2016年4月20日水曜日

心造諸如来

 若(も)し人もとめて
 三世(さんぜ)一切の仏を 知らんと欲せば
 応当(まさ)に是(かく)の如(ごと)く観(かん)ずべし
 心造諸如来〔心は諸(もろもろ)の如来を造ると〕

   OB会の遠足で写経を行なった。
 奉納した写経は大仏様の胎内に納めてもらえる。
 世界平和などを祈願された方も少なくなかったが、私は小さな根性で孫の行く末をお願いした。
 その孫は、私が写経をしていた東大寺本坊から2~300mも離れていない療育病院で同時刻に診療を受けていた。
 帰ってから聞くと、悪化はしていないとのことで安心した。

 中東の人々、南スーダンの人々、テロの被害者、フクシマの避難者、九州の多くの被災者がおられるのに、こんな個人主義的な祈願で良いのかという自責の念がないではないが、どうしようもない凡夫の胸の内を仏は判ってくれるだろう。

 奈良公園では最短コースにあたる、大仏殿―二月堂―手向山八幡宮―春日大社―猿沢の池を歩いたが、OB会ともなると、それでもへとへとの方も少なくなかった。二月堂の舞台をパスした方も。
 今後の遠足の企画はほぼ平坦な道を2時間限度だろうか。
 だんだん企画が難しくなってきた。

 時間がなかったのでルリセンチコガネは見つけられなかったが、ムササビの食べかすである「エビフライ」は古いものをたくさん見つけた。
 大仏殿前・鏡池畔の大砲を踏んづけているはずの燈籠、大仏殿の謎の蝶々、大仏鋳造は我が国史上初の大規模職業病(水銀中毒)発生現場でもあること、二月堂近辺の「まんなおし地蔵尊」の石碑、校倉造の宝庫、菅公の腰掛石、春日大社参道の謎の竹、興福寺大階段下六道の辻の庶民の解釈などなど、少しは楽しく知っていただいただろうか。
 ほんとうはもっとゆっくりあちこちを案内したかったのだが・・・。

1 件のコメント:

  1.  私の写したお経は【華厳唯心偈】で丁度百字という短いものだったが、それでも約1時間を費やした。
     写真の【心造諸如来】という大きな写経も行なった。
     手本は故榊莫山氏の手になるものだった。

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