このヴィンテージをみよ! |
しかし、わずかながらも「戦後」を引きずる世代としては、使えるものを捨てるには「モッタイナイ」という罪悪感が拭えない。
だから、私個人としては(我が家という単位でも)バブルに踊ったというような記憶もない。
先日、後輩の(現職からの)送別会のために古い写真を探していたら、今も時々着ているスウェットスーツを20年以上前から着ていることが判って(という証拠写真が見つかって)、これには我ながら腰を抜かさんばかりに驚いた。
まあ、その時代の日本製の品質はすごいということもできる。
また他日、かかりつけの医院で診療費を支払う際、「年代ものですね」と言われてはじめて自分で気がついたのだが、愛用している写真の小銭入れは13年間使っている。
医院の窓口の方がそういうぐらいだから客観的には‟相当なもの”に見えたのだろう。
今でも使っている理由は、基本的な機能が故障しないからだが、それがいつの間にか年を経た。
言われてみれば革の染色の剥げ具合は相当なものだが、それもヴィンテージではないかと言ったらやせ我慢か。
妻はそんな私を「ゴミ屋敷老人になるぞ」と軽蔑して、「新しい何かを買う時には古い同種のものを必ず捨てること」と厳命するのだが、「何かの時に使えるかも」と思ってしまうのだ。
だが、そんな「何かの時」はきたことがないからそろそろ「捨てる文化」を認めなければならないのかとも少しは思い始めている。
なお、MOTTAINAIは、環境部門で2004年に初めてノーベル平和賞を受賞したケニア出身のワンガリ・マータイさんが広げた世界共通語である。
しかし、この語の本国ではアベノミクスとやらで実体経済とはかけ離れた虚構の景気が作られ、未だにミニバブルが称賛されている。恥ずかしいことである。
0 件のコメント:
コメントを投稿