4月1日の「花を観て一句」に書いてみたが、プレバトの俳句の夏井いつき先生の解説や添削を楽しく見ていながらも、私が出演者の気持ちになってみても兼題の写真からは駄作でさえ浮かんでこないから、知り合いの方から先日頂いたお手紙の中に俳句が2作組み込まれていたのにはほんとうに感心した。
そのような中で、先ほどまでテレビ(の俳句番組)を見ていた妻が2階へ上がってきて、「朝寝の季節は?」と聴くので、「春眠暁を覚えずで春の季語」と答えてピンポ~ンだったが、「それならこの字『霾』は何?」と続けられて、どこかで見たな・・読んだことはあるが・・七十二候やったかなあ・・で、マイッタをしたら、これは『つちふる』だということだった。
大歳時記を開けてみると、霾は、黄沙、黄塵万丈、霾(ばい)、蒙古風、霾天、霾風、つちかぜ、霾晦(よなぐもり)、つちぐもり、よなぼこり、胡沙(こさ)来る、胡沙荒る・・というような季語で、早い話が黄砂であり、
つちふるやいよゝ伏目に伎芸天 古川沛雨亭 というのが目についた。
そして、同じページに『ようず』という季語も見つけた。
これはほゞ死語で、私もどこかで聞いたことがあるなという程度の代物だったが、去年だか一昨年だかに神経症気味の義母が「今日はようずみたいやな」と呟いたので、なんだか印象深く記憶に残っている。
・・春、南から吹いてくる風の名。なまぬるくて、雨を連れてくるような風である。それにふかれていると頭が重くなるような感じもする。・・と解説されている。
義母の落ち込んだ様子とその『ようず』という言葉と気候が妙にマッチしていて、こちらも妙に重く辛い気持ちで納得した。
季語のような出来事が巡り来るのは一般的には長寿の証で嬉しいことだが、そのことのあった後はようずは吹いてほしくないなと思うようになった。
そこで一句!とよう捻ることができないので、春の季語にもなっている豌豆の写真を掲示してまけてもらっておこう。
「ようず」からの連想になるが「木の芽どき」という季語もあるようにネットでは出てくる。それは「春の生き生きとしたさま」と書かれているが、私などは「神経が落ち着かない」「落ち込む」季節というイメージの方が大きい。
返信削除春は「ようず」の季節、木の芽どきでもあるが、そんなときは私のブログでも読んで、「またまた馬鹿な話を」と嘲笑ってもらいたい。