおミャオ族には、昔々一本のフウの木に蚕が12個の卵を産んで、その卵を鳥が15年間温めて、人、龍、虎、水牛、雷神等となったとの始祖伝説がある。
 ミャオ族の自称Hmongは「フウの木の心」と言われている。
 中国最古の都市遺跡といわれる城頭山遺跡からは大量のフウの木の木片が出ている。
 村には今もフウの木の柱を立て、死者の魂もフウの木に帰ると信じられている。(「大長江」竹田武史著光村推古書院)
 
 その昔、長江流域で共に暮らしていた隣の村?のミャオ族の、そんなフウの木の物語を思うと、義母のホームのフウの木も何となくありがたく感じられるから不思議だ。

 「稲を伝えた民族」(萩原秀三郎著雄山閣)などには、江南の文化の中に我々と共通する多くの要素があることを教えている。下記の絵などはその一つである。

鳥取県角田弥生遺跡出土土器線刻画
雲南省普寧出土青銅器の図








  楓の木や真っ赤に染めよ寒き秋

2016年10月15日土曜日

ボブ・ディラン 祝ノーベル文学賞

Blowin' In The Wind     Bob Dylan 

How many roads must a man walk down   人はどれ位の道を歩めば
Before you call him a man? 人として認められるのか
How many seas must a white dove sail 白い鳩はどれ位海を乗り越えれば
Before she sleeps in the sand? 砂浜で休むことができるのか
How many times must the cannon bolls fly どれ位の砲弾が飛び交えば
Betore theyre forever banned? 永久に禁止されるのか
The answer, my friend, is blowin in the wind 友よ答えは風に吹かれて
The answer is blowin in the wind  風に吹かれている

How many years can a mountain exist    山は海に流されるまで
Before its washed to the sea? 何年存在できるのか
How many years some people exist    人々は何年経てば
Before theyre allowed to be free? 自由の身になれるのか
How many times a man turn his head 見ないふりをしながら
Pretending he just doesnt see? 人はどれくらい顔を背けるのか
The answer, my friend, is blowin in the wind 友よ答えは風に吹かれて
The answer is blowin in the wind  風に吹かれている

How many times must  a man look up    人はどれくらい見上げれば
before he can see the sky? 空が見えるのか
How many ears must one man have 人にはどれくらいの耳があれば
Before he can hear people cry? 人々の悲しみが聞こえるのか
How many deaths will it take till he knows   どれ位の人が死んだら
That too many people have died? あまりにも多くの人が亡くなったと気づくのか
The answer, my friend, is blowin in the wind 友よ答えは風に吹かれて
The answer is blowin in the wind   風に吹かれている

 以上、ボブ・ディランの代表曲『風に吹かれて』をネット上の元英語教師「釣キチ先生の英語教室」からコピーさせていただいた。
 http://www.english-turi.com/song/1000/
 ボブ・ディランのノーベル賞が新聞で報じられた同じ日、菅官房長官がユネスコ分担金39億円を保留しているとの報道も。
 重ね合わせると、ボブ・ディランの立派さが際立っている。
 私としてはノーベル文学賞に違和感はない。

2016年10月14日金曜日

毛虫草

   エノコログサのエノコロというのは「犬の子(イヌコロ)」のことで、漢字では狗尾草で犬のシッポ。
 海を渡ると少しだけ見立てが違って、英語ではfoxtail gtass で狐の尾。
 それよりもよく知られている名前はネコジャラシ。
 さらにはケムシグサ。これ漢字だと今一つだが、
 この「ケムシグサ・毛虫草」がなかなかいい。私は嫌いでない。

 この草も近頃我が街では見かけることが少なくなった。
 そういえば「引っ付き虫」の代表格ともいえるオナモミは全くと言っていいほど見かけなくなった。
 我が世の春(秋?)は盗人萩(ヌスビトハギ)だけが謳歌している。

   先日、その貴重な?エノコログサを数本手折って義母のところに持って行った。
 穂のところを千切ってグーの手でニギニギすると、ほんとうに毛虫が這い出してきたように見える。
 義母も「ケムシグサや」と言って喜んでくれた。
 妻が「髭や」「眉毛や」と言って鼻の下や眉毛に当てたのにも喜んでくれた。
 
 ほかの入所者の方々のところにも回って見せるとおおむね喜んでくれたのだが、中にはホンモノの毛虫だと思って驚かれた方もいた。
 このあたりの兼ね合いが難しい。

 私は老朗介護の中で日々予習をしているつもりだが、こんなときには「エノコログサの毛虫遊びなどつまらん。子ども扱いしよって」と怒ったりせず、「外の季節を教えてくれてありがとう」「そんなことをした頃もあったなあ」と素直に喜べる年寄りになりたいと思っている。
 偉そうで怒りっぽい年寄りは嫌われる。

 写真は義母がニギニギで「毛虫」を出しているところ。
 穏やかな秋の日だった。

 のそのそと手から顔出すケムシ草

2016年10月12日水曜日

政府は自衛隊員の殉職を願っている

   11日付け朝日新聞夕刊に「PKO派遣の南スーダン 首都近郊で攻撃 市民21人が死亡」という見出しの記事があった。
 ロイター通信によるとこれは8日に起きたことで、前副大統領派による攻撃らしい。
 休戦などとっくの昔に壊れている。

 記事にもあるのだが、8日というと稲田防衛相が現地を訪れていて「(治安が)落ち着いていることを見ることができ、関係者からもそういう風に聞くことができた」と取材団に語っている。

 おまけに菅官房長官の会見内容を上記記事にくっつけて、「首都ジュバの現地情勢が落ち着いているのは間違いない」と強調したと朝日は伝えている。

 このように隔靴掻痒の紙面にしているところが商業新聞の商業新聞たる特徴で、普通に教養のある人なら「これはおかしい」となるはずだ。

 稲田、菅両氏のいうことがほんとうならロイター通信は大誤報を全世界に発信したことになるし、ロイター通信通りであれば稲田、菅両氏が嘘をついていることになる。
 私は稲田、菅両氏が大嘘をついているのだと思う。

 ではなぜ派遣されている自衛隊員の危険を無視してまでそんな大嘘をつくのか。
 答えは、事実を認めるとPKO派遣の条件が崩壊していることを認めることとなり、憲法9条体制からの脱却という大方針が頓挫するからだろう。
 あえて言うが、このような大嘘つきの心情をおもんばかれば、彼らは南スーダンで自衛隊員の殉職を望んでいるとしか思えないが、残念ながらそういう嫌な予想は遠くなく明らかになるだろう。

 そして、こんなに不誠実で不純な閣僚の発言を、ジャーナリズムを標榜する商業新聞が追及しない現代社会を私は恐れる。
 戦争中軍部は退却を転戦と言い換えた。それが退却であることをジャーナリストは知りながら、唯々諾々と大本営発表を垂れ流し続けた。
 半藤一利・保坂正康の著作のタイトルではないが、「そして、メディアは日本を戦争に導いた」(文春文庫)ことを我々は想起するときだと思う。

 首相の国会答弁まで触れるとキリがないので止めておくが、与党のでたらめが過ぎることに反って不感症になってはならないのではないか。

2016年10月10日月曜日

平重衡と会う

   先日、東大寺東塔院跡発掘調査現地説明会に行ってきた。

 実はこの現地は以前からよく知っていて、調査中断中はその上を歩いたり、説明会の前日も今回の発掘現場をフェンス越しに眺めていたものだったが、勉強不足の身では、ただただ「ここに70mを超える超ド級の七重の塔が建っていたのか」と感心するだけに終わっていた。

 なので、解りやすい説明があり、あるいは解らないところは自由に質問できる現地説明会は非常に値打ちがあった。

 中でも今回私が感動したのは、鎌倉期の基壇の奥から奈良期の基壇がいろいろ確認できたことだった。
 奈良時代に建立された塔といえば、治承四年(1180)に平重衡の南都焼き討ちで焼失したものだ。
 つまり、今回現れた焼土の層、あるいは素人の私でも判る明らかに焼け焦げた礎石の数々は文字どおり「平家物語の証拠」「証人」なので、その証人尋問をしている感覚を得た。

 場所柄、奈良公園の東大寺境内という環境の良さがあったので、しばし、聖武天皇の発願で建立された雄姿、重衡による焼失、ほぼ同規模(若干大きい)の再建、康安二年(1362)の雷火による焼失がスライドショーのように眼の奥に思い浮かべられた。

 なお、東塔院の院とは、塔を囲んで回廊があり東西南北に門があり、そういう建物群であることをいう(戒壇堂と戒壇院のようなもの)が、これが再建されたならば、ハルカスなんかよりも余程観光に寄与することだろう。
 だが、現地説明会の参加者の様子を俯瞰すると、私を含め、その再建のための寄付はできても完成を見ることが困難な人々が多いように見受けられた。
 現地説明会のNHKニュースを見ながら妻がそう笑った。

 ただそれもよい。CWニコル氏の「アファンの森」も彼の生存中には完成しない(森の完成には数百年が必要)が、人間はその努力の先の完成図を夢みることができる動物なのだから。
 昔日の建立に奔走した多くの僧も、完成を見ることなく他界されている。

 蛇足ながら、東塔院があるのだから当然に西塔院もある(あった)。
 この西塔院の基壇跡はほゞ毎週通院している福祉療育病院の真正面にある。
 春には絶好の蕨畑になり妻が蕨採りに精を出している。生蕨は有毒なので鹿が食べない。
 ことほど左様に、奈良には古代や中世が目の前にごろごろしている。
 大仏さんと阿修羅像を見て「もうわかった」などと言わず、日本人観光客!来てくださいよ。

 説明会現地には大銀杏(いちょう)があり、終始臭い臭いが漂っていた。
 臭いが楽しい秋の半日だった。  

 東大寺東塔院跡発掘現場にて
     天平の銀杏(ぎんなん)臭し塔の址   

2016年10月8日土曜日

負飛蝗

   写真はオンブバッタ。
 ご存知のとおり、親が子供をオンブしているのではない。
 といって、恋の絶頂期だけでもなく、ほゞ日常的に♀が♂をオンブしている。
 より正確にいえば、日常的に♂が♀の背中にくらいついている。
 オンブバッタという名の所以である。

 だがしかし、普通の見た目でいえば親が子供をオンブしているほほえましい昆虫に見える。
 なので孫の夏ちゃんもオンブバッタが大好きだ。
 我が家に来たときには喜んで追っかけている。

 そのオンブバッタだが、毎年我が家では青紫蘇が大きな被害を受ける。
 オンブバッタ対策として、「守るべき野菜の離れた周囲に紫蘇を植えて本体を守れ」というテキストもあるくらいだ。
 しかし、紫蘇の生命力は強く、次から次へと新芽を出すから我が家ではオンブバッタの駆除はしていない。
 そのおかげで、こんな写真のようなオンブバッタを孫と一緒に捕れるのだから文句はない。

 それはさておきオンブバッタを見ていると、堂々とした♀に対して、ある意味貧相な♂が可笑しい。
 そして、「人間世界の本質も同じだ」とクスッと笑っている。

 話は外れるが、先日は小型の可愛らしいカマキリを孫の夏ちゃんに捕ってやった。
 それを夏ちゃんに渡した途端その鎌で逆襲されて「痛い!」と投げ出した。
 それから、いくら「上手い持ち方」を伝授しようとしても、カマキリは夏ちゃんのトラウマになってしまったようだ。お祖父ちゃんとしては大失敗だった。

2016年10月5日水曜日

新しい読者を増やしてください

   終了した朝ドラの「とと姉ちゃん」では、花山編集長が「私が死んだらこれを〈あとがき〉に載せてほしい」と常子に頼んだ。

 「読者の皆さま、・・・・創刊当初から本当によい『暮らし』を創るために、この雑誌に掲げてきたものは庶民の旗です。
 私たちの暮らしを大事にする一つひとつは、力が弱いかも知れないぼろ布、ハギレを繋ぎ合わせた暮らしの旗です。
 世界で初めての庶民の旗、それは、どんな大きな力にだって負けません。
 戦争にだって負けやしません。
 そんな旗をあげ続けられたのも、一冊一冊買ってくださった読者の皆様のおかげです。
 広告がないので買ってくださらなかったらとても今日迄続けることは出来ませんでした。そして、私たちの理想の雑誌は創れなかったと思います。
 力いっぱい雑誌を創らせて下さり、ありがとうございました。
 それに甘えてお願いがあります。いままで『あなたの暮らし』を読んだ事のない一人に、あなたが「あなたの暮らし」をご紹介ください。一人だけ、新しい読者を増やしていただきたい。それが私の最後のお願いです

 私はこのセリフにとてつもない現代性を感じた。
 なぜなら、政権や「強者」に弱いマスコミの大洪水の中にあって、大企業からの広告をことわって庶民の旗を守っている新聞が現に孤軍奮闘しているからである。
 なので、まだ購読していただいていない方には購読していただき、一人だけ(でいいので)新しい読者を増やしていただきたいとの言葉にとてつもない現代性があると私は感じた。

 なんでもかんでも「しんぶん赤旗」の宣伝に使うつもりは全くないが、赤旗の読者が増えることが現代の「庶民の旗」を守る力だと連想したとしても決して勘違いではないだろう。

2016年10月4日火曜日

今を生きる

凜ちゃんは、曾祖母ちゃんの
ほっぺたを思いっきりつねった
   先日、孫の凜ちゃんが産まれて初めて曾祖母(ひいばあ)ちゃんと対面した。

 重いハンディを持つ孫なので、先生には「人混みには連れて出ぬよう」言われていたし、いや、それよりも、ハンディを知った曾祖母ちゃんが心に重荷を背負ってもいけないし、
 反対に、判断力が低下したことで、あまりに正直に感想を述べたりすると、母親である私の娘にショックであろうと、結局、1歳数か月経っての初のご対面となった。

 幸いにというか、幸か不幸か曾祖母ちゃんはハンディのことは全く判らず、素朴に曾孫を喜んでくれた。

 我が夫婦としては、1年数か月間凜ちゃんのことを母(曾祖母)に伝えていなかったので、つまりは、ある種の嘘をついていたようなことだったので、「これで、ようやく贖罪ができただろうか」と、ほんの少しだけ心が軽くなった。

 当初の予定では既に済んでいたはずの本格的な手術も、良い意味でなく時期が先送りされていたり心配の種は尽きないけれど、この1年数か月は親も私たち祖父母も鍛えて成長させてくれたと思っている。

 次に述べる感想は非常にレベルの低い歪んだ感情だとは解っているのだが、この際だからとあまりに素直に語らせていただければ、病院の待合室の光景は千差万別で、もっともっと重症だと思われる子供を抱えて、それでもめげずに診察に連れてこられる多くの母親を見ていると、「これっきしで弱っていてどうする」と、言葉はおかしいが元気をもらうことが多い。

 「明けない夜はない」「山より大きな猪は出ん」などと訳の解ったような解らんような呪文を唱えながら、目の前の幸せに感謝して生きたいと思う。
 僧職にある先輩のブログの「今を生きる」というタイトルをこの記事に無断でいただいた。

2016年10月3日月曜日

モリアオガエル その後

    9月27日に、まったく期待せずに奈良公園の吉城園を訪れた。
 くだんの池にはオタマジャクシが1匹もいなかった。
 9月下旬だから当然だろう。
 ところが、私が近づくとポチャンと「カワズの飛びこむ水の音」がした。
 なので「もしかしたら」と慎重に周辺を観察した。

   そしてついに、成長したモリアオガエルを1匹見つけた。
 例によって外国人観光客が何組もやって来たので、ひと通り説明して、もうすぐフォレストへ帰って行くのだと話すと、例外なくみんな喜んでくれた。

 ニュージーランド人が来た。
 ユニオンジャック型の国旗に代えて、オールブラックスで有名なシルバーファーンという羊歯(シダ)のデザインを国旗にする方向で議論が進んでいる国だ。
 なので、その親戚になるシダの根元にレアなフロッグがいると教えてくれたジャパニーズ(つまり私のこと)に、リュックに付けたシルバーファーンのバッジを見せながら、アメージング!と感激してくれた。

   シルバーファーンは大きさが桁違いらしいが、早い話が「裏白」だ。
   目出度い話だと思う。 
   この半年、モリアオガエルは何度も私を楽しませてくれた。
 そして、外国人観光客も。
 しかし、日本人観光客は少ない。ああ。

 奈良公園の私の歩いた道は金木犀の匂いに包まれていた。
 もうすぐ多数のナンキンハゼの紅葉が綺麗だ。
 ナンキンハゼは有毒のために鹿に食べ残された外来種なのだから、奈良公園のその美しさを喜んでいいのか悪いのか。

2016年10月2日日曜日

安倍内閣の傲岸不遜

   9月26日付けで宮内庁長官が退任した。
 通例では宮内庁幹部の人事異動は春にされていたので今回は異例である。
 その後(あと)の長官には次長が昇任し、その後の次長には西村内閣危機管理監(第90代警視総監)が就任した。
 つまり次長は次代の長官になるわけであるが、それが22年ぶりの警察官僚となった。
 これも通例でいえば、事務次官経験者がどこかの省の顧問を経て就任するものなのだが、官邸バリバリの危機管理監から直通での就任は異例中の異例である。

 私は以前の「天皇のお気持ち」の記事で、「安倍首相は怒り心頭だろう」と書いたが、今回の人事異動は明らかな安倍内閣の報復人事である。
 あまり世間で知られていないことだが、官僚の人事は以前は基本的には各省庁のルールにのっとって行われてきたが、現在は官邸が人事を一元化している。
 このことで、「野人」といわれるような骨のある官僚が全てパージされ、それぞれの省庁設置法の基本精神ではなく政権の思惑通りに働く僕になっている。

 いま報復人事だといったがそれだけでは正確ではないだろう。
 はっきり言えば、これは安倍晋三による「天皇封じ込め」策である。
 西村次長はその刺客である。

 ピント外れかもしれないが、共産党の支持者の皆さんの中には、天皇のお気持ちなどにコメントするのを嫌う気分があるように私は思う。
 しかし、何も天皇におもねて安倍批判をするつもりはないが、安倍首相の天皇に対する傲岸不遜の態度は憲法や民主主義の観点から批判されるべきではなかろうか。
 現憲法を純粋に守る立場に立つなら、天皇問題への安倍内閣の態度をもっと批判していかなければと私は思う。
 首相は、子飼いの内閣法制局長官に「特別立法がよい」との誘導答弁をさせている。
 「お気持ち」に沿うなら皇室典範の改正が筋だろう。
 
 黙っておれば官邸による天皇の政治利用が大手を振る。
 それは明らかに大日本帝国憲法体制への回帰の道だろう。
 現下の天皇問題は、戦後民主主義の危機の一側面だと私は考える。

2016年10月1日土曜日

政局の話

20日、二階派総会で
幹事長は「いつ選挙が
あったもいいというように
準備を怠りなく」と指示した
   政局の話など好きでもないし得意でもない。
 ただ、用意周到な権力者の思惑に対し、全く無防備では後で臍を噛む。
 なので、冨田宏冶関学大教授や宮本岳志議員の諸論なども参考に「解散総選挙が遠くない」という推測記事を書いてみる。

 先の参議院選挙で、いわゆる改憲勢力が3分の2を超えたので、政権に首根っこを押さえられているマスコミは、「自民党の大勝利」「野党共闘の不発」を国民に印象付けようと記事を構成している。だが、ほんとうにそうなのか。

 自民党が得票を増やした事実はあるが、それは第3極と言われていた みんなの党、維新の党、次世代の党などに浮気していた票が戻った側面が大きい。
 そうすると、明らかに得票を伸ばしたのは 民進党と共産党である。

 次に3分の2のことだが、前回選挙からいわゆる改憲勢力は12議席減らしている。
 それでも3分の2を占めたのは、野党共闘ができていなかった前回選挙結果の「おかげ」である。
 3年後の次回参議院選挙で民進党も共産党も全く前進せず現状維持だったとしても、3年後には「3分の2」は崩壊する。
 アベノミクスのメッキの皮はますます剥げつつあるし、TPPの裏切りに対する東北の反撃、フクシマ、沖縄の歴史的結果を見れば、安倍首相にとっては、化けの皮が剥げないうちに解散総選挙はしたいが、その結果はマスコミがおだてるように楽観できないというのが、リアルな国会の状況だろう。
 
 
 今年5月に衆院定数小選挙区△6、比例代表△4の公選法改正案が成立したが、区割り変更などの作業があるので適用されるのは来年5月以降といわれている。
 その上に周知期間が1年程度必要といわれているから、来年の5月を過ぎれば再来年の夏まで事実上総選挙ができない。その9月は安倍総裁の任期である。
 そういう条件の下で、自民党は例年1月の党大会を3月と発表した。

 これらのことを常識的につなぎ合わせると、12月にプーチンを呼んで仰々しい政治ショーをマスコミに取り上げさせて、政策のボロが目立たないうちに1月通常国会冒頭解散・総選挙、それを乗り切れば3月党大会で総裁の任期延長、その後は東京オリンピック等々の報道の陰に隠れて憲法改悪へ・・・と想像するのが常識ではないだろうか。

 そして、官邸にとってはそれは上手い作戦に見えるが、・・・私たちにとっては野党共闘側のチャンスに思えないか。
 ただし、権力側の周到さに比べると野党側には時間がない。
 政局情報に一喜一憂する必要ないというところは押えつつも、現実社会に無防備なのはいけない。