2025年4月30日水曜日

第96回メーデー

    明日は5月1日、第96回メーデーだ。
 若い頃はいろんなデコレーションを作ってデモ行進をしたりしたが、近頃の『プラカードコンクール』には腰を抜かすほど斬新なものは少ない。
 それと日本の賃下げが連動して見えるのは穿ち過ぎか。
 大阪総評最後の大会の共同修正案提出者として、労働戦線の右翼的再編は歴史がその愚行を証明するだろう!と言ったが、ああ!
 年金生活者としてはガンバレ現役!とエールを送って集会に参加するしかない。
 現役時代、1975年のメーデーは感動的だった。前日の4月30日にサイゴンから米軍が逃げ出したのだ。
 あんな感動を次の世代に見せたくて、一昨日も地元の選挙の応援に参加してきた。
 退職者も、隠居している場合ではない。ははは。

2025年4月29日火曜日

イソヒヨドリは婚姻色

 春深しイソヒヨドリは婚姻色

    4月29日、望月 周選[俳句]に採ってもらった。
 約20年ほど前、近所でイソヒヨドリを見つけたときには「これはきっと本に書いてあったアカハラだ」と思った。感動的だった。
 コバルト色の背と真っ赤な胸。後で分かったがそれはアカハラではなくイソヒヨドリの婚姻色だった。
 海なし県の奈良との県境、磯からは遠く離れたこの地の商業施設の立体駐車場を磯の崖代りにしてイソヒヨドリは住み着いた。
 それが今では、この街で一二を争う「馴染みの野鳥」となり、朝早くから恋の駆け引きに歌いまくり、追いかけまくり、そして婚姻色に着飾った。
 その感動を素朴に詠ってみた。

五風十雨

    太平之世、五日一風、十日一雨、・・と聞くが納得。

    ウスイエンドウの根元にキュウリ、トマト、マンガンジなどの夏野菜を植えた。
 ただ、特に半白キュウリは自根苗のため場所の決定(作付計画)に悩んだ。連作障害(厭地・いやち)のことである。
 基本はキュウリの場合5年サイクルの輪作を行えとなっているが、4年間キュウリを植えられないというのも面白くないし、だからといって猫の額みたいな家庭菜園では5つの区画を順番に輪作というのも実際には無理。また連作障害対策の各種農薬も控えたい。
 なので、あとはマメ科やニラ、ネギとの混植でどうにかしようかと思っている。
 今は冬野菜であった菊菜(春菊)をそのまま混植のようにして花を咲かせようと考えて、その間に植えこんだりしている。
 基本は自然農法、不耕起農法でいきたいが、上手くいくかどうか?
 失敗したら1年を棒に振るわけだから農業というのは厳しいものだ。
 収穫の時期よりも、植えただけで収穫を夢見ている今が一番楽しい。

2025年4月28日月曜日

白子が魚卵?

    イギリスの最高裁判所は4月16日、英国の平等法における「女性」について、生物学的性別で定義されるとする判決を、判事の全員一致で出した。
 さて、先日スーパーにブリの大きな白子が出ていたので夕飯の一品に購入したが、妻が「魚卵」と表示されていたで」というので二人で大いに笑いあった。
 日本が英連邦でなくてよかった。真子も白子も魚卵と表示するのは如何にも曖昧が得意な国らしい。
 ちなみにその日は塩ゆでして生姜醤油で美味しくいただいた。

 思い出したが、ずーっと以前に岸和田の、ふぐ博物館まで建てたふぐ料理店喜多八でコースを堪能したことがあったが、ふぐ博士といわれた北濱氏(今の店主の先代)が発見したのが「両性ふぐ」だった。この発見で原因不明のふぐ中毒が解明されて予防されることとなった。
 このように自然界だって複雑なものだから、社会問題となるともっとそうだろう。
 もしかしたら、件の判事の深層心理には「聖書にはアダムという男とイブという女しか書かれてない」という大前提?があったのだろうか。
 アメリカのトランプを強く支持している福音派はそう主張しているように見受けられる。
 「進化論に繋がる書籍を図書館や学校から追放せよ」という運動が実際にある。
 自然科学の進歩と宗教の持つ倫理性を併せて理解するのが理性的な現代人の知恵ではないのか。
 一神教の教条主義は困ったもののように思う。

2025年4月27日日曜日

お蔭参りの実は・・・

    ブラタモリ伊勢神宮への旅が放映されていたが、国営テレビでは触れなかった「謎」を補足しておく。
 本郷和人氏の著作の中に「内宮と外宮どちらが豊かだったか?」という設問があったが、戦国時代には朝廷の後ろ盾を失って荒廃していた伊勢神宮が大いに復興したのは江戸時代に起こった「お蔭参り」のお蔭・・・、それは伊勢神宮側にとっても「お蔭」だった。
 そこで先の設問だが、内宮には天照大神が、外宮には豊受大神が祀られていて、いわゆる神格には大きな差があったが、実際には外宮のほうが賽銭の実入りが多く豊かだったと、歴史家(本郷氏)は指摘している。
 答のヒントは参拝の順路にあり、圧倒的には先ず外宮に参拝してから内宮に参拝したという。
 そしてその外宮から内宮に向かう順路の途中にお蔭参り大ブームを支えた「正解」、日本五大遊郭の一つ山田の「古市」遊郭があったからという。
 多くの参拝者は外宮で賽銭をあげ、そのあと山田で遊び、お金を使い果たして内宮では渋くなっていたというのがその理由。
 そんな俗っぽいブームに支えられて復興した伊勢神宮を、明治政府は「国営」の神社に祭り上げて国家神道を新設して戦意高揚、果ては「お国のために死ね」とまでに思想動員してきたことを「国営放送」は一切触れない。
 今日の美しい外観や森や川を見て、古代から引き継がれてきた清らかな神々しさなどと誤解すると、それは国家神道を使った戦前の思想動員の残りカスにけっこう「洗脳」されているのかもしれない。

2025年4月26日土曜日

漢字の国

    国宝の一つに、
金錯銘花形飾環頭大刀(きんさくめいはながたかざりかんとうたち)がある。
  奈良県天理市 東大寺山古墳出土。古墳時代・4世紀〔刀身:中国製・2世紀〕  柄頭:銅鋳製 刀身:鉄製 金象嵌 
 銘文:中平🔲年五月丙午 造作支刀 百練清剛 上応星宿 下避不祥(中平🔲年、五月丙午(へいご・ひのえうま)の日に、 支刀を造作す。 百たび練え清剛なり、上は星宿に応じ、下は不祥を避く)。
 文化庁の「文化遺産オンライン」には、『日本最古の出土銘文(めいぶん)刀剣としてよく知られ、刀身部は中国製で環頭部は日本製です。一部を欠失しますが、刀身背部に金(きん)象嵌(ぞうがん)24文字が刻まれていたとみられます。「中(ちゅう)(へい)」(184189)は後漢・霊帝時代の年号で、後漢書東夷伝に倭国大乱があったとされる時期です』とある。
 ちなみに、魏志倭人伝の卑弥呼の大夫が朝献したのが景初3年(239年)であるから、百何十年、何人かの手を経て4世紀の初期のヤマトの大王に近い東大寺山の豪族(膳氏?)の墓に副葬されたことになる。ほんとうだろうか。
 謎の一つは、「百たび練え」の文字(漢字)である。小笠原好彦先生の指摘するところ、これが中国製ならば「百錬」と金偏であろうと。
 そこで、いろんな辞書をあたってみたところ、練が狭義の糸偏に限らないとしても、中国製なら迷うことなく錬とされていたはずだという疑問に賛同することにする。白川静先生なら問答無用で同様におっしゃりそうだ。
 今後の発見に待たなければならないが、例の「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」のように、日本国内(例えば葛城)の渡来人系の金工たちの手習いの典型的フレーズだったかもしれないとの問題提起は少し楽しい。となると中平=2世紀の意味はなくなる。
 補足的に言えば、この太刀は粘土槨(棺)の中ではなく、棺外に副葬されていた。
 疑問を自分の頭で考えず、いわゆる定説をなぞっているだけなら勉強ではない。

2025年4月25日金曜日

カリカンサスが咲き始めた

    体調不良で長期にわたって引きこもっていたので、動き始めた途端ぎっくり腰になった。ああ情けない情けない。
 それでも季節は進み、カリカンサス(黒ロウバイ)が咲いてきた。
 チョコレート色の花はちょっと妖艶ではなかろうか。気に入っている。

 ウスイエンドウも花をつけているから程なく豆を実らせるだろう。
 夏野菜の準備も大切だ。
 季節は冷酷なまでに淡々と移り行くから、個人の体調不良等かまってくれない。
 花言葉は深い慈悲らしい。

 夏野菜は少しだけ植えた。キュウリはイボイボが強い四葉(スーヨー)系だ。「嘘のようにたくさん採れる」と宣伝している苗が多いが、わが家の選択は量より味(好み)である。
 なお先日から昔懐かしい「白キュウリ(半白キュウリ)」の苗を探しているが、苗屋やホームセンターに出てこない。どうしてかは判らない。

2025年4月24日木曜日

神農さんの献湯祭

    退職者会で大阪の街歩きを行ったが、今回は幹事が道修町は薬の神様神農さんの献湯祭をセットしてくれていた。
 私は過去に11月に行ったことがあるが、その献湯祭は神農祭本番ということもあって人がいっぱいで入ることができなかったから、今回は初参加であった。
 湯立という神楽が奉納され、神前(前庭)の釜のお湯を供える祭りだが、それは煎じたり、溶かして飲んだりする薬の代役なのだろう。
 クライマックスというのもおかしいが、その釜の熱湯?を五葉の笹で周囲に撒くのだが、私はすぐ近くにいたので、本降りの雨のようにそれを浴びた。
 迷信じみたことにはまったく縁遠い私だが、孫の凜ちゃんが病気がちなこともあり、気持ちよくお湯を浴びてきた。そして凜ちゃん用に張り子の虎を戴いてきた。
  なお神農さんは中国の神話時代の皇帝。少彦名命は記紀神話の神。いずれも海の向こう(大陸の方向)からやって来て医薬に通じるという神格のため集合した。







2025年4月23日水曜日

藤の季節

    クルマでホームセンターに行く折にいつも通っていた道なのだが、きっと手前の竹藪が手入れされたせいだろうか、正面の小山に藤の花が豊かに咲いていて驚いた。
 手入れされた藤棚ではない野生の藤には美しさと逞しさが感じられる。
 家に帰ってその感想を妻に言うと、藤娘の美しさは雄松に抱き着いて最後には雄松を絞め殺してしまうまでの「美しさ」にあるのよ、うふふ、と笑った。
 枕草子や源氏物語、はては春日大社の「砂ずりの藤」のイメージなどからは及びもつかなかったが、ナルホドナルホドと目から鱗。
 ガラスケースに入った羽子板の藤娘からはそういう想像は広がらなかったが、長唄などの歌詞を検索してみると、なかなか艶っぽくもある。
 そういえば、クマバチを狂喜させる蜜の匂いも官能的である。

2025年4月22日火曜日

有朋遠方来

    この記事も体調不良のため公開が遅れていたもの。
    ・有朋遠方来不亦楽乎・(友あり遠方より来るまた楽しからずや)
 老朋友という中国語がしっくりくる。
 だが居る筈の朋も若干欠けていて、献杯からそれはスタートした。
 ・花冷えやあんたのいない同窓会・
 
 「便りのないのは良い便り」などと言われるものだが、時というものは無情なもので、例外なく皆んな歳をとっていた。
 そんなもので、気を抜けば引き寄せられる病気の話題には際限がないので、それはストップ、禁句にした。

 それでも何十年ぶりかを埋めるには時間が短すぎた・・が、各自の話題のストックに対して皆の体力はあまりに低く、まるで審議未了みたいに、遠くない再開を誓って散会した。

 K君、余程これまで堆積していたのだろう話に終わりはなかったが、作用に反作用、語った分だけ元気になって帰ってくれたようだ。

 持参した写真の菰樽、「おっyamashirodayori で有名な菰樽やな」とのエールもいただいた。
 その菰樽の中からは「旧友再開」の垂れ幕。この四字は河島英五の歌詞とも大いに掛けている。
 〽今日はどうもありがとう!
 さあ、次回まで皆んながんばろう!

2025年4月21日月曜日

今も昔も?

    桜田照雄氏のフェイスブックに掲載したような写真を添えて「万博会場の植生が枯れている」という投稿があって、思い出したことがある。
 
 前の70年万博の前年、東名高速道路、名阪国道などといっしょに「西名阪」の工事も突貫工事で進められていたが、なかなか思うように進行せず、そのうちに大野伴睦大臣来阪の日程が迫っていた。
    そこで現場では、「植栽はしなくていいから、苗木を植えたように並べろ」ということになり、クルマで通り過ぎる大臣には見事に完成した道路というように偽装したということがあったそうだ。
 これは大きな工事だから下請けも含めると多くの人が見聞きしていたことで、奈良周辺での後の酒席では誰もが「あれは無茶苦茶やった」と笑いあっていた。私はそういう酒席にいたことがある。
 そんなことを思い出したのだ。的を射ているか的外れかは解らない。「歴史は繰り返す」そんな言葉が頭に浮かんだということだ。

2025年4月20日日曜日

弾薬庫からゴミステーションまで

    精華町議会議員選挙が5月11日投開票で行われる。
 
 わが街(地域)からは共産党の竹川ますおさんが再びがんばるという。その事務所開きがあったので、押しかけて無理やり応援演説をした。
 精華町は町のど真ん中に、甲子園球場の122倍、470ヘクタールの弾薬庫があり、政府はそれを全国最大規模のミサイル弾薬庫にさらに増強しようとしている。
 政府はよく「台湾有事には沖縄の先島諸島が戦争に巻き込まれるから基地を強化する」というようなことを言うが、その伝で行けば、日本最大の弾薬庫は他国からの先制攻撃の第一目標になる。それが京阪奈学術研究都市の真ん中にある。気は確かだろうか。
 そういう大問題と並行して、ニュータウン全体の高齢化も進んでいて、例えば、ゴミステーションが遠い、ゴミ袋を提げて急な階段を上り下りしなければならないというような問題も起こっている。
 私は特に後者のような住民要求の代弁者として頑張ってほしいと訴えた。
 「共産党と大学の先生は似ていて、正しいことを言っていると思うがどこか身近でない」という批判もあると聞く。住民要求を馬鹿にしてはならない。言いたかったことはそのことだ。

2025年4月19日土曜日

生きてりゃいいさ

    『生きてりゃいいさ』河島英五伝/花房観音著を読み終えた。
 私より若かったが急いで逝ってしまった河島英五。
 ほゞ同時代を生きた男。
 そんな男を、今も時々 TEN TEN CAFE で壁画を見ては思い出している私。
 好い読書タイムだった。読書はいいなあ。

甲子年書く

    1872年(明治5年)11月に改暦されるまでの日本ではいわゆる旧暦が使用されていたが、それは「戊辰戦争」の「戊辰」のように、主として十干十二支(じっかんじゅうにし)によって呼ばれていたり記録されていた。より正確には六十干支であり、そのトップが甲子(きのえね)である。
 そして子(ね)=ネズミは大黒天の使いとされていることから、甲子の日は大黒天の縁日とされ、戦後しばらく父が存命中のわが家では、甲子の日には大黒様の掛け軸をかけて赤ご飯を供えていた。
 その習わしがどこの寺社にルーツを持つものか、最晩年の母に聞いたが解らず、ずーっと頭の奥に宿題として残っていた。
 それが「灯台下暗し」で、もしかするとと軸箱の蓋の裏を見ると、予想通り「大正甲子年書く寶山」とあった。昨年が甲子園球場100周年であったが、つまり大正13年に「寶山」という師が書いたものだった。
 その「寶山」=宝山師は以前にいろいろ検索したり、果ては生駒の宝山寺まで足を運んで調べたが全く分からずじまいだったのだが、今回「大正13年宝山」などといろいろ検索などしているうちに、【高梨宝山】師がヒットし、わが家の掛け軸と同様の軸の画像なども出てきた。
 そして、師が幕末の仙台伊達藩藩士に生まれ、昭和5年66歳で亡くなっていることも分かった。
 関連して宮城県図書館に「高梨宝山師のこと」という資料のあることも解り、取り寄せたところ、その中に菊田定郷著「仙台人名大辞書」昭和8年2月という抜粋があり、それによると「高梨宝山。奇僧、・・中年仏道に帰依し単身一衣、印度、西蔵の聖蹟を巡錫し大いにうる所あり。帰りて黄檗宗臨済院の住職となり、向山に聖地を開き印度より齎来せる丈六の釈迦涅槃像を安置し道俗の帰依を受く。又、一種の書法を宣伝し自ら日本一と称す。画もまた拙からず、世に奇僧を以て称せらる。・・」とあった。
 それとは別に、関東大震災1週間前に「来るぞ」とのビラを約3000枚作成し各方面に配っていたことでも有名であるらしい。この辺りが奇僧たる所以だろうか。
 雲をつかむような話であった「宝山書く」の大黒天、とりあえずはここまで解って少しすっきりした。

    【余話】 宮城県図書館に資料の複写と送付を依頼する仕方についてメールで問い合わせたところ、「白黒複写A4版1枚10円+郵送料金140円=150円を添えて申請書を送付せよ」という。
 問題は料金の送付方法だが、イ 現金10円と140円分の切手を同封して現金書留で送付するか、ロ 50円分の定額小為替と100円分の切手を同封して郵送するかせよ・・とのことで、どういうわけか150円分の切手同封で申請書を郵送(110円)という選択肢はなかった。
 で、イの現金書留だと590円(専用封筒なら更に21円必要)はかかり、ロの定額小為替だと310円なので後者にしたが、どうして切手同封ではいけなかったのだろうと??であった。
 コロナのとき今宮戎へは、十日戎のお賽銭と福笹代をネットでカード決済したが、それに比べると2~3周は遅れてはいませんかね。
 この歳にして初めて定額小為替というものを利用したが、50円の小為替(まあ小切手みたいなもの)を200円で購入するというのもなんだかなあ!という気分が残った。
 ただ、これまで全然知らなかった定額小為替なるものを知ったので、人生の勉強代と思うことにする。
 郵送されてきた封筒には、「コピー代10円」のレシート(領収証)が同封されていた。この10円=(50円の定額小為替)のために余計に190円(200円で購入)必要な合理性はなかなか理解が難しい。まあ勉強、勉強。 ※これは50円、100円、150円という少額の問題。

2025年4月18日金曜日

奈良国立博物館

    再起動2日目。
    さて、奈良国立博物館は本館の外に仏像館と青銅器館があるが、こちらの方は70歳以上は無料になっている。
 写真は仏像館の仁王像。このように「写真撮影可」の仏像も結構ある。(この撮影は体調不良以前)
 近頃はインバウンドの外国人も多い。その割には日本人は少ない? 

 青銅器館には古代中国の青銅器があるが、大きく複雑な文様のそれらには圧倒される。
 それが紀元前11~10世紀のものだというから、日本の古代史などをチマチマ考えるのが嫌になるくらいだ。
 殷王朝は、司馬遷が著した「史記」(紀元前90年・前漢中期)からも約1000年前である。
 史記の殷本紀などは日本の記紀同様「物語」の性格が強いが、青銅器は正真正銘の「事実」である。

    商から殷の時代、一方では甲骨文字、その一方では写真のような青銅器(写真のものは卣(ゆう)というらしい)が実際に作られていた。。
 甲骨文字は徐々に洗練されて今日の漢字になったことはいうまでもない。
    東アジア四千年の歴史を感じられる青銅器館である。70歳以上は無料である。

2025年4月17日木曜日

Googleレンズ

    そろそろと病は抜けぬが再起動
    「リタイア生活で困ったことはAIについてすぐに尋ねることのできる同僚が近くにいないことだ」と以前に書いたが、その感情は今も同じである。
 同じような愚痴をこぼしていた妻はある意味ごく簡単に、解らないことはすぐに娘に尋ねて私よりはるかにスマホを使いこなしている。
 さて「辞書不要で解らなければ検索する」というのが教育・学習として良い事なのかどうかは解らないが、事実として義務教育中の孫は辞書を持っていない。
 それでも千畳敷カールのことを詠んだ俳句で「圏谷」と書いてカールと詠むなどはパソコンの検索機能の成果であろう。・・というようなことに驚いているということは、私が世の技術の進歩に取り残されつつあるということでもある。
 考えてみれば私が就職したころは職場にはまだ電卓がなく書類の審査は大変だったから、そう考えれば「スマホが苦手だAIはどうも」という意見や気分は、それを当時に当てはめれば「算盤と筆算があるから電卓は嫌だ」と言っていることに近い。
 それはさておき、よくスマホに『知らない植物の名前がすぐに解るアプリ』という広告が入るが「メリットデメリットはどうだろうか」と娘に聞いてみたところ、「何を言ってるの!お父さんのスマホにはすでに入っているで」と教えてくれた。Googleレンズのことだった。いつも普通に文字で検索をしていたが、その検索窓口にあるそのアイコンは全く無視をしてきていた。
 念のため庭のけっこうレアな木の葉っぱを検索したらクロバナロウバイと瞬時に正解を表示した。オミソレシマシタ。主として葉の形から樹木の種類を検索するけっこうマニアックな本を持っているが、その本ではここまでたどり着けない。
 ただ、この便利さは人類総体としての知恵を劣化させないだろうかと心配する。孫の世代の未来世界を見学してみたいとも思うが、見学するまでもなく思考するのが先人の責任だろう。ハイ。
 この記事は、公取委がGoogleに、検索アプリ独占の排除命令を出した問題とはとりあえずは関係ない。

2025年4月10日木曜日

2025年4月9日水曜日

花まつり

    卯月八日は仏生会(花まつり) 
    黒い目も青い目の人も甘茶かけ
 仏生会なので東大寺の大仏殿に足を運んだ。甘茶がふるまわれ、花御堂のお釈迦様の誕生佛に甘茶をかけてきた。
 当然ながら東大寺はインバウンドというか、要するに仏教徒ではないと思われる人々も多く賑わっていた。もちろん青い目の人も・・・。
 世界中では同じルーツを持つ宗教の信徒どおしが戦争、つまりは人殺しをしあっている(自衛戦争の側もあることにはあるが)。
 とはいうものの、侵略した国と自衛のために立ち上がった国を丸めて「戦争は止めよ」というのも正義に反しないか。私にも迷いはある。
 奈良公園で、いかにもスラブ民族(ロシア人?)に近いような人々も楽しそうに鹿と戯れていた。その友人は「アーニャ」と呼んでいた。
 世界中の人々が奈良公園に来ればよいのに。
 それにしても、キリストの誕生日といわれるクリスマスにはあれほど大騒ぎをする日本人が、釈迦の誕生日といわれる花まつりには冷淡?なのは何でしょう。結局、声の大きな情報に流されるというのがこの国民の悲劇的な特徴だろうか。

2025年4月8日火曜日

短歌は変化中

    2019年、一年の計に「短歌に挑戦」と心に決めてその6月、ビギナーズラックで「しんぶん赤旗」鈴木英子選に採ってもらったのが『こんな日に限ってどんより曇り空 腫瘍マーカーDの通知書」だったが、これは只々「D=癌の宣告」に「んより」「ィの」のというDの韻律が、結果として韻を踏んでしかもその韻がテーマの重さと重なっていたことによるものだった。(ただし最終的には癌ではなかったが・・)すべては結果論。
 つまり短歌についての私の理解(知識)は「五七五の短詩」以外のナニモノでもなく、また勉強もしないまま今日に至っていた中、先日、書店の書架に写真のような本を見つけたので、一度読んでみても悪くはなかろうと手を伸ばした。
 編者の上野誠先生が奈良大学におられたとき公開授業に何度か出席させていただいたという近しい感情と、読者に媚びたようなハウツーものではなく本格的に短歌を論じている点や、考察がネット短歌にまで及んでいることに興味が湧いたからである。
 実際、今の私は、師を見つけ、師事し、結社に入り、歌会に参加しようとは思っていない。歳は大ジジイだが若者のネット短歌の軽さがいいと感じている。そんな私だが、この本には引き込まれた。
 もっと若い頃にこういう世界に近づいていたならばとは年寄りの愚痴でしかないが、結果、もっともっと知りたいことが山のように出てきたので、これでは退屈している暇もない。
 以下に目次だけ記しておく。
 ・短歌の過去、現在、未来 ・歌を作る ・歌を歌う ・歌集を作る ・歌を批評する ・ネット空間の中の短歌 ・短歌の笑い ・教科書のなかの短歌 ・祭礼のなかの短歌 ・新聞、雑誌のなかの短歌 ・結社のなかの短歌 ・歌会の進め方 ・地域と短歌を結ぶ ・小説のなかの短歌 ・戦争と短歌 ・光源氏の女歌 ・近世社会のなかの短歌 ・能と短歌 ・中世社会のなかの短歌 ・仏教と短歌 ・古代社会のなかの短歌 ・対談、さまざまな短歌

2025年4月7日月曜日

めぐり逢い

    直木孝次郎著『万葉集と古代史』という本を持っているが、いつ購入したのかは全く記憶にない。記憶の断片を拾い集めると上野誠先生の万葉集に関わる講義(奈良大学公開授業)を聞いていた頃だろうが、それは随分昔になる。当時とりあえず読んでは見たが私の興味とマッチせず、記憶に残らなかったのだろう。
 その後ヒョンナめぐりあわせから古墳に興味が湧き、小笠原好彦先生の古代史の講座を学ぶようになったが、こちらも古墳時代が過ぎて藤原京、平城京と時代が移ってくると徐々に興味が低下していき、いろんな人名が輻輳して平板な理解で推移してきた。
 そんな中、モノは試しと書架から引っ張り出して再び読み始めると、嘘のように大枠ながら理解が進み、というか、読んでいて面白くなってきた。嘘のような話だ。
 日本書紀・続日本紀では淡々と描かれている政争が、渦中の人物の歌によって生き生きと、そして本音が垣間見えることでホンモノの歴史に出会えたような気になってきて興奮した。
 常々妻は私に「読み終えた本は捨てなさい」と迫るのだが、本はこのように生き返ったりするのだから捨てられない。
 乱視と左右の視力の大きな差によって読書が苦痛になりつつあるが、本がある限り老いても退屈を感じることがない。
 なお今回の本が面白かったのは著者直木孝次郎先生の学識によるところが大きい。2019年2月に亡くなられたが、晩年は施設に入居されながら『朝日歌壇』に登場されていた。それを読んで知っていたというだけだが少しだけ身近な大先生だった。

2025年4月6日日曜日

われみても・・

    妻の家の出は法隆寺あたりだという。そしてこの辺りを含む奈良ではレンゾといって春の農休みの行事が行われる。いよいよ農作業の開始ということになる。
    そんな卯月を迎え暖かくなってきたことから春→田植え→住吉踊りを連想して生田花朝女の住吉踊りの掛け軸を引っ張り出してきた。
 こういう作業をするとあっという間に一年が過ぎたこと、そしてなんやかんやと言いながらも一年を過ごせてきたことが実感できる。
 一方悲しいのは己が記憶力で、1年経つと「えっとこの字は何と読むんやったかな」と毎年一度は悩み、確か伊勢物語(在原業平)住吉行幸、そして能・謡曲の高砂やったかいな?という思考を繰り返す。
 その高砂。・・高砂の浦で神の憑代たる松の木の下で住吉の神と出会った一行は、高砂の浦から帆をあげて住吉に向ったところ、先に到着していた住吉の神が出現し、「われ見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松幾代経ぬらん」と昔、帝が詠まれた歌などを語ったのだった。
 我々の結婚式で妻の父が朗々と高砂を謡ってくれたが、当時はその意味など知ろうともしない若輩だった。
 そんなことを思いながらいま春を感じている。
 わが家から遠くはない業平寺(不退寺)は業平椿やレンギョウが満開のことだろう。
 この文章(歌)、孫の夏ちゃんファミリーに頼んで夏ちゃんの習字の先生に教えてもらったのが発端。

2025年4月5日土曜日

一生過ぎ易し

    「人生はあっという間だ(一生過ぎ易し)」と室町時代の浄土真宗門主蓮如上人は「白骨の御文」で述べている。
 「朝は厚顔ありて夕には白骨となれる身なり」などというこの「御文」は浄土真宗各派の葬儀で読み上げられることがあるが、あまりにリアルに本質を語っているので、気の弱い私などは頭で理解しても「共感したくない」気分でいた。(それでも地球は回っている)
 こういうところから、「親鸞の教えは道教である」とは福永光司氏の指摘だが、御文のリアリズムは中国大陸の思想・感性かもしれない。
 さて、一度低下した体力を回復させるのは並大抵のことではないが、体調不良で倒れることは瞬時のことである。「夕には白骨」もそのとおり。そういう意味でこの御文を思い出した。
 ということで・・・、せいぜい養生することにする。

 親鸞から第8代の蓮如さんのことだが、その頃本願寺は99%消滅しかかっていたところ、蓮如は御文、つまり手紙、回覧板、SNSにあたる大広報作戦で蘇生させた中興の祖である。
 私は「カール・マルクスはジャーナリストであった」と語っているのだが、その伝でいえば時代は異なるが「蓮如もまたジャーナリスト?」であったかも。
 職場の大先輩で真宗のお坊さんであった方は「宗門の中では蓮如さんはあまり人気がない」とおっしゃっていたことがあるがどうしてだろう。深くは知らない。その方の個人の感想であったかもしれない。近江から北陸にかけては蓮如忌が大きな行事だという話もある。

2025年4月4日金曜日

ド根性スミレ

    アスファルトの間にド根性スミレを見つけた。
 見習わなければ!
 体調回復中。