2025年4月5日土曜日

一生過ぎ易し

    「人生はあっという間だ(一生過ぎ易し)」と室町時代の浄土真宗門主蓮如上人は「白骨の御文」で述べている。
 「朝は厚顔ありて夕には白骨となれる身なり」などというこの「御文」は浄土真宗各派の葬儀で読み上げられることがあるが、あまりにリアルに本質を語っているので、気の弱い私などは頭で理解しても「共感したくない」気分でいた。(それでも地球は回っている)
 こういうところから、「親鸞の教えは道教である」とは福永光司氏の指摘だが、御文のリアリズムは中国大陸の思想・感性かもしれない。
 さて、一度低下した体力を回復させるのは並大抵のことではないが、体調不良で倒れることは瞬時のことである。「夕には白骨」もそのとおり。そういう意味でこの御文を思い出した。
 ということで・・・、せいぜい養生することにする。

 親鸞から第8代の蓮如さんのことだが、その頃本願寺は99%消滅しかかっていたところ、蓮如は御文、つまり手紙、回覧板、SNSにあたる大広報作戦で蘇生させた中興の祖である。
 私は「カール・マルクスはジャーナリストであった」と語っているのだが、その伝でいえば時代は異なるが「蓮如もまたジャーナリスト?」であったかも。
 職場の大先輩で真宗のお坊さんであった方は「宗門の中では蓮如さんはあまり人気がない」とおっしゃっていたことがあるがどうしてだろう。深くは知らない。その方の個人の感想であったかもしれない。近江から北陸にかけては蓮如忌が大きな行事だという話もある。

2025年4月4日金曜日

ド根性スミレ

    アスファルトの間にド根性スミレを見つけた。
 見習わなければ!
 体調回復中。

2025年3月30日日曜日

休憩

体調不良なり 

2025年3月29日土曜日

春の香り

    今年は2月の寒波のせいか1週間ほど開花が遅れたが、庭の沈丁花が一斉に開花しその香りを放出している。ナルホド別名「千里香」には異議はない。
 沈丁花という名にしても沈香と丁子というのだから、この木が三大香木の一つであるという評価については揺るがない。
 この香りは、現役時代ちょうど人事異動の内示と重なるので、新しい業務。新しい環境への漠とした不安とセットで記憶されている。こういうのをある種の匂いフェチというのだろう。
 庭では沈丁花のすぐ側でボケの花も満開で、これも中国名では放春花、春の香を放つ花で、顔を近づけるとナルホドなのだが、わが家では沈丁花に圧倒されているので少し可哀そう。
    気象予報士は花粉と黄砂で外に出るなと教え諭してくれているが、これらの香りは私を庭へと誘い出す。
 花粉は嫌だが春は冬よりも好ましい。
 ただ、どこにも例外というものはあるもので、近所の栗の木も一斉に開花しムッとした香りをバラまいてくる。香りとか匂いというよりも臭いと形容したいが、しかしものは言いようだから、ここは春の生命力の香りということにしておこう。

2025年3月28日金曜日

酒席の防衛政策

    黄砂危険情報といっしょに春というか初夏までがやって来た。
 写真は26日(水)夕方、奈良公園氷室神社の枝垂れ桜。満開。
 その後、インバウンドの多彩な民族を掻き分けて居酒屋にたどり着いた。
 先日は某会報100号で思い出話を特集したが、後期高齢者の酒席は放っておいても思い出話に時間を忘れた。
 その次の話題は現下のコメの値上がり。
 「買い占めている奴がいる」との農水大臣のアナウンスだが、コメは12度か13度で徹底した温度管理をしないとストックできないというのが農業に詳しい者の意見。
 JAあたりが本格的に行わない限り買い占め・ストック説はあり得ない(派生的に買い占めて利ザヤを目指す者はいるかもしれないが)。
 とすると、昨夏の異常気象(高温少雨)が直接的原因かもしれないが、構造的には減反政策の行き詰まりでないか。
 どこの国でも主食の安定確保は政治問題。
 美味しい米を作って農業が持続する収入を保証し、余ったコメは世界中の困っている人々への援助に回せばそれこそ最高の防衛力でないだろうかというのが一致した意見。
 羽釜も一緒に援助しよう。


2025年3月27日木曜日

ミナミのインバウンド

    日曜日に『やめてんか・カジノ万博パレード』に行ったことを一昨日に書いたが、パレードで御堂筋をミナミへ歩くと、外国人観光客の多いのがよく判った。
 特に道頓堀橋あたりから東の方の戎橋や道頓堀の方を見ると、雑踏という形容がぴったりだった。
 また近頃は御堂筋そのものも大きく変化していて、かつての各社の本社機能というよりも、高級ホテルの一角のように、世界的に有名な服飾品などのブランドの店舗が軒を並べている。
 早い話が御堂筋にしても戎橋・心斎橋筋にしても、「日本は安い!」とやってくるインバウンドに顔が向いていると見た。
 そこでだが、「日本は物価が安い」という実感が日本人にあるだろうか。価額の実感は収入(所得)に対する支出(値段)の問題だから、「物価が安い」と感じる外国人と比べて日本人の賃金、はては年金などの収入が低すぎるというのが本質だろう。
 かつての日本人が実感していたことでもある。
 テレビなどのコメンテーターも「日本は物価が安いから外貨で潤う」みたいなことを言うのでなく、「日本の賃金が安すぎるのでインバウンド公害が起こっている」と言うべきでないかと思う。

2025年3月26日水曜日

統一協会は宗教法人に非ず

    東京地裁は25日、世界平和統一家庭連合(旧統一協会)に解散を命じる決定を出した。
 文科省が、遅くとも1980年ごろから高額献金の要求や霊感商法が教団によって繰り返されており、賠償責任を認めた判決は32件あると指摘。和解や示談を含めた被害規模は約204億円(約1550人)に上るとしていて、こうした民法上の不法行為に教団の組織的な関与があったと認定。
    これらは宗教法人法で定められた解散命令の要件の「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」や「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」に当たると訴えていたことが認められたことになる。
 これに対して教団側は即時抗告するだろうと報じられている。

 ただ、良識ある市民が気を緩めてはならないことは、一般論として、洗脳された集団はこれを宗教弾圧、統一協会流にいえばサタンの仕業というだろうから、ある種の結束は強まる恐れがある。
 そして重要なことは、自民党や「ゆ」党の中に統一協会と癒着し代弁しようとする勢力が少なくないという事実だろう。
 旧統一協会のフロント団体勝共連合は暴力も含む反共団体として、彼らの「盟友」であったから。
 ここまでは市民の良識の勝利であったが、気を抜かずに民主主義を大事にしたい。そして反語的に言えば、次の参議院選挙で、統一協会とのほんとうの対決者、日本共産党を前進させることが、日本の民主主義を守ることになるのではないか。
 写真は先日、わが街の駅頭で統一協会がまいていたビラ。
 (統一協会はキリスト教的宗教団体的に「統一教会」と改称?していたが、元々アソシエーション「協会」が正確)

2025年3月25日火曜日

考古学と文献史学

    2013年に亡くなった森浩一氏の著書がこの1月に新書化されたので早速購入した。
 森浩一氏といえば、1945年(昭和20)に当時17歳の森浩一氏が信太山丘陵の工事で破壊寸前の和泉黄金塚古墳(古墳時代前期(4世紀)の前方後円墳)を発掘(発見)したことで有名だが、私の高校時代、社会の教師が授業内容とは別に、この高校の先輩にあたる教え子がこの発見・発掘に参加していて、卑弥呼の鏡かといわれる景初三年(239年)銘の画文帯四神四獣鏡を見つけたときの感動の様子を熱弁されていた姿を思い出す。

 鏡と言えば今般の著書でも、第2部三種の神器、第4章八咫鏡、第5章八咫鏡(続)がある。

 さてこの本は、現代の多くの考古学者が神武東征などの神話について「考古学的な裏付けがない」「故に荒唐無稽な物語だ」と言うかそれに触れないという態度をとっている中で、否、見過ごすことのできない痕跡(遺跡・遺物)がこんな所あんな所にあると、示唆を与えてくれている。

 近年、4世紀の、全国一の大墳丘を持つ富雄丸山古墳造り出しから想像を絶する巨大な蛇行剣と盾形銅鏡が出土したが、神武(イワレ彦)東征神話では、河内の生駒山麓日下(くさか)でイワレ彦はトミノナガスネ彦と戦って敗れている。トミノナガスネ彦軍は後に自壊するが、その日下から奈良駅に東進する近鉄奈良線に富雄駅が存在する。古墳はその南方にある。
 森浩一先生は、トミノナガスネ彦の記紀の記述を一笑に付すべきでないとおっしゃるだろうか。現在の私の見解とは異なるが、そんな声も聞こえてきそうな気もする。

2025年3月24日月曜日

愛はないけどアイアール(IR)

    寒いときは風邪をひいたらあかんし、暖かな日は花粉症が悪化したらあかんので、どっちにしても酷い出不精癖がついているので少し歩くと膝が痛んだり息が上がって心臓が弱音を吐く。
 これではいかんとネットを開けたら『やめてんか・カジノ万博御堂筋パレード』があったので23日の昼に「うつぼ公園」に出かけたが、健康のためという動機は少々不純だったかもしれない。
 万博「そのもの」を取り出せば取り立てて反対ではないが、それなら千里で「アゲインばんぱく」とすればよいものを、万博をイチジクの葉にしてカジノ(とばく場)を造ろうとしているから賛成できない。それをIR(統合型リゾート施設)と言い換えても駄目なものは駄目。
 それに地震・台風や津波には危険極まりないアクセス環境の埋め立て地で、危険なガスも噴出を続けている。
    そういう無理に無理を、無茶に無茶を重ねているために、『いのち輝く未来社会のデザイン』だとか『豊かな日本文化の発信』だとか美辞麗句を重ねながら、なんと、し尿汲み取り運搬業務の入札公告がされているというブラックユーモア?まで発生している。
 言っておくが、汲み取り方式の街や汲み取り業務のことを蔑視したりしているのではない。だがしかし、大阪市内で、国際博覧会の会場で、かっこよいキャッチコピーを並べて、その果てが汲み取りですかと情けなくないか。
 万博会場では、一般入場者は帰った後かも知れないが、外国パビリオンの関係者などは沢山いたりする夜間になると、バキュームカーやし尿運搬船のラッシュアワーになる?
 豊かな日本文化の発信どころか、それは普通に言えば「恥さらし万博」になるのではないの?

2025年3月23日日曜日

栞(しおり・ブックマーク)

    会報100号の記念品として『栞』を手作りして会員に郵送(同封)したが、一会員でもある私の妻は「素晴らしい出来だ!」と言って妻の姉にプレゼントだと横流し?した。
 (表裏印刷だから3種類)

 企画段階では記念品らしくQUOカードが喜ばれるのではないだろうかとも考えたが、結果的には超格安の手作りでそれ以上の評価を得た気がする。
 「人生意気に感ず」という言葉があるが「意気」が通じたかも。人間、金銭だけが基準で生きているわけではない。

 今回の制作に関しても比較的若いUさんTさんが大いにがんばってくれた。
 誰かの名言?に、『何かを頼まれたときに「どう実現していくか」と考える人と「どう断わるか」と考える人がいる』というのがあったが、私は前者でありたいと胸に手を当てて反省している。彼らは「どう実現するか」と悩んでくれた人たちだ。

 次は5月のレセプションの企画になる。企画について議論をしたいところだが「ご歓談ください」と放っておかれたパーティーで「好かった」と記憶に残ったものは私にはない。

2025年3月22日土曜日

若ごぼうご飯

    20日の『蕗みそ』の記事のコメントの折に「若ごぼうの炊き込みご飯について秘訣があれば誰か教えて」と書いたところ、ひげ親父さんから「湯掻いておいた茎は炊き上がってから加える」というレシピを教えていただいた。私は根も茎も最初から炊き上げるつもりでいたから参考になった。(ネットには一緒に炊くレシピも少なくなかったので)

 私なりに検討した結果、香りのために根プラス「茎の根本あたり」を最初から入れ、それに、薄揚げ、ニンジン、カシワ少々を入れて炊き上げ、炊き上がった時点で大部分の湯掻いておいた茎を少し大きめに切っておいたのを加えた。
 その結果、手前味噌ながら、懐石料理に出ていてもおかしくないほど美味しく仕上がったが、出汁は妻が塩梅したので私の手柄ではない。
 葉っぱは油でいためて別途佃煮にした。
 気をつけたのは「できるだけ野趣を残す」ということで、それもほゞ成功した。季節を感じさせる一品になった。
 妻がファミリーの女子会であったので、息子ファミリー、娘ファミリーにもお裾分けをした。
 夜に息子ファミリー(お嫁さん)から美味しかったとのLINEがあった。孫の夏ちゃんも喜んでくれたそうだ。
 娘ファミリーからは孫の凜ちゃんがパクパク食べている動画が送られてきた。その中には凜ちゃんの自然に「美味い」ともらした声まで入っていた。
 八尾出身のひげ親父さん、レシピの秘訣ありがとう。

2025年3月21日金曜日

クリスマスローズ

    私だけかもしれないが、お正月の葉ボタンではないけれど、クリスマスローズはクリスマスの頃に咲く花だと思っていた。 実際、昔のことになるがクリスマスの頃に咲いているのを買ってきた。
 その後植木鉢から地植えに移したが、クリスマスどころか春の終わり、初夏近くに咲くので「何がクリスマスやねん」と思っていた。
 それが今年はだいぶ以前から今咲いている。 クリスマスとはいかないが、17~19日の寒波?もあったから、大ぐくりでいえばようやく冬に咲いたことになる。
    本を読むと、
少し北の地方では実際に12月に咲いたりするらしい。
 また、キリストの誕生(つまりクリスマス)の際、貧しい羊飼いの少女が、プレゼントを用意できないのでこの花を花束にしてマリアと幼子に持って行ったという神話もある。
 下の写真は花の下へスマホを差し込んで自撮りモードで撮影した。
 私にはもう「クリスマスローズ=冬だ」という気分はない。「冬も終わってようやく暖かくなったなあ」と感じさせる花になっている。

2025年3月20日木曜日

蕗みそ

     冬眠から覚めたクマは蕗の薹(フキノトウ)をどっさり食べてデトックス(解毒)するというが、今シーズンの如月はけっこう厳しいものだったから、私の体もデトックスを欲している。
 先日は孫の凜ちゃんといっしょに若ごぼうを食べたことを書いたが、第二弾はフキノトウの「蕗みそ」でデトックスだ。
    フキノトウは刻んだ瞬間から変色していくから、料理でもありながらまるで格闘技のような高揚感もある。
    熱しておいたフライパンに即投入し、熱が通れば合わせておいた味噌と混ぜるだけ、これを冷蔵庫に入れておくと蕗みそになる。なんということもない。
    最後の寒波?も17、18日で終わったようだから、口いっぱいに春を確認することにしよう。味わい方はいろいろだ。
 泉谷しげるは〽季節のない街に生まれ~と歌ったが、季節もまた探している人間にしか挨拶をしてくれない。
    熱いご飯に乗せるだけでも食事になるが、写真はこんにゃくの焼き味噌おでんにした。七十二候の世界に入り込んだみたいだった。

2025年3月19日水曜日

公教育の充実について思うこと

    一昨日に「小学生・中学生俳句会」 のことを書いたが、お世話いただいた学校の先生方には感謝している。同時に、無制限の超過労働など教員を巡る問題のある労働条件に見て見ぬふりをしてそういう「お世話」を感謝、賛美してよいものだろうかとも思う。(写真は直接関係ない)
 私は小学生の時代、担任の先生を通じて、戦後発足して間もない児童詩集(文芸誌)に掲載してもらったりして、私だけでなく、みんな貴重な思い出を作ってもらったので、そんな経験と孫の「俳句誌」が重なって感謝の気持ちが湧いている。
 ちょうど国会で教育無償化の議論がある。教育無償化には賛成だ。
 ただ手柄話のように語られている大阪府の維新による教育政策の事実を見ると、ほんとうの意味での教育の充実、例えば教員の増員、少人数学級、養護(特別支援)学校の設置、増設、施設充実などは顧みられず、反対に学校の統廃合を強行し、公教育を私学に外注し、学校跡地を売却するようなことが目立っている。
 テストの成績で教員の指導力?を評価する人事政策も強化され、結局、大阪府の学力は低迷している。学力は塾と私学任せだ。クラブ活動も地域任せで、美辞麗句はあるが、公教育の責任逃れにも見える。
 どこか精神が歪んでいるように見えるのはおかしいことだろうか。
 別途項を改めて書いてみたいが、「公から民へ」「公務員は少ない方がよい」「小さな政府(役所)」というのが、災害に弱い、インフラに弱い、弱者に冷たい社会を作っているのではないか。
 教員や公務員全般を含む労働の場では成果主義という名の「減点主義」が各方面での活力を削ぎ、大きな話をすると日本の経済力、産業力を大きく低下させたのではないか。
 話が広がりすぎるので、今日はここまで。