昨6月晦日の夜、テレビは上賀茂神社の大祓の行事を報じていた。
水無月の夏越しの祓は古い宮中神事から広まった素朴な神事である。
半年間に犯した罪を神々に吹払ってもらって気持ちをリセットするというようなイージーな精神の行事が宗教や信仰というカテゴリーに値するのかという意見もあるが、先人の素朴な願いが形になったものではないかと考えるとこれもまた楽しい。
そしてこういう行事は、上賀茂神社のように京都の神社に行くと盛大で絵になっているが、そうなると我々庶民はどうしてもただの観客になってしまう。
その点、奈良の神社の多くでは、桁違いに由緒ある行事がこじんまりと素朴に行われていて、当事者たる参拝者として参加できるのがうれしい。
という・・古社中の古社である往馬大社のそれに参加した。
拝殿に登って並んで参拝者の名前も神々に報告されるし、ひと通りの神事があった後、晒の領巾(ヒレ)が配られて、それを夫々が一斉に引き裂いた。
布は貨幣でもあったから、それほどまでの願いの強さを神に証明した名残りなのだろう。
こういう布を引き裂く神事は、私としては初めてだったが、ニュースの上賀茂神社では同じようなことをしていた。
その後「形代」を焚き上げるべく奉納し(昔は川に流した)、最後に神職に並んで八の字形に茅の輪をくぐった。
その折に、神職に付いて、〽 水無月のなごしの祓いする人はちとせの命のぶというなり~ と古歌をくぐる度に3回歌い、場は一瞬に千数百年昔にタイムスリップしたのだった。
それは歌会始のようなゆっくりしたものではなく、わらべ歌のような単調な歌い方だったが、それがまた千年の社の森に馴染んでいた。
写真のとおり、参加者もこじんまりとしたものだから、並ぶのに急ぐこともないし、茅(ちがや、真菰)を引き抜いて小さな茅の輪にして持ち帰るのも全く急ぐ気配がなかった。
社会の現状をリアルに見ると、「とりあえず済んだことは水に流す」というような態度は絶対に容認できないが、小さな私生活では、つい最近、夫婦そろって体調を崩していたこともあり、気持ちの好い心身のリフレッシュになった気がする。
茅の輪の行事は旧暦等で行われるところもあるから、そこに参加された折には、〽 水無月の~ と歌われると、周囲から「おお~っ」と注目を浴びること間違いがない。
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