2015年4月22日水曜日

本屋が知らない本大賞

  日曜日の新聞の書評が面白そうだったので、ショッピングモール内の少し大きな書店に行った。
 それらしい書架を見て回ったが見つからない。
 書店のレイアウト(配置方針)と私のフィーリングがマッチしていない。
 以前、阪神百貨店の書籍コーナーで、ある一角に私の好きそうな本が集まっていて感激したことがある。
 きっと、その時のその責任者と私は読書の趣味が一致していたのだろう。
 そういう風に、阿吽の呼吸がマッチした書店もあるしそうでない店もある。
 ここの書店は、これまでも探し辛かったので、早々に自分で探すのをやめ、パソコンで検索をしてもらったら、1冊だけ並べられているはずとあった。
 それからである。店員がそれらしいコーナーへ探しに行ってくれたがなかなか見つからない。
 上司?に尋ねたり、可能性のある別コーナーを探したり、店員は走り回ったが出てこない。
 そして「申し訳ございませんが見当たりません」と謝るので、「いやいやパソコン上に出ているからどこかにありませんか」「発想を変えて別のコーナーも探してみませんか」と再度お願いし、今度は4人の店員がもう一度店内に散らばった。
 で、「ありました」とニコニコ顔で帰ってきたので、「本屋が知らない本大賞」と応答した。
 店員さんには可哀相だったが、そもそも責任は出版社にあると思う。
 なぜならこの標題、理系なのか文系なのかややこしい。事実、パソコンには理系の文字があり、店員もそのあたりに多くの時間をとっていたがそうではなかった。
 こんな時、パソコン上でタッチをしたら、置いてある書架の上のランプが点けばよいのにと、ちょっと理系?の発想を行った。
 それよりも、パソコン上に置いてある場所を入力しておけば済む話だが、実際には売れ筋を店の前に持ってきたりして、話はそんなに単純なことではないのだろう。
 それに、若い店員に私の趣味にあった配置を望むのは無理難題に相違ない。

2 件のコメント:

  1. 奥本大三郎さんといえば、ファーブル昆虫記の翻訳もされた方ですね。大型化した本屋で本を探すのはほんとうにしんどいです。インターネットでポンと注目するのが一番早いですが、一方で古本市で探すのも僕は好きです。

    本屋の配置を見るのはぼくも好きです。本屋のような商業に属する部門は、価値を生産しないのでマルクス主義の中では軽視されてきたのですが、モノがモノを必要とする人に届かなければ剰余価値が実現しないので、本当はきちんとそういうことを指摘すべきだったと思います。

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  2.  ファーブル昆虫記の翻訳者です。
     アマゾンで本を買うのは簡単で結構利用していますが、本屋でぶらぶら探すのも楽しいものです。
     後段のマルクスの剰余価値学説の補強は勉強になります。

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