本郷和人氏の著作の中に「内宮と外宮どちらが豊かだったか?」という設問があったが、戦国時代には朝廷の後ろ盾を失って荒廃していた伊勢神宮が大いに復興したのは江戸時代に起こった「お蔭参り」のお蔭・・・、それは伊勢神宮側にとっても「お蔭」だった。
そこで先の設問だが、内宮には天照大神が、外宮には豊受大神が祀られていて、いわゆる神格には大きな差があったが、実際には外宮のほうが賽銭の実入りが多く豊かだったと、歴史家(本郷氏)は指摘している。
答のヒントは参拝の順路にあり、圧倒的には先ず外宮に参拝してから内宮に参拝したという。
そしてその外宮から内宮に向かう順路の途中にお蔭参り大ブームを支えた「正解」、日本五大遊郭の一つ山田の「古市」遊郭があったからという。
多くの参拝者は外宮で賽銭をあげ、そのあと山田で遊び、お金を使い果たして内宮では渋くなっていたというのがその理由。
そんな俗っぽいブームに支えられて復興した伊勢神宮を、明治政府は「国営」の神社に祭り上げて国家神道を新設して戦意高揚、果ては「お国のために死ね」とまでに思想動員してきたことを「国営放送」は一切触れない。
今日の美しい外観や森や川を見て、古代から引き継がれてきた清らかな神々しさなどと誤解すると、それは国家神道を使った戦前の思想動員の残りカスにけっこう「洗脳」されているのかもしれない。
先日の世話人会の後の飲み会で小学校の修学旅行の話が出ました。というのも酒のアテに頼んだ「紅しょうがの天ぷら」を見て「私は生姜がダメなんです」と言い、その理由が「子供の頃、喘息で修学旅行に行けなかったので友達からお土産に「生姜板」を沢山もらい、食べ過ぎてそれ以来生姜がダメになりました。」という事だった。話はそこから修学旅行は伊勢神宮だった、行く前にクラス単位でお土産の「生姜板」を何枚買うか、担任の先生が注文書を取っていた、きっとその分リベートが学校にまわったのだろう、という話で盛り上がったが何故、修学旅行先が伊勢神宮なのかは話題にならなかった。
返信削除今年の修学旅行の行き先に「関西万博」が半ば強制的に決められているらしい。きっと生姜板のようなリベートがあるのではないでしょうか。
ひげ親父
生姜板は今でもあるのでしょうか? また、伊勢以外にもあるのでしょうか? あるいは博物館??
返信削除