3月16日付け朝日夕刊の記事に考えさせられた。
福島県双葉町が『原子力明るい未来のエネルギー』という写真の看板の撤去方針を示したことに、1988年当時小学6年生だった標語の作者大沼さんが「負の遺産として保存し、人間の愚かさを後世に伝えるべきだ」と訴えている。
町は「老朽化して危険」として新年度予算案に410万円計上したが、大沼さんは「周囲に崩壊しそうな公共物がたくさんあるのに、看板だけ撤去するのは間違った過去と向きあわない行為。それだけの金額があれば補強できる。子どもたちにも真実を伝えていきたい」と、保存の署名運動も始めると記事は結ばれている。
本田記者、根岸記者の署名記事であるが、私は記事中の大沼さんの主張や両記者の執筆姿勢に共鳴する。
この看板は、当時小学生であった大沼さんの意図とは別に歴史の証人であり、何を証言しているかといえば、原子力村とか呼ばれる原発利権共同体が農村の自治体の横っ面を札束で叩いたという歴史だと思う。
その積み上げられた札束を前にした高揚感がこの看板を建てさせたのだと想像する。
だから町は、札束に目がくらんで尻尾を振ったという、そういう恥ずかしい過去を証拠隠滅したいのだろう。
でなければ、広島に原爆ドームがあるように、堂々と「負の遺産だ」と主張して残せばいい。
この国では総理大臣からして「当時は知らなかった」と言えば免罪されるという風潮があるから、この看板を残す意義は大きい。
統一地方選挙直前である。
地方自治体と議員には、このような各種の利権がらみの誘惑が存在する。
大阪市に見られる市立病院の廃止・民営化、地下鉄民営化、カジノ誘致、みんな利権がらみの方針であり、誰も双葉町を笑うことはできない。
この看板は、全国の住民に地方選挙の大事さを訴えている看板に見えてくる。
この記事を書いているとき、「福島は東京の電力(繁栄?贅沢?)を賄うために原発を押し付けられ犠牲になった」的な論調ではないことに批判的なコメントが来ないかと考えながらも、そして、そういう側面が小さくないことを理解しながらも、あえて、札束に尻尾を振った議会と自治体という論調で書いた。さて。
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