「朝は厚顔ありて夕には白骨となれる身なり」などというこの「御文」は浄土真宗各派の葬儀で読み上げられることがあるが、あまりにリアルに本質を語っているので、気の弱い私などは頭で理解しても「共感したくない」気分でいた。(それでも地球は回っている)
こういうところから、「親鸞の教えは道教である」とは福永光司氏の指摘だが、御文のリアリズムは中国大陸の思想・感性かもしれない。
さて、一度低下した体力を回復させるのは並大抵のことではないが、体調不良で倒れることは瞬時のことである。「夕には白骨」もそのとおり。そういう意味でこの御文を思い出した。
ということで・・・、せいぜい養生することにする。
親鸞から第8代の蓮如さんのことだが、その頃本願寺は99%消滅しかかっていたところ、蓮如は御文、つまり手紙、回覧板、SNSにあたる大広報作戦で蘇生させた中興の祖である。
私は「カール・マルクスはジャーナリストであった」と語っているのだが、その伝でいえば時代は異なるが「蓮如もまたジャーナリスト?」であったかも。
職場の大先輩で真宗のお坊さんであった方は「宗門の中では蓮如さんはあまり人気がない」とおっしゃっていたことがあるがどうしてだろう。深くは知らない。その方の個人の感想であったかもしれない。近江から北陸にかけては蓮如忌が大きな行事だという話もある。