そんな卯月を迎え暖かくなってきたことから春→田植え→住吉踊りを連想して生田花朝女の住吉踊りの掛け軸を引っ張り出してきた。
こういう作業をするとあっという間に一年が過ぎたこと、そしてなんやかんやと言いながらも一年を過ごせてきたことが実感できる。
一方悲しいのは己が記憶力で、1年経つと「えっとこの字は何と読むんやったかな」と毎年一度は悩み、確か伊勢物語(在原業平)住吉行幸、そして能・謡曲の高砂やったかいな?という思考を繰り返す。
その高砂。・・高砂の浦で神の憑代たる松の木の下で住吉の神と出会った一行は、高砂の浦から帆をあげて住吉に向ったところ、先に到着していた住吉の神が出現し、「われ見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松幾代経ぬらん」と昔、帝が詠まれた歌などを語ったのだった。
我々の結婚式で妻の父が朗々と高砂を謡ってくれたが、当時はその意味など知ろうともしない若輩だった。
そんなことを思いながらいま春を感じている。
わが家から遠くはない業平寺(不退寺)は業平椿やレンギョウが満開のことだろう。
この文章(歌)、孫の夏ちゃんファミリーに頼んで夏ちゃんの習字の先生に教えてもらったのが発端。
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