2015年3月14日土曜日

介護民俗学

  2月22日の「洗濯板」の記事で、京都府立山城郷土資料館の「暮らしの道具いまむかし」展に行ったことを書いたが、そこへ出掛けた時に「ご自由にお持ち帰りください」とあったので、その企画展のポスターを1枚持って帰ってきた。義母の『回想法』に用いてみようと思ったからであった。
 先日、そのポスターを義母に見せてみた。
 すると、『回想法』の教科書以上に義母のチカラのよみがえってくるのが判った。
 近頃では会話も十分に行き来できないことが多いのだが、このポスターを見るや指差しながら「たらい」「(炭火)アイロン」「こたつ」・・と私に説明をし始め、「へっついさんの下にはイナゴを串に刺して焼いて食べた」とか「機織りはこうやった」とその動作を手足でやってみせるのだった。
 「へっついさんの下のスギヌカ(スリヌカ・磨糠=籾殻)にサツマイモを入れていた」というのが、実家のへっついさんのそこが保管場所であったということか、焼き芋を焼いたという話か、話すたびにころころ変わって理解できないこともあったが、ほんとうに何か月ぶりかで見せたイキイキとした表情だった。
 この「昔のことを教えて」と頼むと元気になることや、「老人ホームは民俗学の宝庫や」というのは実母を介護していた時代に、そういう理論を知る以前に実践的に学びとったことだったが、改めてその有効性を確認した。
 ただ義母の場合は、「昔のことが思い出せない。ああ駄目だ」というような強迫観念にとらわれることがあるので、世の中はそれほど単純に「語ればいい」ということでもない。

 それにしても、昔語り、思い出語りで元気を出してもらうという、こういう対応は(介護する)こちら側の心の余裕が大前提で、そのためには家族介護には限界があり、適切な施設の利用が大切だと確信している。
 「家族介護が一番望ましい姿だ」というのは福祉切り捨てを企図する為政者の洗脳である。
 当事者になってみると、「この世には介護を経験した人と介護の経験のない人の2種類の人しかいない」と感じてしまう。
 介護うつによる自殺、心中、はては殺人まで「解る」ような気分が全くなかったかといえば嘘になる。
 後輩たちが順に老々介護に突入したりしているが、その時に慌てないよう・・・何かの参考になるかと、・・こんなことも綴っておこう。
 介護される側になるのも遠くはない。その時には若いヘルパーさんたちに、戦後から高度成長の時代のあれこれを語る準備をしておこう。そのとき若者たちは「お爺ちゃんの話は民俗学や」と喜んでくれるだろうか。それとも「またいつもの古い話をしている」と嘲笑われるだけだろうか。

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