11月3日文化の日は憲法公布日で私が小学生の頃は「憲法発布の日」という言い方が多かった。
新憲法をいつから施行するかは議論があったようで、当時の吉田内閣では、5月1日のメーデーの日にするのは面白くない、5月5日の端午の節句は男女平等に反しないか、あるいは「武」の祭りの性格もありGHQがどう思うかなどと迷って5月3日にしたらしい。
で、逆算して半年前の昭和21年11月3日に新憲法は公布された。
ただこの日(11月3日)は明治天皇の誕生日で戦前の明治節という戦意高揚に大いに関わった祝日であったので、中華民国などは異議を唱えていたらしい。私の親などは天長節といっていた。
そんなどうでもいいようなことを書いたのは、つい先日「文化の日を明治の日と変えよう」という運動のことが新聞に載っていたからで、立憲主義を踏みにじった安倍政権の次の目標のお先棒を担ぐ危険な動きに寒気を覚えたからである。軽視してはならないと思う。
そんな問題意識もあり、その日、遠くない地であったスタンディング・アピールに参加した。
戦争ノー、9条守れ!のアピールだが、大阪へ通勤している人が職場で話題にしてくれたらと、私は特別に「さよなら おおさか維新」も掲げさせてもらった。
当初は交差点周辺の自動車に乗車している人向けのアピールのつもりであったが、嬉しい想定外のこととして、隣県の歩こう会の方々千数百名がやって来たので、用意していたフライヤーもすぐになくなったし、「おはようございます」「いい天気ですね」「ゴールはもうすぐ、頑張って」などの声に大いに反応してポテッカー等を読んでもらえた。
難しい問題ではあるが、自分が通行人であった場合、押しつけがましいお説教口調のアピールや、自分たちだけで盛り上がっているようなアピールには馴染めないときがある。このことは単純には言えないことだが、パレード(デモ行進)でもよく似たことを感じるときもある。
この感覚は、演歌の好きな人もおればロックの好きな人もいるように「これが正しい」というものではないと思うが、そういう選択肢の一つとして、大人の紳士淑女の対応に似たスタンディング・アピールはほんとうは見た目以上に効果的なのではないかとも思う。
真っ青な秋空の下、はらはらカラカラと落ち葉が舞い、素晴らしいスタンディング日和だった。
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