2025年5月15日木曜日

観音さんの水晶玉

    東大寺法華堂(三月堂)は二月堂の隣にある。
 低山登山にも弱音を吐いている私には、大仏殿から法華堂までのこのなだらかな坂道?が「登山」の限界みたいに感じられる。
 法華堂の堂内には本尊の不空羂索観音像を中心に合計10体(国宝、奈良時代)の仏像がところ狭しと立ち並んでいる。
 ここの好いところは畳敷きの大きな縁台のような拝観?スペースがあることで、ここに静かに座ってしばし心を空にできることである。
 大仏殿とは別に拝観料がいるためか、何時もおおむね静かで空気が落ち着いている。
 ただ先日はいつもと違って幼稚園の遠足があったので、例によって静かに座りながらも、仏たちよりも幼児たちの動きを見ていた。
 見ていると、先生が正面の観音さんの合掌している手の間に水晶玉があると説明し、幼児たちは次々に「アッ見えた」「見えた」と言い出した。
 実はこのお堂は平成22年(2010)から25年(2013)にかけて大規模な修理事業が行われ、その際照明もLEDに変更されたのだが、私の経験ではそれ以降水晶玉は見えなくなった。
 そして今回も、いろいろ角度を変えて眺めたりしたがやはり見えなかった。
 野暮は言うまい、幼児たちは見たのである。
 幼児たちが出てから堂守の方に、「見えなくなった大人の負けですわ」と言って笑いあった。

2025年5月14日水曜日

ギネス 知らなかった

    だいぶ以前にギネスの缶ビールを買ったが、もう一つ美味くなかった。
 冷蔵庫の一番冷える場所に置いていたのでビールの一部が凍ってしまったらしい。事実、缶の中で氷の塊がコロッと動くのがわかった。
 その氷はそのうちに溶けるだろうと、残った缶は冷蔵庫に置いておいた。
 そして今回、飲んでみたがやはりそれは溶けずにコロッと残っていた。どうしたことだ!(怒)

 で、缶の後始末してくれていた妻が、「どうも氷ではないで」「指で触ってみたら」と私に教えてくれたので、缶切りで上を開けてみるとナント!
 それは缶にも書かれていたが、・・そんなもの読みもしなかった#$%&。
 ギネスの説明文を次に記す。
 🔳 ドラフトギネス缶の中に入っている白い球は、豊かでクリーミィな泡をつくりだす球型カプセルです。「フローティング・ウィジェット」と呼ばれ、ギネス独特のサージング(泡立ち)を起こします。大きめのグラスにゆっくりと注いだときに見られるサージングの様子を「カスケードショー※」と呼んでおり、美味しいギネスを味わう前の楽しみでもあります。
 ・カスケードショーとは、注いだ直後から泡がおさまるまでの間、グラス内部に見られるギネス独特のサージングの様子です。きめ細かい泡が次から次へと滝のように流れてみえるのを、Cascade(英語で、小さく連なる滝・液体の滝状の流れ)に例えました。
・「フローティング・ウィジェット」の素材はポリプロピレン製です。タッパーやお皿などさまざまな容器に広く使用されています。また、日本の食品衛生法にも適合した素材です🔳

 知らなかった、知らなかった。そういえば確かに泡はクリーミーだったが、だとすればあの「美味しくない」感覚は何だったのだろう。
 「黒ビールは日本製に限る」これが私の教訓だ。

2025年5月13日火曜日

歴史も古い交野

    本来なら明日は退職者会のハイキングに参加するつもりでいたところだが、近頃息切れがひどく、わずかな傾斜の「登り」に全く自信を無くしていて不参加を選択した。 
 行先は交野(かたの)の交野山(こうのさん)だったが、交野というと桓武天皇が道教に基く天神の祭りを行ったことで有名だが、現在の交野市、枚方市のどこで行ったかは特定はされていない。
 私が桓武なら、交野山の巨岩の上で四方を拝したいが・・・。

 桓武天皇といえば、先の平成の天皇(現上皇)が平城京遷都1300年祭やサッカーワールドカップ日韓共同開催の式典の折、「私自身、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫だと続日本紀に書いてあることにゆかりを感じる」旨の「お言葉」を話されたことに驚き、先の天皇の人柄には大いに感銘を受けたことを思い出す。
 桓武天皇の生母は高野新笠(たかののにいがさ)で、神話的には遠祖は河伯(道教の水神・カッパ)の娘。

 そんな歴史の香りを感じながら歩きたかったが、もう人に迷惑をかける年齢になった。
 写真は、自分が巨岩の上に登ったものを探したがなかなか見つからないので、ネットにあった好日山荘のものを拝借。

2025年5月12日月曜日

初夏を告げるウスイエンドウ

    CMなら「春を告げる」というところだが、5月5日が立夏であったから正確には初夏を告げるウスイエンドウ である。
 現在の大阪府羽曳野市碓井(うすい)地区で栽培が始まったので碓井豌豆だが、今は和歌山が主要な生産地になっている。大阪の人でも大阪発祥というのを知らない人が多いが仕方がない。

 ウスイエンドウをグリーンピースだと誤解している人もいるが、食べれば判る。似て非なるものと言いたい。全く違う。
 わが家の狭い家庭菜園で10日に初収穫をしたのが上の写真。収穫本番はこれからのこと。

    栽培そのものは放っておけばよいだけのことだが、莢(さや)を剥くのはけっこうな作業量。
 12日の夕飯は孫の凜ちゃんの大好物、豆ごはんである。
 そして七十五日寿命が延びる。
 豆ごはんの写真は後日アップする予定。

    ※豆ごはん、アップします。(12日朝)

2025年5月11日日曜日

印パのニュースに思う

    印パの交戦のニュースを観ていると、兵器の主流はドローンやミサイルで、後方部隊である「防空システム」
 などが標的にして攻撃されている。時代の変化を感じる。
 一つひとつのドローンに反撃するだけでなく、後方の部隊を叩くというのも今日的だ。
 と考えると、仮想敵国からすれば、国内最大規模になろうとする祝園弾薬庫は優先的な標的になるだろう。
 その300億円をかける祝園弾薬庫の拡充問題は、町議会議員選挙の大事な判断基準だろう。
 精華町の町議会議員選挙は今日11日が投票日だ。

ショウブの鉢巻き

    医学をはじめとする自然科学が未発達の時代、人々は経験やその他の知見をフル活用して宗教行事のようなものができていった。
 それをバカバカしいとか古臭いとかいうのは容易いが、その時代のそういう行事のようなものを推測しようとしなければ歴史はほんとうには掴めないし大体がそういう歴史認識では人生感も貧相になる。そういう風に思って古い習慣を私は大事にしている。

 私自身は迷信だとか「」付きの習慣のようなものに極めてクールだが、世の中を見渡せばけっこうそういうものに影響されている人も少なくない。そしてそういう人に限ってメジャーにはなっていない古い習慣等には冷淡に思える。

 GWには来れなかった孫の凜ちゃんが来たので、ショウブ湯を沸かしてショウブの鉢巻きをさせた。
 ショウブの鉢巻きで病気にならないなどと小指の先ほども考えてはいないが、「小さい頃に祖父ちゃんからショウブの鉢巻きを教えてもらった」記憶はどこかに残るだろう。それでいい。

 NHK BSの「日本縦断こころ旅」を楽しく見ているが、その魅力の一番はその土地の風景などではなく「お手紙」の内容で、少なくないそれは、生前の祖父母や父母との思い出の風景である。それがいい。
 ショウブの鉢巻き、祖父ちゃんの思い出、それでいい。

2025年5月10日土曜日

メッセージの伝え方

    先日友人から悩みを打ち明けられた。
 「近頃は長い文書は読んでもらえない。だからといってキャッチフレーズみたいな話では現に複雑な問題を話しきれない」‥という内容だった。
 問題意識はよく判ったが、私にも「即効薬」みたいな答えはなかった。
 故井上ひさし氏は、むずかしいことをやさしく・・・まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに・・と諭されたが、それはけっこう上級編かも。
 経験的に感じていることは、どこかの論文の受け売りみたいな話は全く意味がないということ。
 自分の身近にあった経験とそのことに関わる感情みたいなものを吐露すればいいのではないだろうか。
 結局、一周廻って人間性だと言ってしまえばなおさらハードルは高くなるか。
 そんなことをあれやこれや悩みながら自分をさらしていけば一人や二人は「人生意気に感じる」ぐらいのことは言ってくれるだろう。
 故益川敏英氏は、ノーベル賞受賞対象の研究を進めていた時期、京大理学部職員組合の書記長で、後に著書では「二足のわらじが履けなきゃ一人前じゃねえ」と啖呵に似た発言をされていた。むむむむ。
 5月6月は二つの性格の異なるニュースを製作するが、この多忙を愉快だと思うかどうかで人は試される。でしょ、ご同輩!

2025年5月8日木曜日

大きな最終盤

    大都市の方々には想像もできないだろうが、町議会議員選挙となると6日に公示された選挙が11日に投開票となるので、短距離も短距離、もうゴール目前となっている。 
 そういう風に聞くと「田舎の小さな自治体ののんびりした風景」を想像されるだろうが、実は全国で600億円の内の約300億円かけて祝園弾薬庫の施設を増強(14棟増設)するという大問題が問われている。
 戦前の軍隊は陸軍と海軍が仲が悪かったので有名だが、この弾薬庫は全国で唯一、陸上自衛隊と海上自衛隊が「知らぬ間に」共用するように変更されている。
 今トランプが日本政府に難癖をつけているが、それ以前から日本政府は新型の日本車の輸出の見返りに中古のトマホークなどの武器を大量に買わされてきた。
 トマホークは海軍が使用する長距離巡航ミサイルだ。
 「京都府内の高速道路が整備されて日本海での海釣りが便利になった」などと喜んでいるうちに、祝園弾薬庫にミサイルを保管しておけば、高速道路で舞鶴まで一直線だ!ということになっている。
 「軍事力を強めれば平和が保たれる」という勘違いもあるが、いくら「防衛力だ」と言っても外国にとっては「嫌な戦力」以外の何物でもない。そういう軍拡競争こそが不測の事態の火種になりかねない。
 昨今「敵基地先制攻撃」が普通に話されるようになっているが、それを裏返せば、巨大な弾薬庫は先制攻撃される目標になる。その隣には大きなニュータウンや学術研究施設がある。嘘のようなことが進んでいる。
 小さな町の町議会議員選挙だが大きな選挙だ。お知り合いの方々にも声をかけていただければ幸いだ。

神は細部に宿る

    『神は細部に宿る』との格言がある。
 例えば、一年に一回のパーティーをどう企画するかというようなときに、どこまで準備をするかが問題になる。
 ただ、あまりそれを言うと「そんな難しいことを・・」と拒絶反応が先に立つから、ともすれば「今までどおりでええやん」という意見が現実的な正論のようになる。
 しかしそうだろうか。
 私はああでもないこうでもないと細部まで考え抜いて結果スベッタリする方が尊いように思う。

 先日、地元の議員選挙の出発式があり、「地元代表で挨拶をしてくれ」ということになった。
 「請われれば一差し舞え」との言葉もあるから承諾したが、さて何を話すべきか。まあ、それはあるにはある。
 それよりも悩んだのは「話のツカミ」という細部であった。
 選挙だからと言って堅い話は全くNGだ。長い話もNGだ。
 そこで自己紹介で「町の端に住んでいる」「内田樹先生風に言えば町の辺境の住人だ」と話を始めて「辺境にも辺境なりの住民要求がある」と語ると大きく笑ってもらえた。※内田樹著「日本辺境論」は2010新書大賞
 
 ヒトはよく私に「話すのに苦労はないやろ」「文章も苦もないやろ」などと言ってくれるが、実際は、話のツカミだけでもこのように一晩中考えているのだ。
 みんなそういうものだろう。結果の以前には「細部に神が宿っている」のだ。

2025年5月7日水曜日

カズー購入

    昨年5月にカズーの合奏を行ったパーティーから1年が経過した。
 
 今年はパーティーの企画について私からは何も提案しなかったが、多くの人から「今年もカズー合奏をやろう」ということになり、ついては購入についての事務処理をよろしくと依頼された。
 そこで廉価なものはないかとネットをググり、18個  1,727円というのをポチッとして購入した。(ちなみにズーっと以前に私はほとんど変わりのないMADE IN ENGLAND のものを1個2,000円程で購入したゾ???)

 願わくは、このカズーをどのように「活かして」パーティーを盛り上げるかだが、それは新しい企画担当メンバーに期待しよう。若い世代ガンバレ!
 頼むから棒立ちで吹いてほしくないな。楽器だと思ってスウィングしながら吹いてほしいものだ。
 カズーはアフリカ発祥の楽器で黒人奴隷によってアメリカ南部のジャズに取り入れられたもの。間違ってもオモチャなどと言ってほしくない。

 先日はメーデーに持参したが、宣伝カーからは一切歌唱指導がなかったので、半ばヤケクソでシュプレヒコールをカズーで唱和した。
 パレード(デモ行進)にカズー! そのうちに流行るかもしれない。 ・・?そんなことないか。

2025年5月6日火曜日

竹川マスオさんが出発

    精華町町議会議員選挙が始まった。
 身近なことでいえば、現実とマッチしていないゴミステーションの問題、大きなところでは舞鶴の海上自衛隊用のミサイルを増強する祝園(ほうその)弾薬庫の問題、新しいことでは、AI(人工知能)時代の巨大なデータセンターの諸問題。
 まるで高齢化社会問題、軍拡反対の平和問題、AI時代の桁違いの環境問題など、日本の将来を問う縮図のような選挙だ。
 そんな選挙に、竹川マスオさんが南部地域から元気よく出発した。
 及ばずながら一言応援の言葉を述べさせていただいた。

汨羅に入水

 昨日は粽(ちまき)の故事を書いたので、改めて陳舜臣著「十八史略」の該当部分を読み直したが、やはり内容が膨大過ぎるので以下のとおりwikipediaのコピペに戻った。
    🔳 屈原(紀元前
343年)頃 ー紀元前278年)頃は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。
 秦の張儀の謀略を見抜き、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。春秋戦国時代を代表する詩人としても有名である。
 当時の楚は、西の秦といかに向き合っていくかが主要な外交問題で、親秦派と東の斉と同盟することで秦に対抗しようとする親斉派があり、屈原は親斉派の筆頭であった。
 当時の楚では屈原の政治能力は群を抜いていたが非常に剛直な性格のために同僚から嫉妬されて讒言を受け、王の傍から遠ざけられると同時に国内世論は親秦派に傾いた。
 屈原は「秦は信用ならない」と必死で説いたが、受け入れらず、屈原の心配どおり秦の謀略家張儀の罠に懐王が引っかかり、楚軍は大敗し、大敗後屈原は一層疎んぜられて左遷され政権から遠ざけられた。
 秦は懐王に縁談を持ちかけ秦に来るように申し入れた。
 屈原は秦は信用がならない、先年騙されたことを忘れたのかと諫めたが懐王は親秦派の公子子蘭に勧められて秦に行き、秦に監禁されてしまった。
 楚では頃襄王を立て、頃襄王の令尹(丞相)として屈原が嫌いぬいた子蘭が着任したため、更に追われて江南へ左遷された。
 頃襄王21年(紀元前278年)、秦により首都郢が陥落したことで楚の将来に絶望し、55日の端午に石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。
 屈原の強烈な愛国の情溢れる詩は楚の詩を集めた『楚辞』の中で代表とされ、その中でも代表作とされる『離騒』は後世の愛国の士から愛された。
 後に55日の命日には、屈原の無念を鎮めるため、人々は楝樹の葉に米の飯を五色の糸で縛って、川に投げ込むようになった。これが粽(ちまき)の由来といわれる(あくまで故事)。また、伝統的な競艇競技であるドラゴンボート(龍船)は「入水した屈原を救出しようと民衆が、先を争って船を出した」という故事が由来であると伝えられている。🔳
 相当昔、職場の先輩に中国史が好きな人が何人かいて、よく麻雀をしながら「べきら」「べきら」としゃべっていた。そんなことから『屈原の汨羅入水』は勝手に覚えてしまった。そんなことを五月五日に思い出した。

2025年5月5日月曜日

端午の節句は道教

    今日は端午の節句。
 伝統行事の多くが中国にルーツを持つ日本という国の中で、鯉のぼりだけは中国にはないというのも面白い。
 お祭りのときに神社に立てられる大きな縦長の旗は神が降臨する憑代(よりしろ)だが、これこそが鯉のぼりのルーツらしい。それでも「登龍門」、鯉の滝登りという中国の伝説に拠っているのでやっぱり中国文化からは離れられない。
 粽(ちまき)は(中国の)戦国時代屈原(くつげん)が汨羅(べきら)の淵に身を沈めたという故事が人口に膾炙しているが、江南の民族が日常食としていた粽を供えたと考える方が素直だろう。
    ショウブやヨモギは前漢の頃から辟邪・辟病の仙薬(万能薬)であり、ショウブ酒、ショウブ湯となったことは容易に想像できる。日本でも中世までは宮中でヨモギ人形を飾ったが、これが武者人形の一つのルーツだといわれている。
 わが家ではショウブ湯から出るときに一本抜いて鉢巻にすることとなっている。辟病だ。
 要するに全体としては古い中国の文化=つまりは道教の文化の上に立っているのにそれに気づかないのは天動説の論者と変わらない。
 その種の古くからの日本の「行事」を馬鹿にしながら、やれバレンタインデーだ、ハロウィンだ、クリスマスだと騒ぐ国民のなんと多いことか。

2025年5月4日日曜日

かがやけ憲法

    mamazakiさんという方の風刺画の一つに、ひざまずいた女性が「神様!私が何をしたというのですか?」と問うのに神様の声が「何もしなかったからだよ」と答えているのがある。
 子どもの遺影を抱いているからパートナーによる児童虐待がテーマだったのかもしれない。
 だから作者の本意ではないかもしれないが、この神様とのQ&Aは現代日本人の「見て見ないふり」精神を批判しているようにもとれる。
 ナマナマシイ話は別にしても、あの世で地獄行きを宣告されたときに、「私が何をしたと?」と確信をもって問うたときに、「ガザの子どもたちやウクライナの子どもたちが理不尽に殺されていたときに、君は何もしなかったからだよ」と神様にいわれたとしたらなんと抗弁したらよいだろう。
 「多くの日本人は見て見ぬふりをしていたから、私もみんなと同じようにしていただけです」は正答になるだろうか。

    5月3日は憲法記念日。学術会議法をはじめ、じわじわと憲法の規定が踏みにじられている。
 また正直な議論をすれば「核抑止力のない平和外交は理想でしかない」という声が増えていないだろうか。
 かくして私は、日本民主老人同盟か新日本男子の会を夢見ている。桂二葉ちゃんではないが「ジジイども見たか!」と笑われないようにしたいものだ。

2025年5月3日土曜日

段取り八分

    NHK Eテレの幼児向け番組に『にほんごであそぼ』というのがあるが、その番組の『計画』というテーマのときには「計画のない目標はただの願い事にすぎない(サン・テグジュベリ)」などと子どもたちがラップで踊っていた。
 Oh!これは全く大人向けの番組でないか!と私は感心した。

 また「段取り八分(だんどりはちぶ)」という言葉もある。例えば会議で「次の会報は〇月にだそう」と 計画しても、誰が誰にどんな原稿依頼をするかという計画を詰めずに終わってしまうこともある。・・・それはただの願い事・・?と毎回反省している。

 で、先ず隗より始めよとなるだろうから、今月後半に使用するくす玉のメンテナンスに着手した。
 写真はくす玉の光沢が落ちてきたのでラッカーで上塗りだけをしたところ。八分にはまだ遠い。

 5月1日にそのパーティーの歌集等担当者とちょっぴり昼呑みをしたが、ああでもないこうでもないと検討してくれていた。段取り八分の実践、素晴らしい。頭が下がる。
 私が「安易に簡単な企画へと妥協してほしくない」と言ったので一層頭を抱えさせることとなった。
 結論は別にして、夢は大きな方がよい。奇しくも高齢者二人が「あのCMのカントリーダンス!みんなで踊ったら愉快だろうな」と言い合った。「そんなあほな」で終わったが、1分か2分は微かにホンキである。

2025年5月2日金曜日

憲法と統一協会問題

 5月3日がやってきた。昨年202452日木曜日にこのブログで『53日というと』として書いた記事を再録する。新しい記事を書くのを手抜きするものではなく、ますます重要な内容だと思うので再録する。「去年読んだよ」といわずに再確認してほしい。 

    1946
113日に公布された日本国憲法が施行されたのが194753日。この53日は日本国憲法の喜寿(※今年は78)のお祝いの日だが主人公は近年満身創痍の感がある。
 それらについては多くの人々が語るだろうから、今年私は少し角度を変えて「赤報隊事件」について書く。
 書くと言っても微妙な問題でもあるので、小林よしのり、有田芳生 共著『統一協会問題の闇』(扶桑社新書)第3章 教団の武装化路線と権力中枢への侵略・・で有田氏が語られている(と記述されている)ことの紹介(つまり引用)である。よって、後は各自で考えていただきたい。
 
 🔳 今から37年前(※今年は38)の198753日憲法記念日の夜、朝日新聞阪神支局が襲われ、小尻記者が散弾銃で殺害され、犬飼記者が重傷を負った。
 56日、共同通信と時事通信に「赤報隊一同」と名乗る犯行声明が届き、1月に朝日新聞東京本社を銃撃したことを明らかにするとともに、「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみである」とその声明は宣告した。
 924日には朝日新聞名古屋本社の単身者寮が散弾銃で銃撃され、そのときの犯行声明では「反日朝日は50年前にかえれ」と記されていた。
 その後も、朝日新聞静岡支局に爆発物を仕掛けるなど、赤報隊事件は1990年まで続いたが、犯人は検挙されず2003年までに一連のすべての事件の公訴時効が成立した。 
 犯行声明に着目した警察は、犯人を右翼、あるいは新右翼と見て捜査していたが、実は同時に別の「線」も見ていた。それが統一協会と国際勝共連合だった。 
 1987年当時、朝日新聞や朝日ジャーナルは霊感商法を追及するキャンペーンを張り、教団側は朝日新聞を批判する大量のビラを駅前で撒いたり、すでに戦争状態に突入していた。 
 阪神支局が襲撃された3日後の56日午前、朝日新聞東京本社に散弾銃の使用済みの薬莢2個と脅迫状が同封された封筒が届き、脅迫状には「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書かれていた。
 同封されていた薬莢は阪神支局銃撃で使われたものと同じレミントン社製で、口径も散弾の大きさも同じものだった。実際の犯行に使用された銃弾は米国製で、脅迫状に同封されていたのは日本国内でライセンス生産されたものだった。
 重要なことは、銃撃に使用されたものがレミントン社製と報道されるより前にこの脅迫状は投函されていた。また消印は統一協会本部のある場所である渋谷局だった。
 有田氏が持っている警視庁公安部の赤報隊事件の捜査資料には、統一教会の信者52人の名簿があり、本籍、現住所、勤務先などが記載され、何人かには、「勝共」「非合法」「軍事組織」と書いてあった。
 さらには、「元自衛隊員」「統一協会軍事組織」とか、「統一協会軍事組織所属」「山の中で射撃訓練」とまで書いてあった。
 有田氏は、彼らは輸入された空気散弾銃を所持しているか、禁輸後も輸入され続けた単発の空気銃を所持しているのではないかと睨んでいる。🔳

 別のページの空気銃については以下の記述がある。
 🔳 実は、統一協会(韓国?)はオウム真理教と同じように「武器」を製造していた。 「統一グループ」のなかに「鋭和散弾銃」という製造部門を持ち、後に「統一重工業」に社名を変えた。さらに1968年にはこの会社の製造した「鋭和BBB(ビースリー)」という空気散弾銃を、日本の勝共連合と密接な関係にある「幸世物産」が2500丁輸入していた。🔳

 この件での後藤田正晴警察庁長官の国会答弁(国会議事録)
 🔳 幸世物産と勝共連合というのは極めて密接な関係がございます。・・2500丁の空気散弾銃が輸入をせられた。・・・問題は、こういう銃砲刀剣類所持等取締法の対象になる銃砲というものは、狩猟の用具にするとか、・・競技の用とか、それぞれ目的が決まっているわけですね。その目的に照らしてこの空気銃が果たして適正なものかという点に私どもは疑問を抱いたわけでございます。・・・したがって、第2回目以降は輸入を禁止するということで処置をしたわけでございます。
 ところが今度は、輸入業者のほうは、猟具で駄目なら、それじゃ競技用でどうだ、こういうことを私のほうに言ってきた。・・しかし空気散弾銃の競技というものはどこにもないじゃないかということで、・・この空気散弾銃を認める意思はございません。🔳

 有田氏 🔳 ところが今度は、統一協会の銃器メーカー「鋭和散弾銃」は、単発の空気銃を製造し、名前を「鋭和BBB」から「鋭和3B」に変えて、1970年から1975年にかけて15700丁輸入された。幸世物産は統一産業に名前を変えていた。
 これは、一般的な空気銃の3倍以上の威力(殺傷能力)があり、・・全国に直営店をつくり、信者向けに販売されていた。🔳

 昨年の5月2日の記事の再録はこれで終り、前述の有田芳生氏の著書のあとがきから若干補筆しておく。

 🔳 安倍晋三元総理銃撃事件をきっかけに、テレビへの出演が増えた。2022年7月18日に「羽鳥慎一モーニングショー」に出たとき、この「体験」の話をした(※10年後に有田氏が複数の警視庁幹部(元職と現職)に「なぜ摘発できなかったんですか?」と聞いたところ、即座に「政治の力ですよ」と言われたということ)。
 司会者もコメンテーターも「凍りついた」とあちこちで報じられた。実は、翌日もこの番組に出演を依頼されていたが、「明日の報道はなくなりました」と伝えられ、テレビ朝日への出演はこれが最後になった。しばらくして別の局の番組に呼ばれたとき、「政治の力」は言わないでくださいねと念を押された。🔳

 上記のとおり、統一協会問題は過去の問題でもなく裁判所にお任せしておくべき問題でもない。
 自民党や「ゆ」党の政治家の中には今も陰で統一協会を守ろうとしている者が少なくない。
 当の朝日新聞をはじめとするマスメディアも以上のような有り様だ。
 5月3日にはどうかこの問題を語り合っていただきたい。

 



2025年5月1日木曜日

まもなく端午の節句

    まもなく端午の節句なので小さな鯉のぼりのガーランドをドアに飾っていたところ、ある日行方不明となり
探してみると家の裏に落ちていた。
 「風に飛ばされたかな」とも考えたが場所が不自然。推理するに、「旨そうな魚だ」と考えたカラスが持ち去ろうとしたが、「ケッおもちゃカイ!」と捨て去ったのだろう。
 賢いカラスがガーランドに騙されるか?とも思ったが、同じように節分にはイワシ(これはホンモノ)を飾ったから、カラスの少しばかりの学習が仇になったとも考えられる。

    次の写真は五月飾り。左側のが神農さんの笹につけられる標準的な「福虎」。
 右側の小さな「福虎」は先日の献湯祭で戴いたもの。
 近頃のわが家の五月飾りはこのとおりのミニミニ。
    さて息子が小さい頃、妻の両親から本格的な五段飾り(これは最後には某施設に寄贈した)をもらい、その大きさにふさわしい張り子の虎を信貴山で購入したが、あまりの迫力に息子が「怖い」というのでヒゲを全部抜いて「福猫」にして一件落着にしたというのも懐かしい思い出。

 #言行不一致! 兜に太刀、弓を飾るか・・・との批判があるかもしれないが、歴史や民俗は大事にしつつ頭の中で変換するのがよくないか。